恋愛相談


 事務所の扉を乱暴に開け放てば、ソファで呑気にゲームをしていた彼と目が合う。白目がちな瞳がきょと、と意外そうに見開かれた。
「おや、いらっしゃ――」
「ドラルクさんのばーーーーーーかっ!!」
 持っていた封筒を高く振りかぶり、手裏剣のように投げつけた。砂山の中からゲームオーバーの音がした。
 閑話休題。
「弁明があるなら聞いてやろう」
「だってドラルクさんが。だってドラルクさんがいけないんだもん」
「なんだその駄々っ子は。妙なところを五歳児ゴリラに似せおって、まったく」
 もんじゃねえとブツクサ悪態をつきながら、彼は長机にアップルパイが一切れ乗った皿を置いた。傍らには仄かな湯気を踊らせる紅茶。しかもミルクと砂糖つき。いきなり殺してきた相手であってもこうして甲斐甲斐しく饗そうとするとは、なんたる変人。いや、吸血鬼としての本能なのだろうか。もしそうなら哀れみを感じる。
「なんか失礼なことを考えてるな? そんなとこまでミラーリングしなくていい」
 肩を竦めながら、ドラルクさんは「それで?」と向かいのソファに腰掛けた。突撃するなり奇行に及んだ理由を話せという被害者からの眼差しに、私は大人しく凶器である封筒を机に置き、すっと彼の方へと押しやった。中身を改めた彼は、ちょっと眉を上げる。
「テーマパークのチケット?」
「そうです。さっきそれをロナルドさんに見せたんです」
「おお、やるじゃないか」
 飾り気のない素直な賛辞に、そうじゃないと唇を噛み締める。『やれ』てたら、こんなことしに来るわけないでしょう。
「……それ、見せたら」
「うん」
「『ドラ公、喜ぶと思いますよ! 頑張ってください!』って……」
「うわぁー……」
 私は以前からロナルドさんが好きで、ドラルクさんが同居人として押し掛けてきてからは、ずっとこの吸血鬼に恋愛相談をしていた。だって吸血鬼の同居をなあなあで許してしまう人なんだもの。淡い片想い、なんて浸ってる場合じゃねえと、ドラルクさんの強引な行動によって気付かされた。それから私は、ドラルクさんに会うため、以前よりずっと足繁く事務所に通うようになった。ロナルドさんの好きな料理、その作り方、好みの服装や、休日の過ごし方や最近の趣味、性癖等エトセトラ。ドラルクさんはなにを聞いても「ああ、それはね」なんて澱みなく答えてくれた。ロナルドさんを知りたいだけなのにドラルクさんを一度介すという状況にえ、おかしくない? とたまに正気になることもあったけれど、恋は戦争。ましてや相手は自分の魅力にこれっぽっちも気が付いていないぽやぽや五歳。私も手段は選んでいられなかった。……結果はこの通り、惨敗なわけだが。
「ドラルクさんのばか……」
「いやこれ全然私悪くないと思うけど、まあ、なんというか……ご愁傷さま」
 ロナルドさんの輝かんばかりの笑顔と、グッと立てられた親指を思い出して虚しさがぶり返した。辛い、死にたい。
「しかしニブチンルドったら、一体全体、どうしてそこで私の名前をだしたんだか」
「それは……、……ナンデデショウネ」
 訝しげに「なんでカタコト?」と言う彼から顔を背けて言葉を濁す。どうして彼がドラルクさんの名前をだしたか。その心当たりは、正直ありすぎた。
「……きみらって普段どんな会話してるの?」
「……専らドラルクさんのお話をしてます」
「なんでじゃ!」
「ウエ、だ、だってロナルドさん、ドラルクさんを罵倒するときが一番ノリがいいし! 楽しそうなロナルドさん可愛いくて……あと私も話しやすいし!」
「だからって陰口大会開催してどうするんだバカ!!」
「べ、別に私は悪口ばっかり言ってるわけじゃないですよ、こうして相談に乗ってもらってる恩もありますし……ちゃんと好ましいと感じる部分もお話してます」
「あ、ありがとう……いやそういう問題じゃないだろうが」
 疲れたような溜息を吐いたドラルクさんだったが、再び手元のチケットを見て「ん?」と目を眇めた。
「ちょっとこれ、夜入場用のチケットだよ。ロナルド君を誘うなら昼間用のじゃないとだめじゃないか」
「え、でも昼間だとドラルクさんは来れないじゃないですか」
「……なんできみたちのデートに私がついてくる前提なの?」
「ふ、二人じゃ緊張する」
「いい加減慣れろ!」
 何回目だ! というご最もなお言葉とともにチケットをスパンと机に叩き付けられ、ウエーンと半泣きで身を縮こませた。
 そう、私はロナルドさんをお洒落な喫茶店やデートスポットに度々誘っては日和り、いつも『ドラルクさんとジョン君も一緒に』と予防線を張っていた。そうした三人(四人?)デート――というかもはやただのお出掛けだけど――の数は、そろそろ両手では足りないほどになってきていた。
「しかもこれ二人分だしな?! なんだ、自腹切って引率しろってか!」
「違いますよ、これはドラルクさんの分です!」
「じゃあもう一枚がロナルド君か? いや誘った本人の分はご用意されてないって知ったら、ロナルド君なら気を遣って自分は帰るまであるぞ」
「いや、そっちは私の……」
「え?」
「え?」
 自分で言ったくせになんだかおかしいなと私も困惑する。え、でもたしかに自分の分と、それからドラルクさんの分を、って思って購入したような――……。
「あっ、ロナルドさんの分忘れてた……!」
「……そんなことある?」
「う……あるじゃないですか、現に……」
 無慈悲な白けた視線にグサグサと突き刺され、堪らずがっくりと項垂れる。肝心の誘いたい相手の分を忘れるなんてとんでもない大失態だと、自分でも分かっていた。
「でも、だって……あの、ここ、凄いんです、めちゃくちゃ人気でチケットも入手が大変で――ほら!」
 話題を変えようと携帯を取り出して園のホームページを開く。キラキラ楽しそうなページを見せ、本当に人気なんだぞというのをアピールした。
「あ、このゲーム台、あんまりないやつだね。かなり初期の型じゃないか?」
「そう、そうなんです!」
 胡乱げに眺めていたドラルクさんがページの一部で驚いたように反応したので、私も嬉しくなって声を大きくした。
「ここ、こういうレトロゲーム系を推してるらしいんですよ! なんでもこの園自体がそういう、なんか……古? の吸血鬼さん向けに作られたパークらしくて――あ、もちろん最新のゲームもあるそうですよ――とにかく園には吸血鬼向けの施設が他にもあるらしいので、ドラルクさんが楽しめそうだなって!」
「……私『が』」
「あとほら、牧場も併設されてるから乳搾り体験とかできるんですって。ね、ドラルクさん好きでしょ、牛乳」
「いや好きっていうか……まあ好きだけど」
「でしょ。だからここ、今旬の場所らしいんです」
「旬ってなんの?」
「吸血鬼とのデートスポットとして!」
 再び口にしてからあれ、と動きを止める。いま、私、デート、吸血鬼……――あれ??
「……きみさぁ」
 ドラルクさんがぐったりと背中をソファへ預け、脱力した。今日何度目かの溜息が事務所内を巡る。呆れをたんと含んだ声音に、私はなにか言ってはいけないことを言ったらしいと感じた。
「ほんとにロナルド君のこと好きなの?」
「え……な、なにをそんな、今更……そんなの当たり前――」
「本当に?」
 淡々とした低い声に食い潰され、言葉が詰まった。ドラルクさんの相貌に表情はなく、ただただ静謐にじっと私を見据えている。しかしなぜか、赤い瞳は普段より爛々と光って見えた。
「……なんでそんなこと聞くんですか」
「いや、ね。私はいつまで親切でウルトラジェントルで――そしてきみの良き相談相手なドラドラちゃんでいてあげればいいのかなって」
 口にした不穏さに反し、ドラルクさんは人好きしそうなさっぱりとした笑みを作った。類に見ない爽やかさが逆に不気味で居心地が悪くなる。
「……えっと、どういう意味かよく分からないんですけど」
「なに、言葉のままさ。なんだかもう、相談相手に甘んじてあげる必要もない気がしてさ。ね、もう一度聞くから、よく考えてみたまえよ」
 きみ、本当にロナルド君のことが好きなのかい?
 静かな問いかけを最後に、息をするのも躊躇われるような繊細な沈黙が横たわる。よく考えるもなにも、わたし、わたしは――。落とした視界の端で、不意になにかがきらりと光る。最近買った安っぽい銀のピンキーリング。それを見て、ひとりでに口が動いた。
「銀を、見ると」
「……うん?」
「火傷してしまうなって思います。きっと似合うだろうに、勿体ないなって」
 目を見張った彼に構わず、私は話し続ける。よく考えてなんかいなかった。
 赤い色には、もっと暗くてけれど深くから炎が耿々と煌めくような、そんな奥行を求めてしまう。
 夜を連想させる黒には、無性に抱き着きたくなるような愛おしさを覚えるようになっていた。
「なら、青は?」
 青。青は――。
「……なんとも、思わないです」
「そう」
 銀に触れることのできない赤目をした黒衣の吸血鬼は、ご満悦に相好を崩した。


【オマケ】
「ちなみにロナルド君はね、きみから恋愛相談を受けてると思っていたらしいよ」
「え」
「『俺恋人なんてできたことねえんだけどな』とか困った顔しつつも、頼られるのは満更でもないようでな。きみの力になるために、この私にまで助言を求めて。……ああ、もちろんきみが誰に恋してるとかまでは伏せて、だけど」
 ドラルクさんは、本当に鈍かったのはさて誰だろうね、と謳うような滑らかさで告げ、口元に三日月を浮かべた。

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