新月の狩人


※年一で逆トリしてくるルクハン


 年に一度だけ、その人は新月の闇夜に紛れ、神の不在を狙いすまして訪れた。
「こんばんは、美しい人」
 静寂を切り裂く歌うような声にはやる気持ちを抑えてつとめて冷静に「こんばんは」と返す。
「いつも言ってるけど、美しいのは狩人さんのほうでしょう」
 片手では収まらないほどの邂逅を経た今では、このこそばゆい台詞にも軽口を叩けるくらいには慣れた。都会の夜空は月がなければ基本暗くて寂しい。それなのにこの人の金髪はキラキラと煌めいている。それを伝えれば、「星を狩ってきたばかりでね」と悪戯っぽく微笑まれた。こんな気障な言い回しが似合うのはきっと世界でこの人だけだ。
 自称『愛の狩人』の彼は、菫色の帽子を外して胸元で抑えた。金糸がふわりと揺れる中、私の手をとり、跪いて口を寄せる。一連の動作は流れるような優美さで、芸術じみた美しさを伴っていた。この挨拶ももはや慣習化したものだが、こっちはまだ慣れない。初めてされた時のように耳まで赤くすることはないけれど、気恥しさを隠しきれず、手の甲が熱を持ったのを感じた。実際にその唇が触れたわけでもいないのに。だいたい、いつまでこんな仰々しい挨拶を続けるのだろう。
 ここ数年はジャケット姿に外行きワンピースの私たちだが、初めて会ったときは、お互いパジャマだった。数年前の新月の夜、彼は家のベランダにいきなり現れた。彼だってイレギュラーなことで驚いていたはずなのに、慌てふためく私に「驚かせてすまないね」と、安心させるように微笑み、むしろ宥めてくれた。二回目は私だけがパジャマで彼は桔梗色をした着物のような服を着て、「また逢えると思っていたよ」だなんて、ここに来ることが分かっていたようなことを言われた。もしやと法則に気が付いて、私もとっておきの洋服を用意した三回目。案の定、十月の新月の夜、美しい衣を纏う彼にそこそこ相応しいであろう格好──少なくともパジャマだなんて間の抜けた格好ではない──で彼と会うことができた。……のだが、もう夜中だというのに二人してキメッキメの格好をしていたことがふと思えばおかしくて、どちらともなく笑ってしまった。懐かしい思い出だ。
「……おや、そろそろのようだね」
「もう?」
 話の途中で、彼はなにかに誘われるように空を仰いだ。彼は大体真夜中の少し前から突然現れ、三時間程度で突然消える。私にはなんにも察知できないが、消える本人だからか、どうも彼にはタイミングが分かるらしい。名残惜しくて子どもじみた声をだす私に、彼はくすりと笑うだけでなにも言わず、言葉の代わりに、最初と同じように帽子を外し、再び私の手をとった。お別れの挨拶だ。寂しさが募りつい顔を背けてしまったが、手の甲に熱を感じて硬直する。だって今の感覚は、絶対に私の勘違いなんかじゃなかった。柔らかいものが絶対──彼はご丁寧にもかわいらしいリップ音をわざわざ鳴らしてから顔を上げた。
「愛しい人、次こそきみを攫ってみせるよ」
「……、……え?」
 意図をたしかめる暇もなく、一瞬のまばたきで彼はいつも通り姿を消す。しかし涼しげに細められたハンターグリーンの瞳には獰猛な熱がたしかに燻っていた。

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