事故ちゅう
詳細は省くがドラルクさんとキスしてしまった。赤い瞳と目が合った瞬間、不思議と時間が止まり、流れる空気に甘さが漂った。糸で引き合わされるように互いの顔が近付き、どちらともなく目を瞑った次の瞬間、静かに唇が合わさった。前後の事情など冷たい唇が触れた途端に頭から吹き飛んでしまったし、いずれにせよ、この際どうでもいいことだった。今ここで大事なのは、キスをされた――いや、したという事実のみ。
触れ合うだけの口付けは、永遠にも感じられた。私の熱を吸って温くなった唇が、最後に柔く啄んでから音もなく離れていく。名残惜しいと言われているように錯覚してしまいそうになり、つい心臓が跳ね、背中が粟立った。上げていた顎をぎこちなく下ろし、人差し指でやや冷えた自身の唇に触れる。し、してしまった。ちゅ、き、きす。キスを。流れで。付き合ってないのに! いや、私は好きなので嬉しいですけど!
そう、私はこのすぐ死ぬ吸血鬼であるドラルクさんが大好きだ。特に隠してはいないし、これはもはや周知の事実である。でもドラルクさんにこの気持ちを受け止めてもらえたことはない。むしろ鬱陶しげにされてばかりだったから、私のこと嫌いなのかな〜と、思っていたんだけど……なんか、こういう……雰囲気に流されてくれたってことは多少は憎からず思ってくれている……? あれ、そもそもなぜこんな雰囲気になったのだろう。目が合っただけなのに――。期待や疑問を胸に、先程から沈黙を貫いているドラルクさんを窺う――と、なぜか目の前には砂山が鎮座していた。
「吸血鬼なぜ死ぬ!」
動揺しながら、山頂に突き刺さっていたフリップボード――『For give Me』と書かれている――を取る。「いや……」ドラルクさんはのろのろと再生し、力無い声を絞り出した。下半身は依然砂のままだし、顔は深く俯いた上さらに両手で覆っていて、どんな表情をしているのかは分からない。
「こんな……こんなほぼ二百歳下のお付き合いもしていない子に同意なく流れにノせられてキスしちゃうとかいくら楽しいこと好きの享楽主義者な吸血鬼とてなけなしの倫理や良心が痛むといいますか今の複雑な心情を端的に表すとなるともう死ぬしかないというか」
ひと息の低く早いつぶやきはあまりにも読経すぎて、急に歌うよ〜し始めたのかと思った。ええとつまり。グダグダうだうだ巻かれたこの長い話を、簡単に要約すると。
「……イヤだったってことですか」
「は」
「私とキス、したくなかったんですか」
……なんて、聞くまでもないのに。なんでわざわざ聞いちゃったんだろ。自嘲しながら顎を引く。そりゃ、同意がなかったんだから。事故みたいなものだよね。事故、不本意――彼にとっては。それなら私も、なかったことにしなくては。望んでいないのならば、ちゃんと忘れなくては。
唇を噛み締めて、先の感触を痛みで上書きする。痛い、血の味、喉が苦しい、目が熱い。
「いやじゃなかった」
驚いて反射的にドラルクさんを見遣り、唖然とする。真っ赤に染まった目元が痙攣していて、同様に赤い耳先がサラサラと崩れていた。
「いやじゃなかったとも――それどころか」
彼は口を歪めて牙を剥き出し、長く息を吐きだした。
「……もっとしたくなっちゃったから困ってるんだよ」
ドラルクさんはくそ、と小声で言って片手で顔半分を隠す。その顔、そして一連の台詞の意味を一拍遅れて理解して、さっきとはまた別の感情の波に襲われ、再び呼吸が困難になった。顔、いや全身が熱い。もう心臓が発火してる気がする。
「……ちょっと。なにか言ってよ」
「えっなにか……? わ、忘れた方がいいですか?」
「エッ?! な、なんで?!」
「だ、だって、困ってるって言うから」
胸元で両手をぎゅっと握り締める。ドラルクさんが眉を下げ、ぱちぱちと数度瞬きをした。
「……忘れたいの?」
上目遣いの、おずおずとした、狡すぎる質問返しに口が戦慄く。返答なんて、分かってるはずでしょう! 怒りや羞恥で体が勝手に震えてしまう。堪らずほっぽっていたフリップボードを突き返した。
>>back
>>HOME