一緒にいれればそれでいい


 この度ドラルクさんとジョンくんの楽しいお散歩タイムになんとお邪魔させていただけることと相成った。えっいいんですか? こんな幸福になっちゃって。明日全財産失うのかもしれない。本望だ。いやうそ、さすがにちょっと困る。でも幸甚の至りであることには変わりない。土手にドラルクさんと並んで座り、ジョンくんが穴を掘る音をBGMにしながら幸せを噛み締める。
「涼しくて明るくて、素敵な宵だね」
「ええ。雲ひとつない快晴ですしね!」
「ん? あるよ」
「えっうそ」
 ほらあそこと彼が指差す方へ視線を向けた。ぎゅうっと目を眇めて数秒でむらさきがかった夜空に大きな雲の塊が浮かび上がってくる。うわでっか。こんなのを見逃してたなんて恥ずかしい。眼球曇りすぎだろ拭け。ちょっといいことがあったからって調子に乗ってしまった。死にます。「私は夜目が効くからね」心を読んだかのようなタイミングでやさしい慰めの言葉がかかり簡単に気持ちが持ち上がる。生きます。
「それにあの大きな雲だけだから晴れてると見紛ってもおかしくはないよ」
「うう、追いフォローが沁みる」
「沁まさなくてよろしい」
 ひっそりと言葉尻に落とされた笑いに鼓膜を揺らされ、ちょっとホッとする。しかしもうこれ以上余計なことを言いたくない。私は反省がわりに口を噤んでしばらく雲を眺め、ジョンくんが穴を掘る音を一心に聞いた。ザクザク深く掘っては、重たい土が横に積まれる音。それに紛れるご機嫌なヌンヌン。あーかわいい。平和。ラブアンドピースとはアルマジロのことと見た。遠くの雲が動くようにゆっくりと、先程負った傷が修復されていく。なんてこと、反省どころかご褒美タイムになってしまった。
「どうして急に黙ってしまったのかね」
「雲、あ……いや……」
「うん?」
 また実もないつまらぬことを言いかけたと遅ればせながら気付き、中途半端に言葉を濁す。経験に学べぬ愚か者。しかしドラルクさんが続きを促すようにこちらを窺ってくるので仕方なく口を開いた。
「雲って、遠くから見るとゆっくり動いてるけど実際はすごい速さの風に吹かれてるんだよなあって」
「……そうだね?」
 口にする前からくだらなくつまらないことだという自覚はあったが、こうして音にすると改めてしょうもないに過ぎる。恥ずかしさを誤魔化すためにへらりと口元を緩めたが、火照る頬を取り繕うことまではできなかった。「顔が赤いよ」ドラルクさんは内容の稀薄さや幼稚さをバカにするでも笑うでもなく、どこか不思議そうに指摘した。
「……あの雲、なんかドラルクさんみたいじゃないですか?」
「え?」
 ええい、この際だ。ぶちまけてしまえ。恥はかき捨てだ、ちょっと意味が違う気もするけれど。
「あのとんがりとかツノみたいだし、奥の方の形はマントがひらめいてるみたい」
「えー、んー……ジョン、どう思う?」
「ヌー……ヌヌヌヌヌヌ!」
「ほら!」
「ジョンまで……」
 イデアの丸からの有難い同意に深々と傅く。「あの膨らんでる部分はジョンくんだね」そう言うと、ジョンくんは嬉しそうに地面をたしたしとさせた。
「もっとも、私は雲だけじゃなくて今や万物がドラルクさんに見えますがね! 形にも色にも味にも、ありとあらゆる物にドラルクさんを見出しては結びつけてますよ! おかげで毎日ハッピー!」
「ハッピーなのはなによりだけど、それ、よく本人に言えるね」
 尋ねる声には今度こそ揶揄うような色が孕まれていたが、すっかり開き直っていた私はこれに怯むことはなかった。
「だってドラルクさんが好きですから」
 恋とは人を恥ずかしくさせるものだということを、私はとっくに思い知っている。だからこの気持ちを今更指摘されたとて、羞恥心が擽られることはない。
 私の告白なぞもはや聞き慣れているドラルクさんは一瞬だけ息を詰めたけれど特別突っ込むことはせず、黙って空へと視線を向けた。流されたことを悲しくは思わない。こんないつものことにいちいち落ち込んでいたらキリがないので。
「……あ、でもあの雲はドラルクさんだけじゃないかも。街の人みんなかも」
「みんな?」
「ほら、なんかあの尖った部分とかロナルドさんの帽子っぽいし、あれとかはヒナイチちゃんの触覚ぽい。あそこのひらみはデメさんだし、あっちのツンツンしてるのは――サテツさん? あ、あの丸みとかキッスの頭頂部では」
「随分たくさんの人がいるんだね」
「全員いますよ、あの中には。だって色んな人がいたほうが楽しいでしょう。ドラルクさんは退屈しないでしょう」
「私は……」
 ちゃんと分かってますよ、私。だってあなたが好きですから。そんな気持ちから得意満面で笑ったのだが、ドラルクさんは言葉を切って不思議な間を作った。緋色の瞳だけがちらりと寄越される。なんだか奇妙な真顔をしている。横顔と瞳だけでは、彼の感情はうまく読み取れなかった。
「――私は、きみと私とジョンだけでもいいけどね」
「ええ、たった二人と一匹だけ?」
 うそだぁとクスクス笑う。あ、でもそういえば、ドラルクさんとジョンくんは二百年近くをふたりぼっちで過ごしてきたんだっけ。それならむしろ私は要らないくらいなのかも。「ああ」ドラルクさんはすっくと立ち上がった。短い肯定はどこか素っ気なく聞こえるような響きをしている。
「ジョンときみさえいれば、私はそれだけで充分だよ」
「え?」
「『充分以上』といったほうが正確かな」
「……はっ? ど、えっ……ど、どういう意味ですかそれ」
「さ、そろそろ帰ろうか、ジョン」
「えっ?! ちょ、ドラルクさん?!」
 その後どれだけ縋っても取り合ってもらえず、私は暫し悶々とした日々を過ごすことになった。
 ああもうほんと、出逢ってからずっと、私ばっかりが振り回されてる。

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