告白予行練習


 近くに寄る用事があるので、せっかくだからお伺いしてもよいですか。
 とロナルドさんにメッセージを送ったら、二つ返事でオッケーしてもらえた。同じ市内に住んでるし近くに寄るもクソもないのだが、ロナルドさんはやさしいのでそこはスルーしてくれた。天然なところもあるから、もしかしたら気が付かなかったのかも。同居人の吸血鬼が余計なことを言わなければいいのだが。
「あれ、いらっしゃらない……?」
 しかし意気揚々とデパ地下の手土産を片手に向かったが、事務所には誰もいなかった。この時間は依頼もないと聞いていたのだが……。端末を確認してみるも、特に連絡はきていない。突然用事ができてしまったのだろうか。
「ビ!」 
 どうしたものかと思考を巡らせていたところに声をかけられ、ハッとする。扉のすぐ横、いつもの場所に、メビヤツが佇んでいた。ロナルドさんの帽子を被っている。ということは、急な退治ではなさそう?
「ビビ」
 単眼の騎士が、居住スペースへの方へと静かに滑っていく。促されるまま、私は居住スペースへ繋がる扉をそっと開いた。恐る恐る室内を窺えば、ちょうど扉前辺りに設置されたソファにロナルドさんがうつ伏せで寝そべっているのが見える。私は思わずあっと小さく声を上げてしまった。
 あれはまさか……週バンで噂の高校時代のジャージ……?! とは言っても、ここからでは大きな背中しか見えないが……しかし貴重なことには違いない。うそ、まさか拝めるなんて……。ロナルドさん……普段の衣装はもちろん私服姿も素敵ですけど、そのジャージもすごくお似合いです……。降って湧いた幸運に感極まって、思わず口元を抑える。私に理性がなければ写真を撮って現像してスマホカバーにいれていた。理性があるのでやらないけれど。
 ともかく、好きな人のSR衣装をしばらく目に焼き付けてから、私はほうっと息を吐いて扉を少しだけ閉じた。
「今日はもう帰ろうかな」
「ビッ?!」
 お話はできなかったが、もう満足だ。すごいいいもの見てしまった。えも言われぬこの充足感……。気持ち悪く頬を緩める私に、メビヤツは驚いたような声をあげた。
「ビービービ! ビビビ!!」
「えっなに――なになになになに?!」
 急にメビヤツが警報のように激しく鳴き出したかと思えば、私の周りをものすごい勢いでグルグル回り始めた。ごめんけど何を言ってるか分からないし、というか床が! 敷金が! タイヤがすごいギュルギュルいって軽い旋風まで起こっている。私はタイミングを見計らって、えいとバターになる勢いをしていたメビヤツをなんとか掴んで止めた。その場にしゃがみ、どうしてか大きな目をジュワッとさせているメビヤツと視線を合わせる。
「えーっと……もしかして、帰っちゃダメって言ってる?」
「ビ……!!」
 妙な迫真さをもって、メビヤツは頭をコクコクとさせた。それから、壁に向かって目を光らせる。事務所の壁に、目の下に濃い隈を乗せ、げっそりやつれたロナルドさんが投影された。
『ごめんメビヤツ……。――さんが来るまでおれ仮眠すっから……だから、えっと、さんじゅ、いや、十五分後に起こして……』
『ビ!』
 ありがと、と力なく笑ったロナルドさんが、倒れ込むようにソファにダイブしたところで、映像が終わる。右下に表示されていた時刻を見るに、今から一時間ほど前の話のようだ。
「……つまり、起こしても大丈夫ってこと?」
「ビ!」
「そっか……でも、起こしちゃうの、ちょっと可哀想じゃない……?」
 あんなにすやすやぐっすり眠ってて……。扉口からでも、気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。映像のロナルドさんはとてもお疲れのようだったし、あんな疲労困憊といった姿を見てしまったら、起こすのもしのびなくなる。
 メビヤツはへにゃりと困ったように目を歪め、ロナルドさんの方へと首を回した。きっとこの子もそう思ったから、十五分後で起こすという約束を果たせなかったのだろう。目しかないのに、まるで『そうなんだよね……』といっているみたいで、表情の豊かさにちょっとおかしくなった。
「ビ……」
 メビヤツが、今度はキイと控えめに私の周りを回る。理由は分からないけれど、この子はどうしても私にここにいてほしいらしかった。タイヤを器用に動かしてゆらゆら回る姿は、なんともいじらしい。
「……分かった、じゃあロナルドさんが起きるまで、私は事務所で待たせてもらおうかな」
 私がそう言うと、メビヤツはパッと顔を輝かせた。か、かわい〜……!
 ◆
 さて。私たちは、しばらくロナルドさんの話題で盛り上がった。数十分を共にして分かったことは、メビヤツはロナルドさんが本当に大好きなのだということと、言葉は通じなくても、パッションさえあればなんとかなるということだった。ラブアンドピースとは、つまりこういうことなんだと思う。
「ロナルドさんって、いやもう、本当に最高だよね……」
「ビー……」
 意思疎通の成功とロナルドさんって最高だよねを分かち合える同志を見つけたことで、私はテンションが爆上がっていた。
「……あのさ、実は私」
 そうして興奮しすぎたせいで、お口がちょっとゆるっとしていた。
「ロナルドさんに……こっ、告白、したいなって……思っていまして……」
「ビッ、ビー?!」
 えっほんとにー?! みたいなことを言われてるのかなと推察し、こくりと頷く。少なくとも、『やめろよお前烏滸がましいぞ』的な反応ではない。少しホッとした。
「で、あの……ちょっと練習させてくれないかな……ほら、ちょうど帽子被ってるし……」
「ビ、ビイ……!」
 正気であれば『帽子がなんだよ』と私もこの子もなるはずだが、私もこの子もすでに正気ではなかったので、悲しいかな、止める者は誰もいなかった。
「ろっ、ろ、ろ、ろーっ……!!」
「ビ……!」
 なんてこった。いざ告白するぞと思ったら、名前を呼ぶことすらできない。がんばれ、という熱い眼差しに唾を飲み込む。うう、予行練習なのに、こんな、心臓が……うっ吐きそう。帽子ってすごい……(?)。飛び出しそうな心臓を抑えるように胸元で手を握りしめ、ゆっくりと深呼吸をする。
「――ロナルドさん」
 何度でも言うが、私は正気ではなかった。
 だから、背後からの足音や、いつの間にか覆いかぶさっていた影や、『ちょっ待て待て!』と言いたげなメビヤツの顔に、違和感を持つことができなかった。
「私、ロナルドさんのことが好きです」
「……へっ?!」
 鼓膜を突いたのは、普段より少し高く裏返った声。それは、私の真上から聞こえた。バックンという、心臓が耳の横で大きく鳴った音を最後に、時が止まった。ちょっと顔を赤くしているメビヤツと数秒見つめ合ってから、私はゆっくり立ち上がった。
「あの――」
「机に置いてあるの、お土産です。よければジョンくんと召し上がってください」
「あ、どうも……」
「それじゃ、私は帰ります」
「えっ、ちょ――」
 無理だ無理だ無理だいやほんとに無理、助けてほしい、無理です。いま泣いてないのが奇跡だと思う。唐突な窮地に、心はそのくらい限界まで追い込まれていた。半分走る形で、出入口の扉へと飛びつく。が、扉を開く前に腕を掴まれて動きを制されてしまった。
「待ってください!」
「無理です!」
 急な接触と大声に驚いて、反射で私も声を大きくしてしまう。顎を引いて、ドアノブを固く縋るように握り締めた片手を睨みつけたまま、「ちがうんです!」と叫んだ。
「え、ちがうって……」
「あの、わたし、いまっ、さっき――えっと、だから……!」
 震える口から飛び出すのは単語ばかりで、ろくな意味をなさない。こんなつもりじゃなかったのに。そんな思いだけが、頭の中を埋めつくしていて、言葉がうまくまとまらなかった。息苦しくて、視界もどんどん朧気になってくる。
「ち、ちがうんですか」
「そ、そう、ちがいます……ちがうので……」
 上擦った問いかけに、私は渡りに船とばかりに乗っかった。細かく頷いて、小さく息を吐き出す。
 ほんとは、本当は。なんにもちがわない。私はあなたが好き。ずっと前から好きだった。けれどこんな情けない流れで告白して、それで振られてしまうくらいなら、いっそなかったことにしてもらったほうがきっとマシだ。
「だから、忘れてください。……あと、も、はなしてください、うで……」
 ジクジク痛みを訴える胸を無視して、声を絞り出す。震えを抑え込むことに成功したけれど、今度はひどく小さな声になってしまった。それでもこの静まり返った室内ならばきっと届いただろうと信じて、私は腕が離されるのをじっと待った。
「……そっか」
 ちがうんだ、と続いたロナルドさんの呟きに、仄かな落胆が含まれているような気がしてしまった。自分勝手で都合のいい自分がほとほと嫌になる。返事ができなくて、私はただただ唇を噛み締めた。
「……でも」
 握られていた箇所に、ぎゅう、と、痛くない程度にしっかり力が込められる。
「おれは……忘れたくないです。……う、うれしかったので」
 なにか声を発するよりも早く、軽く腕を引かれる。立つことしか意識していなかった体は簡単に傾き、彼の方へと向かった。突然ロナルドさんと向かい合う形になり、瞠目する。
「……ほんとにちがったのかも、しれないですけど――」
 あ、ジャージ姿の正面全身スチル……。
 全力で現実を逃避しに走った脳が、真っ先にそんなことを考える。
 私がそんな馬鹿なことに思考を割いているとも知らず、いつもより乱れた髪をしたロナルドさんが――耳の先まで赤く染め上げた相貌のロナルドさんが、意を決したように、眉根をキュッと寄せた。
「それでも、おれは――」
 そうして転がされた音の粒は、さっきの私と同じくらい、吐息を孕んで震えていた。痛いくらいに心臓が鳴る。握られている場所が、火傷しているのかと思うくらい、熱く火照っていた。

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