口約束


 事務所に遊びに行ったらドラルクさんの髪の毛が伸びてた。
「ひ〜〜〜?! 似合う! 妖艶! 畏怖すぎる! 写真撮らせて! え、なんで?」
「疑問が来るの遅すぎない?」
 ドラルクさんは呆れ顔を私が構えたカメラへ向けつつ「変身が妙な姿で固定されてしまってね」と教えてくれた。へえ、そんなことがあるんだ。
「質量保存の法則は?」
「んなもん今更だろう」
 ドラルクさんは軽く肩を竦めた。まあたしかに。吸血鬼とっても不思議。否素敵。おしりまで髪の伸びたドラルクさんが拝めるなんて。恍惚としながらいつになく畏怖い恋人をパシャパシャとカメラに収めていく。普段も黙っていればそれなりに畏怖いが、しかし今の畏怖度はエグい。カウンターが壊れる。眉間に皺を寄せて若干不機嫌そうな顔をしているのもまた――……ん? 不機嫌?
「……きみが長髪フェチなの、初耳なんだけど」
「フェチというか……まあ漫画とかで好きになるキャラは長髪が多い気がします。でも三次元の長髪はそんなでもないです――が! ドラルクさんの長髪はめっちゃくちゃに良い、最高。あと単純に恋人のSSR引けたのが嬉しい」
 別に長髪ならなんでもいいわけじゃない。あなたの長髪だからこそこんな大興奮してるんですよ。好きな人の新たな一面が見れたのだから、有頂天にならないわけがない。
 分かりますかと滾る思いをそう熱弁したが、ドラルクさんは「ふうん」と興味がなさそうな相槌を打った。聞いてきたのはそっちのくせに。しかしその口元がむずむずと動いたのを、私はしっかり見ました。満更でもないんだろうな。弄れたいいカッコしいの彼だが、その根本は愛されて育った深窓の令嬢――令嬢?――なのだし、嬉しい気持ちを押し殺すのには慣れていないのだろう。別に隠さなくていいのになあと思う。変に紳士ぶったり、格好つけなくったって、幻滅したりしないのに。そういう健気な所もかわいくて好きだけれど。付き合って数ヶ月、そろそろ皮を被り続けるのもきつくなってきたのでは、とみている。最近は素直に赤面をみせてくれるようになってきているから。……もっとも、当のドラルクさんは気付いていないようだが。気を許してくれてる証拠。距離が近付いている証。あーほんとかわいいな〜。
「……きみ、なんかよからぬ事を考えないか?」
「まさか! 素敵な絹髪だなぁと思っていただけですよ」
 本当か? と疑うようにドラルクさんは目を眇めて首を傾けた。その動きで髪がさらりと流れたのでうっとりと見惚れる。その様子にひとまずは納得したのか、ドラルクさんは少し顎を引いて、垂れた艷めく毛先をくるくると指に巻き付けて「ほんとに伸ばそうかな」と私にとってはこれ以上ない甘言を呟いた。
「えっ是非!」
「でもこんな長さまで伸ばすの、大変だろうなぁ。手入れも面倒そうだし……シャンプーするだけで腕が死にそう」
「お手伝いしますよ!」
「えっ」
 私も長く伸ばしたことはあるから、長髪のシャンプーはかなり大変だということは知っている。でも私の要望でこうして検討してくれてるのだから、私に出来ることならなんでもやる所存だ。
「……じゃあ、乾かしてくれる?」
「もちろん!」
「寝癖がついたら?」
「直します!」
「――そう! なら早速頼もうかな」
 急に溌剌と輝かんばかりの笑顔を浮かべた彼に戸惑った。早速? これから伸ばすという話では? 意味が飲み込めず目を瞬かせていれば「予行練習がてらね」と補足が入る。なるほど……なるほど?
「この家のお風呂は狭いけど、ま、くっつけばどうでもなるよね」
「はあ……は? 風呂?」
「そうだよ、髪を洗うならお風呂場だろう」
「あ、そ、そうですね……?」
 この事務所のお風呂場って人二人が立てないくらい狭いんだ……。お風呂場の中になど踏み入ったことは当然なかったため知らなかった。「そうだとも」爽やかにそう笑うドラルクさんに、どうしてだろう、なんとなくすごく含みを感じる。
「ああ、それからきみの着替えはね、実は前々から用意してあるんだ、こんな時のために」
「着替え?」
「寝巻きとか下着とか」
「なんで?!」
 待って、いつの間にかお泊まりする流れになってる! 髪洗って乾かしたら普通に帰りますけど?! 半ばパニックになる私に、ドラルクさんがぬっと覆い被さってきた。長い長い髪が檻のように降ってくる。暗くなった視界の中、緋色の瞳だけが爛々としていた。息を飲んで感情の読めないドラルクさんを見つめていれば、不意にプツ、と小さな音が耳朶に触れる。
「?……ギャア?!」
「ギャアて。もうちょっと色気のある声をあげたまえよ」
 ドラルクさんはやれやれと何事も無かったかのように離れていくが、いや、いや! 自分を抱き締めるように腕を回し、心もとない胸元を必死で抑え隠す。
「いま、むね、ブラ!」
「うん? お風呂に入るんだから外すだろ? ちょっと手伝ってあげただけさ。いやなに、感謝はいらないよ。なにせ私もこれから“散々”、そして“いろいろ”手伝ってもらうことだしな」
 いけしゃあしゃあと捲し立てられ、返す言葉を見つけられず、私はただ口を震わせることしかできない。え、お風呂ってそういうこと? え? 『くっつけば』という先程の彼の言葉からついそれを想像してしまい、顔に熱が集まってくる。む、むり! 
「わた、わたしはあの――び、美容師スタイルであなたの御髪をですね……?」
「やだ」
「やだ?!」
 私はどうやら、とんでもない約束をしてしまったようだ。そんなつもりじゃなかったんだけど。私はただ純粋にドラルクさんの髪を伸ばすお手伝いをしたくて……。若干の後悔で無意識のうちに踵がじり、と後退した。そんな私の手を、ドラルクさんが掬い上げるようにするりと握り、指を絡めてくる。
「じゃ、行こっか」
 有無を言わさぬ声色に、今からやっぱなし、は到底無理だろうなと悟ってしまった。

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