猫の日


 にゃーん。猫になりました。
 もはや詳しい説明など不要だろう。なにせこの街はなんでもありなので。お母さん、新横浜とは、一市民にも芸人並みの理解力と瞬発力を求められる恐ろしいところです。
 しかし同時に、みんなこういった事態に慣れきっているため、吸血鬼被害には寛容であった。ふにふにの手で拙く文章を作成し、自撮りを添付して上司へメールを送れば、あっさり休みをとることができた。しかも有休。猫最高。ネコと和解せよ。した。
 降って湧いた休みに、さてこれからどうしよっかにゃ〜なんてすっかり猫になりきって公道を堂々闊歩――世界はにゃんこという生命体に逆らえないため、道の真ん中を歩いても当然に許される――していれば、明敏となった嗅覚が、嗅ぎ慣れた大好きな匂いを察知する。広い道を駆けて駆けて駆けて、そうして私は匂いの元――片想いしているくそ雑魚高等吸血鬼、ドラルクさんへと飛びついた。わあ、ねこってすごい。超跳ねるんだね。
「エッなにネコ?!」
 夜の散歩でもしていたのか、彼は一人だった。唐突なジャンピングにゃんこにドラルクさんは驚きつつも、砂にならずに私を受け止めてくれる。思っていたよりずっとしっかりした腕の中で、ドラルクさんドラルクさんとにゃーにゃー鳴いた。姿形が変われど、好きな人は変わらない。至近距離の香水はちょっとキツくて鼻が曲がりそう! と思ってしまうが、それは生態的に仕方ないことだ。
「な、なんだ急に……魚の匂いでもつけてたか?」
 魚料理はしてないんだが、と訝しむ声を聞きながら、額や耳にかけてを器用に撫でる指にうっとりと身を委ねる。こしょばゆきもちよくて、ゴロゴロと喉が勝手に鳴り、ついでに甘えた高い声も上がった。
「随分人馴れした子だね」
 含み笑い混じりの声音に少しだけ羞恥心が覗いたけれど、まあ今はねこちゃんなので。許されるのです、なにもかもが。もっと撫でてと額を彼の大きな手のひらへ押し付ける。
「……きみ、なんだかあの子に似てるな」
 あ?! 誰の話だ。どこのにゃんこと比べてるんだ!
 聞き捨てならず、キッと眼光を鋭くさせて睨み上げる。が、撫でテクにあっさり陥落。反発心ごと溶けて呆気なく液体と化す。そうして苦笑とともに落とされたのは、私の名前だった。……え? きょとんと見上げると、ドラルクさんは「うーん」と感心したように唸った。
「見れば見るほどそっくり……んふ、かわい〜」
 超絶なでなでが一旦止まり、両脇に手を差し込まれて持ち上げられる。目元をほんのり紅潮させた微笑みを向けられ、『正体に気付いた上で私を揶揄している』という線も消えていく。ぶらんと四肢を垂らし、眼前の彼に目を見張ることしかできなくなった。そ、そっくり? え、かわ、かわ……かわいい??
 猫は猫であるだけで可愛く素晴らしい。それはこの世の真理だ。元凶の吸血鬼もなんかそれっぽいことを言っていた。もうよく覚えてないけれど。可愛い、のは、その通り――なのだが、私はずば抜けて美猫というわけではない。だって元が私なんだもの。いやそりゃ――何度でも言うが――可愛いことには可愛いだろう。しかし言ったって十人、いや十猫並である。その辺を歩いている猫と大差のない完璧な猫の見た目をしている自覚はある。どこ? この完全で完璧で完成されきった猫なはずの私の、いったいどの辺に私要素なんて見出しちゃったの、ドラルクさん。
「ジョンが拗ねちゃうしデメさんもいるからうちじゃ飼えないけど……ええ、いやほんと、手放すには惜しいなぁ」
 じいと、それこそ猫のような瞳で見つめられ、たじたじになってしまう。ドラルクさんの顔はなぜかちょっぴり悔しげだ。
「こんなにあの子にそっくりなかわいい子を、他の誰かに預けるなんて……ジョン、頼み込んだら許してくれないかな」
 デメさんは……まあなんとかなるだろ、知らんけど。
 本気の声音で紡がれるブツブツに足をばたつかせて身悶えする。「危ないよ」と窘められるが、それどころじゃなかった。だって私、聞いてない。他の誰かに任せるのを拒むほど可愛いと思ってもらえてるなんて、私そんなの聞いてない! 普段向けられているニヒルな、それでいて食えない表情を思い出し、いつもより数段小さな体がかっかと火照った。

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