周回軌道革命



「……すいません、好き、です」

 気恥しげに逸らされた瞳に、睫毛の影がふんわりとかかる。お腹の辺りで組まれた手は、相当の力が篭っているのか白くなっていた。

「……は?」

 場所はグリーゼ、革命軍拠点の中庭。小鳥の楽しげな囀りに、愕然とした私の声が混じる。

 空は青く風は柔らかい、そんな穏やかな昼下がりのことだった。




 乗員全員の記憶からセツという存在が残らず消えていることを知った私は、突き刺さる視線も気にかけずわんわん泣きじゃくっていた。そんな私へ「ちょっと来なよ」と居丈高に顎をしゃくった人物が、ラキオである。グズグズ泣く私を自室まで引っ張って、私の語りに逐一指摘や小言をいれたりしつつ一通りの事情を聞き終えたラキオは、顎へ手をやり少し思案した後、「とりあえず今日はもういい」とだけ言って、私を部屋から追い出した。私が言うのもなんだけど、ほぼ初会話の相手に対する態度じゃない。ループ関係なく絶好調なラキオ節に涙も引っ込んで、なんなら少し笑ってしまった。
 ラキオに「銀の鍵の研究をするから君はグリーゼで下船する」と言われたのは、それから数日経った頃だった。提案ではなく確定事項だった。なんの相談もなかった。「下船及び入国に関する手続きは済ませておいてあげたよ」なんてやれやれとばかりに肩を竦められ、マジかこいつと思った。けれど実際のところ私に断る理由はなく、むしろありがたい話だった。記憶喪失だから帰る場所も分からないし、ラキオの研究成果次第では、セツとの再会も夢じゃないかもしれない。私は素直に頷いて、これからもよろしくという意味で握手を求めた。差し出した手は一瞥ののち鼻で笑われ、マジかこいつとまた思った。

 なにはともあれ、私はこういった経緯でラキオとともにグリーゼへ下船することになった。
 けれどグリーゼに降りる、つまりラキオに着いていくにあたり、一つだけ避けて通れぬ問題があった。それは、一緒にグリーゼで下船することになるレムナンという青年の存在だ。

「……やるか」

 覚悟を決めた私が動力室の扉を開くと、動力炉に寄りかかっていたレムナンが「ヒッ」と悲鳴を上げて姿勢を正した。扉を開いたのが私だと分かると、レムナンは安心したように肩の力を抜いた。
 今のレムナン――というより船員たちに当然ループの記憶はない。けれど平行宇宙で散々関わった私へなにか感じることがあるのか、基本彼らは私へ対してほんのちょっぴり友好的に接してくれる。それは警戒心の強いレムナンでさえも例外ではなかった。
 分かりやすく眦を垂らしたレムナンに罪悪感を覚える。これから口にする言葉は、確実にレムナンからの信用を失うものだと分かっていたからだ。

「ごめんレムナン、きみが好きです!」
「え……」

 入口から一歩も動かないまま宣言すると、レムナンは言葉を咀嚼するようにゆったりと瞬きをする。そうして徐に見開かれた瞳と、彼がヒュッと息を呑んだ音に、私は自身の言葉が正しく彼へと届いたことを理解した。
 顔を真っ青にしたレムナンが、逃げ出そうとするみたいに俊敏に立ち上がる。膝に広げられていた夕食代わりの栄養食が、ボロボロと床に転がっていった。

「どっどうして――やめてください! 僕そういうのは――」
「『嫌』だよね、知ってる――……なんとなく分かるよ」

 私がこうしてレムナンへ想いを告げるのは二度目だった。一度目は言わずもがな過去のループでだ。夜の動力室で「なぜ自分を庇うのか」と尋ねられたので、私は馬鹿正直に「好きだから」と答えた。レムナンが異性もとい恋愛を嫌悪しひどく忌避していると知ったのはその時だ。レムナンの過去を思えば当然なのだけれど、しかしそれにしても、なすごい勢いで拒絶され、翌日からは票さえ入れられ速攻でコールドスリープされた。ループして自室で目を覚ました時はしばらく呆然としたし、少し泣いた。
 何回かあとのループで再びレムナンから同じ質問を受けた私は、今度は気持ちをオブラートに包むことにして、「信じてるから」と伝えた。これが正解だったらしく、今度は過剰に拒絶されるということもなく、無事彼の特記事項も埋めた上で恙無くループを終えることができていた。

「なら、なんで……!」
「でも私たち二人が二人ともラキオに着いていくなら否が応でも今後の関わりが増えると思うし、レムナン相手に隠しておける気もしないし。だったら最初から伝えておいた方がいいかなって。ほんとごめんね。でもこれからもよろしく!」
「っ、そんな、そんな……む、むりです……!」

 何百とループしても好きな気持ちが変わらないのに、今後一緒にいて好きじゃなくなる未来が見えない。それに、仲良くなってからレムナンに『好意を隠して近付かれた』『裏切られた』とは思われたくない。
 ならばいっそ、最初から開き直ってしまおう。それが私の選んだ結論だった。せめてこれ以上仲良くなる前に伝えておけば、お互い傷は浅く済むだろう。大きな動力炉に身を隠したレムナンの顔にはすでに絶望の色が濃く滲んでいる。私はもう一度だけ謝罪してから、踵を返して動力室を後にした。


 グリーゼの政治体制に不満を抱いたラキオとともに、レジスタンス活動を行うことになった。
 非情ではない(本人は絶対に認めないだろうが)けれどラキオは基本的に効率重視で動く。革命軍の指揮官となったラキオは、こちらの事情を一切考慮せずばかすか指示をだした。レムナンは私と同じ任務を命じられるたびあからさまに怯えたし時にはラキオに抗議までしていたけれど、リーダーなのに抗議の尽くをガン無視されていて少し可哀想だった。

 私はレムナンへ対してフラットに接した。なるべく二人きりにならないよう配慮したし、どうしても仕方のない時は、迅速に任務や司令を遂行してレムナンを解放した。男女のそれらしい甘さを匂わせることは決してしなかった。もとより恋人になりたいなどとは望んではいない。ただ好きでいさせてくれればそれだけでよかった。
 ともかく、告白をなかったことにするつもりはなかったけれど、レムナンへ対しては、まるで元からなにもありませんでしたというふうにさらっと、しれっと、ただの一仲間、一友人として接した。

 そんな努力の甲斐あってか、レムナンの私へ対する態度は、ゆっくりと軟化していった。

 
 レムナンは暇さえあれば細やかな機械の類が大量に設置された通信室に篭っていた。放っておくと寝食を忘れるほど熱中するので、私は時折様子を見に足を運んでは、差し入れをしたりして休憩するようにと促した。

「――あの……い、一緒に、どうですか……もし、よければ……」

 その日も私は通信室を訪れていた。いつものように食事を渡して出ていこうとした所を、レムナンに引き留められる。まさかの提案にびっくりはしたけれど、私はすぐに「じゃあ」と笑って近くの丸椅子を引き寄せて、レムナンからほどほどの距離に腰を落ち着けた。彼から任務外で話し掛けられたのは、グリーゼに降り立ってからのこの数ヶ月の間で、初めてのことだった。

「よく、ここで会いますよね。もしかして、――さんも、機械、好きですか」

 私がよくここに来るのは機械が好きだからではなくレムナンがいるからに他ならないのだが、肝心の本人は気付いていないらしい。いいんだか悪いんだか……この場合はよかったかな。足繁くこの部屋に通う理由が邪なものだと知られてしまえば、ここまで持ち直した好感度が水の泡になりそうだ。

「三度の飯より機械が好き」
「そうなんですか? うわぁ、嬉しいなあ……!」

 パッと相貌を綻ばせたレムナンは、子どものようにはしゃいだ様子で、装置についてつらつらと語り始めた。予想以上に喜ばれて目を見張る。前回聞かれたときは『よく分からない』と答えてしまったけど、こんなレムナンが見れるなら好きだと言うべきだったかもしれない。

「それで……――あ……ご、ごめんなさい。勝手に、夢中になって、しまって……」

 私が黙っていたせいか、レムナンははたと口を噤んで笑顔を消し去った。話し相手の態度としては零点だったよなぁと反省しながら、「こっちこそごめん」と眉を下げる。

「興味はあるんだけど、詳しくはなくて。でもレムナンの話を聞くのは好きだよ。好きな人の好きなものを知れるのは嬉しいし」

 少し身を乗り出して、髪を耳にかけながら装置を覗き込む。細々したボタンがびっしり並んでいて、どれがどれだか私にはてんでわからない。さっきレムナンは装置の機能についてだけじゃなく、造形についても絶賛していた。興奮気味に「この機器に敢えてこの素材を配置するセンスが……」と言っていたのを思い出し眺めてみるが、機械初心者の私が理解するにはまだまだ知識が足りなそうだ。
 ラキオは分かるのかな、なんて考えていれば、空気が動いた気配を感じた。何気なく顔を上げ、予想以上に近い距離にあったレムナンの相貌に、私は咄嗟に息を詰めた。透けるような紫色に、ドクンと心臓が鳴る。あれ、こんな近くにいたっけ。
 どうやらレムナンも装置を覗き込もうとしたらしい。私が急に顔を上げたから、こんな事になってしまった。レムナンも目を見開いて固まっていた。けれど逃げようとしたり、怯えたりするような素振りは少しも見せなかった。驚きすぎてそれどころじゃないのかもしれない。

「ごめん、わざとじゃないんだ」

 動こうとしないレムナンにかわって、惜しく感じながらも私の方から身を引く。「あ……」とハッとしたような音が彼の口から転がった。

「……いえ、僕も、その……変でした」

 椅子に座り直したレムナンは、落ち着かない様子で瞳を泳がせ、襟元をぎゅっと握り締めた。変とは。私も彼も別におかしなことはしてない、事故みたいなものだろうに。私は真面目な彼を慰めるつもりで口を開いた。
 
「レムナンは機械にすごく詳しいんだね」
「……機械の側にいると、落ち着くんです。慣れて、いるので……」
「そうなんだ?」

 素知らぬ顔をして首を傾げると、レムナンは前のように過去についてを語ってくれた。

「あの頃は、とても……楽しかった、です。……でも、今も……楽しい……かも、しれません」
「? そう、よかったね」
「はい……」

 ちらりと視線を寄越される。妙に熱心に送られる視線の意味は分からなかったけれど、レムナンが楽しいなら私も嬉しい。再び俯くレムナンの目元は、なんだかほんのりと紅く色付いているように見えた。





 というやりとりをしたのが、一ヶ月ほど前。
 そうして話は、冒頭へと戻る。

「き、聞いてない」
「えっ、それは……は、はい。い、今初めて言いました、から」
「……あの、それって……」
「……?」

 それは、同じく革命を志す仲間として?
 そう尋ねようとして口を閉じる。熱が篭った瞳に、赤く染まりきった頬。こんなにわかりやすく示してもらっているというのに、そんな無神経な質問はさすがに口にできなかった。

「う、うっそだぁ?!」
「ち、ちがっ……! う、うそなんかじゃないですッ……!」
「えぇ……?」

 ……できなかったけれど、信じられるかといったらまた別の話だ。
 だってレムナンはそういうの嫌って言ったじゃん。私のこと嫌悪感だけでコールドスリープするくらい全力で拒絶したじゃん。コールドスリープなんてループ中に数え切れないほどしてきたがあの時ほど哀しく寒かったコールドスリープはない。

「あの、――さん」

 遠い過去に思いを馳せ現実逃避していたが、ざり、と土を踏みしめる音にハッとして足を引く。途端レムナンも動きを止めた。

「ち、違うから!」
「え?」
「レムナンが嫌ってわけじゃない!」

 レムナンの顔が泣く寸前のように歪むので、焦燥に駆られてつい叫ぶ。何を言おうとしているのか、自分でもわかっていなかったけどとにかく拒絶したと思われたくない一心で言葉を紡いだ。

「嫌じゃないし、私はずっと好きだったしう、うれしい、嬉しいよ、もちろん……でも、ただ私――その、だって――れ、レムナンにそんなこと言われる日がくるとか、私夢にも思ってなくて……!」
「そ、そんなこと……?」
「いやだから、その…………す、すきとか」

 言葉にしたら一気に羞恥心が湧きあがってきて、たちまち顔が燃えるような熱を持った。レムナンがそんな私を驚いたように見つめていたので、私はよろけるように数歩後退りながら、腕で真っ赤になった顔を隠した。

「だ、から、うれしいけどは、恥ずかしくて……しにそう」
「……は、」
「まってだめだほんと……みないで……」

 途中からはもうパニックなっていて、言わなくてもいいことまで言ってしまった気がする。今や私の方が泣きそうになっていた。なんとか懇願を絞り出すと、レムナンが息を呑む音がした。

 だって好きな人が好きになってくれる日が来るなんて、本当の本当に思ってもいなかった。想像したことすらなかったのだ。こんなの受け止めきれない、完全にキャパオーバー。予期せぬ所に供給された過剰な幸福に脳がバグって、有り得ない速さで心臓を動かしている。もう立っているのもやっとで、気を抜けばこの場にへたりこんでしまいそうだった。

「――さん」
「……えっ?! やだなに、こないでやだちょ、止まっ――!」

 こちらへ歩いてくる音に顔を隠したまま後ろへ逃げる。足音は待ってくれないしすぐに壁に背中がぶつかり、あっという間に逃げ場がなくなった。視界を閉ざしていても自分の体がレムナンの影に入るのがなんとなく分かって、その距離感にまた体温が上がる。身を縮こませて震えていれば、手首の辺りをそっと触れるものがあった。

「は、え、なに、」
「顔、見せてくれませんか」
「や、むり、なんでそんな――は、はなして、レムナン、手やめて」
「ごめんなさい……おねがい、します」

 みせて。

 吐息だけで囁くように請われてしまえば、もう私に拒否権などないも同然だった。握られていただけの手を、のろのろとした動きで避けていく。そうすれば褒めるように手首の内側をすりと親指で撫でられ、悲鳴を上げそうになった。ほんとやめてそういうこと。ああもういっそレムナンがしてくれればよかったのに。レムナンが無理やり外してくれればよかったのに。それをあくまで私に委ねてくるなんて、なんの辱め? なんの拷問? レムナンにはそんなつもりないのかもしれないけど、でもほんと、この人ほんと……。

 時間をたっぷり要してようやく露になった私の顔を、レムナンはそうっと覗き込んだ。「わあ……」心做しか弾む声音になにがわあだよと思ったが、口を開けば嗚咽が飛び出していきそうだったので必死で唇を噛み締める。
 しばらくじっと私を見つめたレムナンは、眉を下げて、ふにゃりと顔を溶かすようにして笑った。

「僕も、あなたが好きです」

 鼓膜を優しく揺らした聞いたこともない甘い声に、目の縁に辛うじて留まっていた涙が、火照った頬を音もなく滑っていった。
 

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