停滞を知らない



「――やめてくださいッ! そういうのは嫌なんです!」

 うん、知ってる。
 身を割くような金切り声にそう思ったけれど、音にはしなかった。伝えてしまえば恐怖でまみれた浅い呼吸がもっとひどいものになるだろうということは、想像にかたくない。レムナンは歩き方を忘れてしまったかのような動きでドタバタ慌ただしく床を踏み締め、動力室を飛び出していった。

「……別に、取って食ったりしないのに」

 低い唸り声をあげる動力炉とふたりきりになってしまった動力室で、呟いて苦笑する。まあ、自業自得なんだけど。
 いつものごとく、仲の悪い人として『レムナン』を表示させた銀の鍵に、肩を落とした。




 レムナンを好きだと気付いたのは、いつの頃だろう。ループを始めてどれくらい経ってからだろう。きっかけは何だっただろう。もうなにも覚えていない。ただ私の特記事項には『レムナンが好きだ』という項目があるのだろうなと確信を持ってしまうほどには、彼への気持ちは私の中で確固たる想いになっていた。


 私もレムナンも同じ人間陣営であり、尚且つ私が議論中に彼を庇ったり好意を示すことで、この『レムナンビビらせ』イベントは発生する。『レムナンの振る舞いに嘘を感じない限りはとりあえず庇う』というスタンスを基本取っているため、レムナンにとっては悲劇なことに、イベントの発生率はそこそこ高かったりする。

 庇うのを我慢できないのならせめて返答を変えてあげればいいのに、とは自分でも思う。地雷と分かっていて飛び込みにいくなんて煽りでしかない。彼のいる動力炉へ向かう度、今回こそはと思っている。
 けれどレムナンを前にして、そして庇った理由を問われたら、気が付くと口が勝手に「好きだから」なんてもはやお決まりとなった本音を零してしまうのだ。何十と繰り返してもこれだから、もうそういうものとして諦めるしかないのかもしれない。唯一にして最大の被害者たるレムナンには本当に申し訳ないけれど。




 レムナンに告白――と言っていいのかよく分からないけど――した夜以降の議論に参加するのは、なんだかんだ初めてかもしれない。そんなことを考えながら、エンジニアやドクターの報告に耳を傾ける。これまではこのイベントが起これば私かレムナンはグノーシアの襲撃を受けるか、コールドスリープされて終わったりすることしかなかった。

 さて、レムナンに告白した世界での続きを許された私が翌日の議論でなにをするかなんて、もうお察しだろう。
 私はそれ以降の議論でもレムナンを庇い続けた。私にとってはレムナンが人間陣営なのは確定しているのだから、おかしいことはない。庇いつつも、グノーシアの正体捜しにも注意を配り、時には怪しい人物へと疑念を向け積極的に議論に参加した。レムナンからの物言いたげな視線はずっと感じていたけれど、私はなるべく目を合わせないようにした。できる限り近寄らないようにした。庇うくせに当の庇った相手を避けるなんて、事情を何も知らない人達の瞳にはさぞ異質に映るに違いない。だが仕方ないのだ。

 だってレムナンは、『そういうの』が『嫌』だから。
 だから本当は庇われることさえおぞましく感じているかもしれない。しかし無実が確定している想い人が凍らせられるのはしのびないし、庇うのを止めることはできない。
 だからせめて、極力関わらないように。

 レムナンの瞳から逃げるのも、夜の自由時間に動力室へ足を運ぶのをやめたのも、全てはそういう私なりの配慮だった。




 守護天使の奮闘の甲斐あって、議論は八日目にまでもつれ込んでいた。乗員たちの顔にも疲れが滲み始めている。
 今回のループが始まってから一週間以上経っているというのに、乗員はまだ五人も残っていた。

「セツさん……です。僕が、変だな、と思うのは」
「……いや、セツは大丈夫だ」

 エンジニアもドクターも不在となり硬直していたこの場で、一番最初に議論の口火を切ったのは意外にもレムナンだった。セツは慌てて否定することもせず、落ち着き払った様子で周りの反応を冷静に窺っていた。そんなセツの代わりに、私が声を上げる。するとテーブルを見つめていたレムナンがびくりと白い肩を揺らし、弾かれたように顔を上げた。紫の瞳には失望じみた色がちらついていて、どうしてと訴えかけるように揺れていた。予想だにしていなかった反応に私も驚いて口を噤んでしまったが、レムナンの瞳はすぐさま敵意を露わに細まった。

「でも、昨夜消えたのはククルシカさんで……自然に考えれば、怪しい人はもうセツさんしか……」
「セツを疑う証拠としては不十分だと思うな」

 今回のループは乗員十五人のグノーシア四人で、初日の時点でエンジニアとドクターはそれぞれ二人ずつ名乗り出ていた。役職持ちである四人全員がすでにコールドスリープや消失によりこの場にはいない。エンジニアかドクターの中にはAC主義者とグノーシアがそれぞれ紛れていたはずだから、最低でも敵陣営五人の内二人は排除できていると考えていいだろう。
 それに、残りの乗員総数が五人となった現在でも議論がまだ続いているということは、少なくともグノーシア過半数には至っていない。残っているグノーシアは多くても二人、運が良ければ一人だ。

「“最悪”を考えて動くべきだと思う」

 けれどもしグノーシアがまだ最大数の二人残っていて、それで今日のコールドスリープを外してしまえばもう終わりだ。そもそも残り五人になるまでグノーシア反応を消滅させられていない時点で、私たちはかなり崖っぷちにいる。そんなギリギリの現状の中で私目線確定白のセツへコールドスリープ枠を割くのは、賛成も納得も到底できなかった。


 私が懇々と説明すれば、レムナンは目線だけで呪い殺そうとするかのように激しくこちらを睥睨した。想い人から向けられる憎悪がどろりと煮詰まった眼差しに、胃がギリギリと締め付けるように痛んだ。久しぶりのまともな会話がこれって、ハハ、しんど。

「……本当に、気付いてないんですか? 僕は……セツさんが……怖い、です」
「……私は沙明が怪しいと思う。昨日からろくに議論に参加しようとしないのは何故?」

 言葉とは裏腹に、その声は力強い。セツの顔も強ばっていた。強気に食い下がるレムナンを珍しく感じながら、私は存在感を薄めるように息を潜めていた沙明へと矛先を変えた。沙明は先日セツが提案した『人間だと言え』という指示に従わなかった内の一人でもある。

「……土下座リターンズとか、興味ねえ?」
「ないから大人しく凍って、沙明」

 ギリギリだったが、この日のコールドスリープは沙明に決まった。結局レムナンの抱くセツへの疑念を拭うことは最後まで出来なかったけれど、でもとにかくセツを守ることはできたから、及第点といってもまあいいだろう。
 遠ざかっていく足音たちが完全に途絶えたのを確認して、私はテーブルに突っ伏した。

「つっかれたあ……」
「お疲れ。……その、ありがとう、私のために」

 船員たちが散り散りとなり、メインコンソールの中でセツと二人だけになった。ずっと張り詰めていた気がプツンと切れ、私はテーブルの上にべしょっと潰れてしまった。セツが困ったようにはにかんでいるのが顔を上げずとも分かったので、顔を伏せたままヒラヒラと手を振る。

「私は先に戻ってるよ。きみも早く部屋で休むといい」
「ん……おやすみ……」
「ああ、おやすみ」

 私の頭を控えめに一度撫でてから、セツは部屋を出ていった。私は深い溜息を吐いて、瞳を閉ざして、テーブルへ額を押し付けた。ひんやりしてなんだか気持ちよくて、知恵熱が出てる気がするなと思った。
 ああ、久しぶりにめちゃくちゃ喋った。喋り過ぎて私が凍らせられるんじゃないかとヒヤヒヤするほど喋った。事実私にも票が入ったし、かなりの綱渡りだった。今夜消されるのは私かもなぁ、とぐったりと脱力する。レムナンの恨みがましい視線も精神かなり削られたし……。

「――どうして」

 私以外誰もいないはずなのに、突として耳朶を打った声音に飛び上がりながら振り返る。振り返った先では、メインコンソールからのたった一つの出入り口を塞ぐように、レムナンが立ち尽くしていた。

「どうしてセツさんに投票してくれなかったんですか」
「私はセツを疑ってない。疑ってない相手へ投票なんてしない」

 私の方にだってなぜレムナンがここにいるのかとか、私と二人きりなんて大丈夫なのかとか、聞きたいことはあった。けれど話の内容が議論についてだったので、議論モードが抜けきっていなかった頭には抵抗なくするりと入ってきた。
 動揺もそこそこにしてきっぱり答える。レムナンはぐしゃりと顔を歪め、不貞腐れた子どものように、「どうして……」と同じことをもう一度低い声で呟く。銀髪の奥から覗く紫は、非難でじっとりと湿っている。

「昨晩消失したのはククルシカさん、です。ククルシカさんは、消失する前日の投票でセツさんに票をいれていました……それを踏まえると、怪しいのは必然的にセツさんということになる、と……思い、ます……僕は……」

 たしかにセツは、このループの序盤からククルシカと対立していた。特に根拠も提示せず隙あらばそれぞれへと嫌疑を掛け合う二人の姿は、船員たちの目をかなり引いていた。
 でも私は、グノーシアだとかAC主義者だとかはもはや関係なく、ただ単純にお互い虫が好かなかっただけだろうと推測している。ククルシカは気分で動くことはままあるし、セツだってごく稀に理屈を無視してパッションだけで行動することがあると、度重なるループで学んでいた。『我慢できなくてやってしまいました』、とか。

「……――さん。僕の話、ちゃんと聞いてますか」
「聞いてるよ」

 議論そっちのけでバチバチ睨み合う相棒とククルシカを思い出して苦い気持ちになっていれば、やや棘の感じる声で話しかけられた。鼻の付け根にはギュッと皺が寄り、不機嫌そうな顔つきで睨まれている。蔑ろにしていると思われてしまったのかもしれない。

「うーん……でも、グノーシアがセツへ票を集めようとしたとは考えられない?」
「え……」
「消失対象の投票先へは疑いをかけやすいし、自分たちから注目を逸らすこともできる。ごく自然に」
「……それは……でも……」
「それにセツが怪しくないと考える理由はまだあるよ――これを見て」

 端末を取り出して、ここ数日の投票結果一覧画面を表示させる。レムナンは困惑気味に少し躊躇していたが、やがて渋々といったように私の隣へと腰を下ろした。
 私は五日目の投票でコールドスリープが決まったコメットを指差した。コメットは、エンジニアとして名乗り出ていた。

「セツは初日からずっとコメットに投票されている――五日目の報告で破綻してグノーシアと証明されたコメットに」
「あ……」
「身内切りにしては判断が早すぎるし、五日連続ともなると適当に投じた票とも考えづらい。だからセツとコメットこそ敵対している……そう思えない?」
「……そう、ですね。たしかに……筋が通っている、ように聞こえは、します。……でも、あくまで聞こえる“だけ”で……それが本当だと証明する方法はありません、よね。あなたがセツさんを信じたい、と思ってるから成り立つだけの仮説です」
「そうだね、たしかに第三者へ対する確実な証明方法は持ち合わせていないかな」

 あっさり肯定すればレムナンはますます目を険しくさせた。レムナンは基本的に俯きがちで積極的に人と目を合わせようとしない。けれど不満や不快感を表明する時は、宣戦布告とばかりに桔梗色の瞳を仄暗く蔭らせて、相手を鋭く射貫く。私はレムナンのそういう、自分に正直なところも好ましく思っていた。

「どうして、セツさんをそんなに信じるんですか」

 レムナンが一度抱いた警戒心はそう易々と解けたりしないし、彼が頑ななのだっていつも通りだ。けれどここまで口数が多いのは珍しいことだった。好感度が高ければその限りではないが、今の私は嫌われているはずだ。銀の鍵なんて見るまでもない。というか見ると心が落ち込むから初日以降確認していないけれど。しかしこれっていったいどういう状況なんだろう。疑問を抱きつつ、私は言葉を探して口を開いた。

「繰り返しになってしまうけど、やっぱり私はセツを怪しいと思えないからだよ」
「……つまり、じゃあ」

 レムナンは少し押し黙った後、ぽつりと呟く。私へ向けられた声も瞳もどこか冷ややかで、けれど全身にまとわりついてくるような――ともすれば不気味とも感じる粘つきを伴ったものだった。

「――さんは……僕よりセツさんが好き、ってこと、ですか」
「え」
「僕よりセツさんが好きになったから……だから、僕のことを信じてくれないんですか」
「は、なに――ち、違う!」

 何を言っているんだと感情のままに声を荒らげる。叫んだ直後に驚かせたかもと胸が冷えたが、そんなものは杞憂だったようで、レムナンは先程と変わらぬ硬い声で「違わないです」と返してきた。
 
「だって、そう、でしょう……。僕の言うことを信じてくれないのは、もう、そういうことなんでしょう……」
「そ、っ――はあ? なん、なにを……」

 拗ねたように床へと落とされていた目が試すようにちらりとこちらを捉え、またふいと逸らされる。相手へ甘えるような、隙だらけの仕草を無意識に見せてくるレムナンに眩暈がした。なんてひどい言いがかりだろう。無神経であんまりな言葉過ぎて、まともに喋ることができない。小さな脳内では、なんだそれふざけるなどうしてそんなこといったいなんのつもりで――といった怒りや混乱がぎゅうぎゅうにひしめき合っていた。
 いっそのこと言ってやろうか。私が何回あなたに告白して、その好意でどれだけのあなたが傷付いてきたかを、できることなら教えてやろうか。

 衝動を抑えるように息を長く吐き出す。「レムナン」名前を呼べば、レムナンはのろのろと顔を上げた。

「私は今でもレムナンが好きだよ、本当に。セツは大事な人だけど、でもそれはレムナンに向ける思いとは違うものだ。――でもそもそも、私は好きだからって全肯定なんてしない」
「……え」

 むっつりとした顔を崩して、レムナンは面を食らったように瞳を瞬かせた。

 盲信が愛ではないことを、三桁にも及ぶループを繰り返した私はもう知っている。そりゃあレムナンになら騙されるのも吝かではないかな、とか思っていた時期がないとは言わない。嘘に気付いたけれどそれを指摘せず、そのままグノーシア汚染された彼と深宇宙までランデヴーしたことだってある。バグとなった彼と宇宙の崩壊を見届けたこともある。でも後になって思うけど、見ないふり知らないふりで成り立つ関係はやっぱり歪だ。

「私はこれからもレムナンのことが好きで、レムナンのことを信じている。それでもレムナンが間違っていると思ったら間違っていると指摘し続ける」
「な……ん、ですか、それ……」

 ぽかんと開いていたレムナンの唇が、ぎゅっと引き結ばれる。言葉よりもずっと雄弁な眼が、じっと不満を伝えてくる。

「……本当に僕のこと、好きなんですか」
「本当に好きですとも」

 応える気もないくせに残酷だなと思いつつ、笑いながら言葉を舌に乗せる。レムナンが「セツさんは信用できません」と唇を尖らせるので、「そういう執念深いところも好きだよ」と柔らかく言の葉を紡いだ。






 ……まあ、散々それっぽい理屈をつらつらと並べ立てはしたが、結局のところ私がセツを疑わない理由なんて、『今回のセツは“守護天使”だ』と最初から教えてもらっていたからに過ぎない。

 未だ納得いかなそうに「意味が分からない」とボソボソ言ってるレムナンには、とても教えられないが。






 そうして迎えた翌朝。セツが消失したという報せに、レムナンは抜け殻のようになってしまった。



【結果を表示します】




配役想定
読まなくても大丈夫です

《グノーシア》
コメット、シピ、沙明、ジナ

《エンジニア》
ラキオ

《ドクター》
オトメ

《守護天使》
セツ

《AC主義者》
ジョナス

《留守番》
SQ、ステラ


土下座CS見送り・グッジョブ三回有り
ジョナスがドクター騙り
騙りとして出たグノーシアはコメットだけ
ラキオに黒出しした後日にラキオを消したので破綻した

八日目まで残ってたのはプレイヤー、セツ、レムナン、ジナ、沙明

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