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 ロナルド様が好きだ。
 数年前に、かの御仁が遠方出張で吸血鬼退治をしに埼玉の辺境まで訪れ、襲い掛かってきた吸血鬼から颯爽と庇ってもらい、「大丈夫ですか?」なんて爽やかに微笑んで手を差しのべられた時から、私は彼が好きだ。ブログも読んでいたし、彼の自伝書が販売されたときは朝一で本屋に並んで購入し、ページが擦り切れ印刷された文字が霞むほど、厚い素材の表紙が柔らかくなってしまうほど、何度も繰り返し読んだ。雑誌やネットニュースで活躍を知れば、ファンレターを送り、切り抜きノートを自作しては毎日彼の安全と幸せを祈った。そうして一年前。とうとう仕事を退職し、新横浜への移住をも決意した。さすがにロナルド吸血鬼退治事務所の近くに越す勇気も非常識さもなかったが、それでも同じ市内というだけで十分すぎるくらい幸せだ。
 要約すると、私はストーカー気質なガチ恋やばキショ女だった。
「いや、たしかに行動力の鬼だけどさ」
 枝のような指先で、ジョン君の頭を器用にこしょこしょとしていたドラルクさんが、呆れ顔をする。
「自分の想いをそこまで卑下することもなかろうに」
「初対面で『半田君タイプ多すぎでしょキツ』って言ったくせに」
「まあ傾向としてはそうじゃん。でも今は半田君より全然マシだと思っているよ。不法侵入しないし窓ガラスは割らないし」
「当たり前すぎる……」
 それでマシとか言われても……。指折り数えて挙げられる要素は常人なら普通はやらないものばかりなため、素直に喜べない。
「ところでロナルド様はあとどれくらいでご帰宅なさるんですか?」
「さあ、知らないねえ」
 のらりくらりとした口調でそう言いながら、ドラルクさんは、頼んでもいないのに紅茶のお代わりを注いだ。ジョン君にもクッキーの皿を勧められ、ちょっと眉を下げる。
「私、あんまり長居するつもりはないんですけど」
「まあまあまあ。それで、話の続きだけど」
「え?……ああ」
 続き。そうだ、私たちはロナルド様がお仕事で不在のこの間、恋バナをしていたのだった。私はドラルクさんに借りた本を返しに来ただけだったというのに。なぜこんなことになったのか。きっかけはドラルクさんの「ロナルド君と恋人になりたくないの?」という無邪気な一言だった。
「恋人ですよね。なりたいですよ、そりゃあ」
「なりたいんだ」
 聞いてきたのは自分のくせに、目の前の吸血鬼はさも意外そうに目を丸くさせた。「当たり前じゃないですか」何を今更と目を細めれば、ドラルクさんは取り繕うような笑みを浮かべる。
「いや、だってさ、たしかに日頃散々『好き』と伝えてはいるけど。きみ、ロナルド君にちゃんとした返事を求めたことはないから。てっきりそういうつもりはないのかと。『ガチ恋』とかも語呂だけで言ってるのかなって」
「返事……うーん……それよりもまず『あなたのことが大好きな人がいますよ』っていうのを刷り込むほうが先かなって。あと外堀から埋めちゃおっかなって」
「ほー、なかなかしたたかじゃないか。嫌いじゃないよ、そういう回りくどいの」
 でしょうねと内心で頷きながら、口元に寄せたカップを傾ける。
 何度も言うが、私はロナルド様のガチ恋やば女だ。彼をこの手で幸せにすることのできる権利を得られたら。彼が零す笑顔を一番近くで見守ることが出来たら。あまつさえ、それを独占することができたのなら。きっとそれは、何にも勝る史上の幸福だと思う。
 自分の心を誰かのために砕くことができる彼だから、その分私がたくさん愛を伝えたい。少しでも補いたい。喜んでほしい。
 その一心で、私はこの地にやってきたのだから。……うーん、改めて己を鑑みると本当にやばやばのやばだ。
「私は嫌いじゃないけども」
「ヌアァ!」
 頬袋を絶え間なく動かすジョン君からクッキーを静かに遠ざけつつ、ドラルクさんは私を横目で見遣った。弓なりの瞳が愉悦できらりと踊った。
「あのゴリラはな、きみが思ってる数百倍は面倒くさいぞ」
「え?」
「ただいまー……あっ」
 吸血鬼の意味深な含み笑いに眼を眇めたのと同時に、事務所の扉が開いた。帽子の鍔の影とまばゆい銀髪の奥から、アクアマリンが光る。
「お疲れ様です、ロナルドさん。お怪我はしてませんか?」
「お、お疲れ様です! 怪我、怪我は――えっと……だ、大丈夫です!」
 強いので、と顔横で両拳を握る彼に、少し苦い気持ちになる。ロナルド様が強いのは知っている。しかしだからといって、強いからと言って、痛くないわけではないだろう。こういうところ。彼のこういうところが、困ったところなのだ。「それより!」複雑な感情に苛まれている私に気付かず、ロナルド様は息せき切って口を開く。
「すみません、俺今日は依頼で……いらっしゃるってわかってたら、どうにかこう、あの……もう死ぬ気でめちゃくちゃ頑張ったんですけど……!」
 それこそお気になさらず、大丈夫です。首を横に振る。不在だというのは事前にドラルクさんから聞き及んでいた。だからこそ今日来たのだ。
 偶然会えたらそのたびに想いは伝えるし、メッセージでやりとりをする機会があれば言葉の結びに『好きです』と使う。けれどわざわざ彼の自由な時間にお邪魔するほど、厚かましいやば女ではないのだ。恋人にはなりたいけれど、それとこれとは別。最低限の礼儀というか。
「クソ砂になにか変なこといわれてませんか?」
「はー? このシンヨコ一紳士といわれるドラドラちゃんがレディに失礼なんてするわけないだろうが。お前と一緒にするなよこの初心ルォアアーッ!」
 吸血鬼をスパンと挟んで砂にし、ロナルド様は心配そうにこちらを窺った。やさしい、気遣いの鬼。
「とても丁寧におもてなししていただいたので。楽しかったです」
「え、あっ……そ、そうですか……」
「はい。私そろそろお暇させていただきますね。それじゃあドラルクさん、また。ロナルドさんもお仕事お疲れさまでした。ゆっくり休んでください」
 会釈をして事務所を去る。しかし暫く歩き、家路半ばでふと足を止めた。
 いけない、今日好きっていうの忘れてた。外出時は常にいつ会えるか分からないと身構えているけれど、今日の遭遇は本当に誤算だったから油断していた。帰宅したらメッセいれ……いや、何かあったわけでもないのにわざわざ送るのもあれかな。次会った時に二回分言おう。

 ◆

 その『次』の邂逅が叶ったのは、最後にお会いしてから半月ほどが過ぎた夜だった。元々偶然を頼りにしているため、二週間会えない程度、そう珍しいことではない。
「それでですね、ショットがドビャーってして、んでサテツがドガァってして、で、最後に俺がドバーンって! したんです!」
「すごいですね、さすがです」
 ただ、酔ったロナルド様というのは非常にレアだが。
 私の言葉に「えへへ」と照れ臭そうに頬を蕩かすウルトラかわいい彼を目に焼き付けながら、平静を装って微笑みを返す。溶けてるロナルドさんかっわいい。ここが外じゃなかったら発狂するところだった。
 私は今、ほろ酔い状態のロナルド様と連れ立って家に帰ろうとしていた。仕事帰り、やたら楽しげな様子のロナルド様に呼び止められ、「おれ送りますよ‼」と元気よく申し出られたからだ。いつもの赤い正装をしていないため、オフの日なんだろうということはすぐに分かった。楽しくお酒を飲んだ帰りにそんなことをさせられるわけがない。そう遠慮しようとしたが、「そうですよねおれなんかがあなたの隣を歩くのは相応しくないですよねハハッ」と、なぜか全力ネガティブを発揮されてしまったので素直にお願いすることにして、今に至る。お酒が入っているせいできっと情緒不安定なんだろう。
「また大活躍だったんですね、ロナルドさん」
「んへ……あ、でもあの、ショットが不意を突いてくれたり、サテツが動きを止めてくれたりしてくれたから……」
「そして最後にロナルドさんがトドメを刺したんでしょう? 普段から研鑽を積んでいるから、うまく連携もとれたんですね」
 しかしかなりの下戸ときいていたけど、動きにフラつき等は見られないし、こうしてそれなりに会話が成立するということは、酔いも醒めてきているのかもしれない。
「また私たちを守ってくれてありがとうございます」
「う、いや、おれ、おれたちは……んん……へへ」
 恥ずかし気に言い淀んだが、ロナルド様は控えめにはにかんだ。かわいい。かわいいけれど、やっぱり珍しい。彼はこういう言葉を――つまり賛辞を、あまり素直に受け取ってはくれないから。
「今日はお休みだったんですよね?」
「はい、友人と怪奇スポットの調査をしたあとシュラスコ食ってきました!」
「へえ、怪奇、え、怪……? あ、シュラスコよかったですね」
 深く突っ込んだらいけない。ここは新横浜なので。そして彼は今をときめく吸血鬼(バンパイア)退治人(ハンター)なので、そういうこともあろう。あるんだ、きっと。それよりシュラスコが好きならラクレットチーズのお店とかも好きそうだ。そう思って「ラクレットチーズって食べに行ったことあります?」と尋ねる。
「ラク……あ、半分のチーズを目の前でかけてくれるやつですか⁈ とろ〜ってしてくれるやつ⁈」
「そう、それです」
「うわー合ってた! いやないです! すげえ気になってて、行ってみたいなーとは思ってるんですけど。え、あるんですか?」
「ふふ、一度だけ妹と。美味しかったですよ。もしよければ、今度――」
 そこまで言って口を噤む。何を言いかけたんだ、私は。ロナルド様の貴重な休日を搾取しようとするな。最低だ、軽はずみな言動はやめろ。失礼だろうが。
「え、あの、こ、今度……?」
 深く反省していたのだが、ロナルド様の控えめな声にハッとする。自分から振ったくせに話を放り出してしまった。反省の続きは一人になったら、と決意を固めて彼へと笑顔を向ける。
「今度、そのお店の予約とっておきますよ。予約とるのが難しい人気店だったんです。私なら会員にもなってますし、とりやすいと思います」
「あ、え、い、いいんですか⁈ え、い、一緒に――」
「ええ。日付と、何人で行くのかだけ教えてくださればやっておきます」
 任せてくださいと力強く続けたのに、ロナルド様はビシリと固まってしまった。その場で足を止め、立ち尽くしてしまう。お酒で機嫌よく赤らんでいた顔も、すっかり青白くなっていた。今にも倒れてしまいそうだ。
「ど、どうしたんです……⁈」
 あまりの急変ぶりに慌てて声をかけるも、彼は青い顔のまま、一言も発さない。もしや吐きそうなのだろうか。実はずっと具合が悪かった? 無理をさせてしまった? どうしよう、一先ず近くのコンビニに行って、それで――。
「……おれ、だめですか」
「え? だめって……」
「や、すみません、ずるいですね、こんな言い方……おれなんかじゃ、もうだめですよね」
 ロナルド様がやっと口を開いた。と思ったら、なんだか不穏な空気が流れだす。……なんで⁈ 展開についていけず狼狽しながら、彼の顔を覗き込んだ。ロナルド様の明かるい青が、すうっと暗く沈み込んでいく。青い瞳は虚ろになっても綺麗だった。いや、そうじゃなくて。
「だ、だめなことなんてなにもないですよ、ロナルド様はとても素晴らしいです! 自信を、というか元気をだしてください!」
「うう……やっぱだめなんだおれは……」
「あれ、聞こえてない⁈」
 電波が悪いのかな、目の前にいるのに! 
 澄んだ蒼の双眸がゆらりと波打つ。なぜか言葉が届かない焦りで、こちらまで泣きたくなってきた。
「……どうしてだめだなんて思ってしまったんですか」
「……だって、あなたが」
 私が。えっ私、私が⁈ 墓前には毎年ジップロックにいれたロナ戦を添えてもらおう。ぐすぐすとした掠れ気味な声に死を覚悟した。
「ロナルド様っていうから」
「……え?」
「ドラ公とは楽しそうにしてるのに、俺にはなんか冷たいし……それに好きって言ってくれなくなったし……最近は全然会えなかったし……」
「さ、最近……や、でも、二週間会えないくらい、これまで何度もありましたよね……?」
 私たちの日常は交差していない。それぞれの仕事柄、という理由もあるし、まだそこまで親しい間柄になれているわけでもないからだ。だから会えなくたっておかしいことはないのに。
 困惑する私を、ロナルド様はじろっと見遣った。そのムッとしたような滅多に向けられない表情にたじろぐ。
「おれは毎日でもあなたに会いたいです」
 今日だって、あなたに会いたくて遠回りしてたのに。
 揺れていた青い海にぱちぱちと星が散る。美しいそれから目が離せなくて、動けなくて。言葉を失って立ち竦む。すると何を思ったのか、彼の顔から再び血の気がザアッと引いた。
「すみませんすみませんすみません! 気持ち悪いこと言いました! いやでもあの、いつもこんなことしてるわけじゃなくて今日はたまたまっていうか、いやほんと、あっほら見廻りも兼ねてというか、あの……あの……本当にすみませんでした俺は救いようのないクソキショゲボストーカーです軽蔑してください」
「……や、めてください。むしろストーカーは私の方でしょう」
 頭を何度も下げて平謝りを繰り返す彼を止める。纏う雰囲気がいつものものに戻ったため、少しホッとして、知らず止まっていた息をそっと吐きだした。きょとんとしているロナルド様に小さく笑う。
「だって私、あなたを追ってこんなところまで来たんですよ。ちょっと遠回り、レベルじゃないです」
「た、たしかにこっち越してきたってきいたときは行動力はすごいなと思いましたけど……でも、あなたのことをストーカーだなんて思いませんよ。思ったことないです」
「半田さんに毒されてません?」
 本当に人が好い。ロナルド様は、「それは、まあ……」と否定しきれず、眉を八の字にした。地面へと視線を落とし一拍。なにかを決意したようにこちらを見る。
「手紙、いつもありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ受け取っていただき――」
「特に駆け出しの頃に送ってくれてたやつとか、何度も読み返して、励みにしてました。また会えたのも嬉しかったし、俺に会いに来てくれたっていうのも嬉しかったです。手紙でだけじゃなくて、会うたびに、その――す、すきって言ってくれるのも、恥ずかしいけど嬉しかったんです、本当に。……でも」
 彼はそこで一度言葉を区切り、息を吸う。緊張のせいか、また泣きそうな顔に見えた。
「でも、最近、思うようになったんです。あなたが『好き』なのは、俺じゃなくて、ロナルド様なんじゃないかって」
 本にはうそなんて書いてないです。でも正直脚色はかなりしてるし、文字だけで見たら俺はすごいことをしてるようになってるから。あなたは本を出版する前から手紙をくれていたけど、あのほら――思い出補正? みたいな。そういう感じで……勘違いをしているんじゃないかって。
 つっかえつっかえで彼が言い切ると、沈黙が冷たい夜の静寂(しじま)へ溶けていく。「だから」耐えきれなくなったのか、彼のほうが先に口を開いた。
「俺は別にロナルド様とか、なんか……ほんとはそんな大層な奴じゃないんです」
 彼がへらりと、無理やり口角を上げて笑う。歪で痛々しい笑顔だった。
 思い出補正はたしかにあった。しかしそんなものはこの街に越してきて以降、彼方へと飛んで行っていた。彼が筋肉に頼りがちで、相棒の吸血鬼のいう『ゴリラ』も頷けてしまうというのは、退治の様子を数回見ればすぐに分かったからだ。昔の憧憬の名残で、内心ではロナルド様と呼んでいるが、世間一般に想像されている『ロナルド様』と、実際の『ロナルドさん』との齟齬はもうとっくの昔に解消されている。
 しかしあくまでそれは、私の中では――という話で。この想いを渡される本人が違和感を抱いていたら何の意味もない。彼はずっと『私はロナルド様が好き』だと言っていると捉えていたのか。信じられていないなというのは薄々察していたけど、まさかそういう方向だとは考えもしていなかった。
「ロナルドさん……いえ、ロナルド君!」
「へ⁈ は、はい!」
「こ、これからはそう呼んでもよろしいですか」
「そ、それはもちろん全然、嬉しいです、けど……え、な、なんで突然……?」
 ロナルド君の目元が赤いが、私の顔もきっと似たようなものになってるんだろうな。いい大人二人がこんな夜中に路上で顔を突き合わせて、いったいなにをやっているんだろう。一瞬そんなことを考えてしまったが、目を瞑って邪魔な思考を追い払う。真っ直ぐに彼を見上げた。
「私の想いをちゃんと伝えるためです」
 どれだけ世間に褒めそやされても、彼は決して驕らない。切磋琢磨を怠らず、たゆまぬ奮励を惜しまない。努力を努力と思わない、ひたむきで、高潔なあなたが大好きだ――大好きだった。
 今は、無邪気で純粋で、気が弱く、お人好しで、そのくせ好意を受け止めることにすら慣れていない、かわいくていじらしいあなたが大好きだ。なんにも憂わされることなくいつまでも笑っていてほしい。幸せになってほしい――できることなら、それは私の手で叶えたい。
「ロナルド君。あなたが好きです。あなたのことを幸せにさせてほしいです。ロナルド様とか関係ありません。私はあなた個人を尊敬していて、大切だと思っていて、大事にしたいんです。優しい自覚がないほど優しいあなただから、好きなんです。……私の大好きな人のことを大層な奴じゃないとか言わないでください」
 気持ちが溢れ、うっかり最後は自分勝手な懇願になってしまった。ロナルド君の目が大きく見開かれ、数度瞬く。私もここまで本心を曝け出したのは初めてなので、気恥ずかしくなり少し顎を引いた。
「……お返事はまた後日で――」
「俺もあなたがす、好きです!」
「………………え?」
「え?」
 お互いぽかんと顔を見合わせると、なんともいえない空白の時間が生まれた。
「……分かりました、ロナルドさ、ロナルド君。明日。いえまた今度。改めてお返事を訊かせてください」
「え、な、なんでですか?」
 酔ってるからです。
 しかしこれを言われた酔っ払いは『酔ってない』と言い張るのが定石なので、私は心を鬼にして、目を潤ませるロナルド君を笑顔で流した。

 ◆

 後日、薔薇の花束を持った彼に往来で「俺もあなたを幸せにしたいです!」と、衣装に負けない赤い顔で告白されてしまった。


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