謳う劣情、呼ぶ純情


 金がクソある。それこそ掃いて捨てるほど。
「依頼料通常の十倍払うので結婚を前提にデートしてください!」
「はは、相変わらず面白い嬢ちゃんだなぁ」
 爽やかな笑顔で躱された挙句、「金はもっと自分のために使いな」なんて頭にポンと手を置かれた。ずっしりした手の重みを感じながら下唇を噛み締める。言われなくたって、自分のために使おうとしてるのに。
 私はロナルドさんが好きだ。
 私の産まれるずっと前からやり手退治人として前線で活躍する、三十歳年上の彼が。

 まだ乳飲み子だった私を養子として引き取った夫婦は、街でも屈指の富豪一族だった。
「欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れなさい」
 とは、三十歳年下の養母を残して旅立った養父の言であった。だから私は父の遺言に従っているのだが、これがまったく上手くいかない。いやね、私だってお金で物を言わせるのはどうなの? って思うし、最初は普通にアタックしていた。だが長いアピールのすえ、あの鈍感五十路に正攻法は通じないのだと、悲しいことに悟ってしまった。ので、最近はこんなヤケクソ戦法でいっていた。
 嫌われてはないと思う。本気で対象外というわけでもなさそうだと女の直感も告げていた。垂れがちの瞳に甘さが滲んでいるのを感じることもあるし、ただの知り合いにしては距離も近いし、触れ合いも多い。そういう時に意図を尋ねようとして話しかけると、素知らぬ顔で首を傾げられるから多分無意識なのだろう。……だから尚更諦めきれないのだ。いつものように仕事終わりに事務所へ寄り、扉の前で溜息を吐く。ノブに手をかけようとして、既に少し扉が開いていることに気が付いた。
「妙にソワソワしてるなと思ったらもうすぐあの子が来る時間か」
 中から聞こえたドラルクさんの声にどきりとする。今日訪れることは伝えていたし、『あの子』とは、つまり……。「うるせーよ」どこか覇気のないロナルドさんの声に確信を強める。ソワソワしてるのは否定しないんだ、ふーん。ついさっきまで抱えていた鬱屈とした気持ちも忘れ、自然と口角が上がる。
「フるなりなんなりしてケジメをつけてあげなさいよ」
「フッ……⁈ う……そ、そうだよな。あんな若くて一番楽しい時期を、こんなオッサンがいつまでも独占してる訳にもいかねえよな、うん……。早く解放してやらねえと……解放し、たら……あの子もちゃんと同年代のこっ、恋人を……お、俺以外の恋人をつく、作っていずれは結婚して温かな家庭を築、ッ――ウウッー!」
「勝手に妄想爆発させて落ち込むな、鬱陶しい……そんな悩むくらいなら、いっそ付き合っちゃえばいいじゃん」
 いいぞドラルクさん!
「いや、それは無理」
 は?
「なんでだ。可愛いし愛嬌もユーモアもある。スタイルだってきみ好みだろう。懸念点といえばまあ、ちょっと歳が離れてることくらいだろうが……それだって別に大した差ではないだろう」
「ちょっと⁈ 三十だぞ⁈ 大した差だろうが! 無理‼」
「……なんですか、それ」
 耐えきれなくなり、扉を押して会話に割り込むと、男性二人とマジロ一匹が途端石のように呼吸さえ止めて固まる。うち一人――ドラルクさんへ、キッと眼差しを送ると、彼は「えっ私⁈」と耳を砂にして崩した。
「なにかね……?」
「もしドラルクさんが二百歳の吸血鬼からアプローチされたら、年齢を理由に袖にしますか?」
「ああ、まあ、二百歳ならしないかな」
「いや桁! 規模! 単位‼」
「ならうちの両親はどうです?」
「金久祖夫妻は――あの、あー……」
 うまい反論が見つからなかったのか、ロナルドさんはもごもごと言葉を濁した。
「私のことなんて少しも好きじゃなくてタイプとも違くて、もう未来永劫好きになれそうにないって理由なら私だって身を引きますよ。でも、年齢なんてそんなことを理由にされたら納得いきません。私は本気であなたが好きなんです」
「……そう言えるのは今だけかもしれないだろ?」
 ロナルドさんは口を歪ませて苦々しく笑った。浮かべられた表情にこちらも眉根をきつく寄せる。ひどいことを言っているのはそちらのはずなのに、どうしてあなたがそんな辛そうな顔をするのだ。
「若気の至りなんかじゃありません」
 涙を堪えて絞り出しても、ロナルドさんはいつになく下手くそな笑みのままだった。こんなに感情を曝け出した彼は初めて見るような気がする。彼はどんなトンチで変態な吸血鬼と出逢っても不敵な顔で敵を見据え、冷静に退治を行っていた。そういう、いつだってポーカーフェイスを貫ける所も好きだった。たまに少しだけ覗く素顔の魅力が際立つというか。しかし初めて意図して向けられた素がこんな苦しげなものだなんて、そんなのいやだ。どうしたら伝わるのか、どうすればその顔をやめてもらえるのか。小さい頭を火が出るほど回して懸命に思案を巡らせていれば、突如として外から「吸血鬼がでたぞー!」という汎用悲鳴が聞こえた。ロナルドさんが瞬く間に表情を切り替え、赤いマントを翻して立ち上がる。入り口に立ち竦んでいた私の横を通り過ぎる間際「話はまた後で」と低く呟き、僅かに逡巡したのち私の頭に手を乗せた。
「……待ってる?」
「いえ、行きます」
 お茶でもだそうかと気遣う吸血鬼へ首を横に振る。退治をしている彼のことも大好きなので。
「我が名は吸血鬼Y談おじさん」
「またテメーかよ!」
「おや退治人(ハンター)くん、今宵は随分溌剌としてるじゃないか。在りし日のようで懐かしいね」
 少し遅れて追いかけた先で、ロナルドさんは金髪の男と相対していた。ああ、非常によく見る迷惑吸血鬼の一人だ。能力は知っているが、私自身が被害にあったことはまだない。いつもロナルドさんに守ってもらっていたから――切れ長の瞳孔と、視線がかち合った。「おやおやァ!」爛々とした赤い目が弓なりに歪む。
「大事な掌中の珠玉が隙だらけだよ、退治人くん――ということで波ァ!」
「しまっ――!」
 眩い光に腕で顔を庇う。しかし今まで見てきた限り、こんなものでガードはできないということは知っていた。「大丈夫か!」ロナルドさんが駆け寄ってくる。焦燥をありありと滲ませる彼を、口を抑えて見上げた。この吸血鬼の催眠は、口を開けばY談……性癖を言いたくなくても言ってしまうものだ。自分の口からいったいなにが飛び出すのかが分からなくて、恐ろしさに震える。が、その瞬間、あるアイデアが脳裏に閃いた。
「くそ、この変態こなくそダンゴムシおじさん……!」
「きみだってもうおじさんだろ」
 踵を返した風圧でドラルクさんを砂にしながら、ロナルドさんはY談おじさんに殴りかかろうとした。そんな彼らの間に割り込み、私はロナルドさんの前に踊りでた。
「ロナルドさん!」
「エッ、え、どうした⁈」
「い……インナーに張り付いた、鍛えられた腹筋。細かい古傷の張ったザラついた手のひら」
「へっ?」
 ぽかんとした彼に呼応するように、トレードマークの帽子がズレる。一歩だけ近付くと、ロナルドさんは青い目を瞬きでぱちりと一度隠した。
「彫りの深い面立ち。ぽってりした瞼、少したるんだ色っぽい涙袋。鮮やかな青を飾る下睫毛」
「……え、ぁ、あの、お嬢ちゃん――」
「低く掠れた渋みのある声。アメを咥える色素の薄い唇」
「っも、ちょ、だまろ! な⁈ 一回喋んのやめ――」
「たまに崩れるポーカーフェイス! 覗く無邪気な青年のようなはにかみ! 動揺を誤魔化したい時に一度する緩慢な瞬き! ニヒルを気取る可愛いところ! 勉強熱心で博識で、そのくせなぜか女性慣れだけはまったくしてなくて照れると耳が動くところ‼」
「どあああ⁈」
 ロナルドさんはらしくもなく絶叫したかと思えば、私の口へ手を押し付け、鼻までぴっちり覆った。革製の手袋は独特の匂いがしたし、少し苦しい。押し付けられた手は、手袋越しでも分かるほど熱を持っていた。目だけで彼を見ると、その相貌は衣装と同じくらい赤くなっている。
「なるほど考えたな。誠意ある真摯なY談告白とは!」
「ん〜、もしかして私これ、愛のダシにされた感じ?」
 まあ面白いからいいけど、と背後の吸血鬼が。いけヘタレルドくん! たまにはロナルド様(笑)らしく攻めてみろ! と前方の吸血鬼が囃し立てる。ロナルドさんは顔を茹で上がらせたまま前へ後ろへと目をきょろきょろ忙しなく動かし、「殺す、殺した」と零した。
「ん、む……」
「わ、悪い!」
 呼吸の苦しさを訴えるために口元の手を控えめに叩く。ロナルドさんは電気で弾かれたように素早く手を離し、物凄い勢いで両手を顔の横にあげた。
「はぁ……と、とにかく、そういうわけなんです」
「そういう……?」
「あ、あなたのせいで、私の性癖はこんなになってしまいました」
 宙にぴたりと固定されたままの片手を握ると、ロナルドさんはびくりと震えた。「お、おれ、のせい」たどたどしく私の言葉を復唱する。そこに普段の威風堂々さはもはや欠片もなかった。瞳を乙女のように潤ませ今にも泣かんとしている様子を見て、己の失言に気付く。こういうところを気にする細やかなところも好きだ。
「すみません、あなたのおかげといったほうが正確ですね。ありがとうございます」
「あ、う、え、あっ……どういたしまして……?」
「お、非常にいいY談との向き合い方だね」
「気にしいで女々しいロナルド君へのフォローとしてもばっちり」
 外野の鬱陶しさが今ならよく分かる。黙らせたい。私にそんな力はないけど。
 周りの声を遮断したくて、元から近かった距離をさらに近付けた。太鼓のような激しい脈動が繋がった手から流れてきて、えも言われぬ多幸感で頬が緩む。だって私のものも、同じようなものだったから。「ロナルドさん」呼びかけると、彼は逆上せあがった眼差しだけで返事をした。垂れた眦には涙が滲んでいて、厚ぼったい目元の皮膚のおかげで辛うじて零れていないというギリギリを保っていた。
「責任、とってくれませんか?」
 だって私たち、お互い好きなんでしょう?
 祈るように言葉を紡ぐと、大きく開かれた口が、声もなくふるふる戦慄く。そうしてやがて耳朶に触れた、「はひ……」という情けない返事とおずおず握り返された手に、私の方が先に泣き出してしまった。



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