初恋


 これは自慢なのだが、私の周りには美形が多い。
 いちばん付き合いの長く身近な幼馴染一家は、兄妹三人もれなく日本人離れしたつよつよな美貌をしているし、大人になってから知り合った同業のメンツも、揃って美男美女ばかりだ。
 そんなわけで、私の目はもう肥えに肥えており、そんじゃそこらの美形には反応しないようになっていた。あと顔がいい人は総じて癖が強いので。イケメンだ美女だと輝く顔面に浮かれて安易に飛びつくのは悪手であることを、私はこの身をもって知っていた。
「どっどらる、ドラルクさ、うわああっああ……!」
 でも一人だけ顔面のジャンルが違ったんだよね、吸血鬼ドラルクという男は。
 幼馴染であるロナルドの背中に隠れてひしと縋り付く。この場にドラルクさんが“いる”のだという事実に感極まってしまい、最後まで人の形を保てなかった。それでも赤い壁の向こうで「こんばんは」とクスクス笑う声がしてその優しさで泣きかける。ヒィ、やさしい。し、声もいい。無敵か? 知ってた。
 この通り、出会ったことのない類の、方向性の違う顔の良さに、私は呆気なく落ちた。どんな美形がテレビに映っていても、『ロナルドのが鼻高ぇな……』とか『ターちゃんのが睫毛多いな』とか『ロビンの方が肌白いな』とか思っていた私が、溌剌とした笑顔をしたドラルクさんの「よろしく!」というたった一言にワンターンオーバーキルされ、膝を着いたのである。
「ほっほ、本日はアいや本夜は、タタタ大変お日柄もよ……お夜柄……?!」
「なんでもいいだろ。てか雨だし」
 乙女が必死に挨拶してるんだから茶々をいれるなおのれロナルド同居してるなんてバチくそめちゃくちゃ羨ましい。いやでも私ドラルクさんと三秒以上同じ個室に二人きりとかなったらきっと息できないし……エッ個室で二人きり?! やばい、想像するだけで過呼吸になってきた。死ぬ。生命の危機を感じ、咄嗟にロナルドの背中に顔を埋めて深呼吸をした。ああこの汗臭さ。実家のような安心感。幼少より慣れ親しんでいた香りに、走っていた心臓が緩かやにペースを落としていく。
「……えっなんか吸ってね?」
「吸ってる……汗臭い……」
「臭いの俺?! ま、まじかよ……これからフクマさんと打ち合わせすんのに」
「え? あ、ここで会うの?」
「いや、外。ルノワールで」
「は?」
 愕然と零した声に反応して、自身の体臭を確認していたロナルドが「あれ」とこちらへと首を回した。
「言ってなかったっけ。俺ちょっと出てくるから、お前はゆっくりしてけよ」
「だめ、むり、なんで?!」
「いやだから打ち合わせ……」
 なんでって言われても……な顔をするロナルドに頬が引き攣る。さ、先に言え〜?! そういうことはお前! 憤りすぎて言葉が出てこない。ガチギレを顔に乗せてロナルドを揺さぶると、幼馴染は当惑した顔をした。
「えっえっ別に良くね? 俺がいなくても……」
「いいわけあるかい!!」
「ええ……でもお前、今日は砂に会いに来たんだろ」
「違うが?!」
 いやそうなんだけどでなきゃわざわざ事務所まで赴いたりしないけどでもお前マジでやめろお前ほんとドラルクさんの前でそんな――。
 自分で出した『ドラルクさんの前で』という言葉にハッとして、ドラルクさんの方へ反射的に視線をやる。彼もずっとこちらを見ていたらしく、すぐに視線がかち合った。ドラルクさんは柔らかく微笑んだまま、こてんと首を傾ける。うっなにそれかわいいあざとい好き。
「違うの?」
「ちがわないでしゅ……」
「ほら。じゃ、俺行くから」
「待ってェ!!」
 叫びも虚しく、ロナルドは事務所を後にしてしまった。なぜかジョン君も連れて。どうしてそんなことするの? 年々私の扱いが雑になってない?
 閉じた扉を呆然と見つめていると、片手が引っ張られた。考えなしにそちらを見て、「ミ゙ッ」と鳴く。だって、て、手が、手が!
「テ、テ、テェ……!」
「ね、さ、こっち」
 ドラルクさんはいたく楽しそうに笑いながら、足取りを軽く弾ませて、私をソファまで引っ張った。引っ張ったということは、当然、私の手も繋がれたままだ。あ、あれ、夢かなコレ。死んじゃったのかな、私。
 ドラルクさんは当たり前のように私の隣に腰を下ろすと、繋いだ手を離――さず、そのまま自身の膝上に置いた。おぎゃ膝ァ! と思っていればもう片方の手もさらに重ねられ、余りのことに顎が勝手に震えた。手、膝、手、えっ。しかも膝、膝もひざに当たっとる、ニールトゥーニールしとる!! えっちなのでは。いやえっちだよこんなの! 視界の端の窓外でなにかがキラリと光ったが、流星よりもドラルクさんの赤い瞳のほうが爛々としているような気がして、もはやそれどころではない。
「あっおあ、あっひざ、て、ひ……!」
「ンフ、ふ……はあ。さて、先程の話なんだが」
「は、エッ、サキホドノハナシ……?」
「そう、つい先程のね。きみ、私に会いに来てくれたの?」
「は、はひ」
「どうして?」
 どうしてと言われましても。そりゃきみが好きだから♪ なんて懐かしい歌しか浮かんでこない。ダメだ、考えることを放棄してる……! いや言えるかこんなん。言えたら苦労しない。だってもう息をするのもいっぱいいっぱいなのに。
 ごくりと唾を飲み下し、恐る恐るドラルクさんを窺えば、彼は先程なんら変わらぬ穏やかな相貌で続きを待ってくれていた。思えばこんな近い距離、初めて会った時以降かもしれない。普段はロナルドとか木とか歩道とか色々挟んで見てるから。――つまり、チャンス、なのでは。
「ド」
 気が付くと、好きな人の名前を呼ぶための音が、舌に乗っていた。
「ドラルクさんと、おはなししたくて」
 息も切れ切れで、なんとか紡ぐ。これが本心の、言えるギリギリの精一杯。ドラルクさんは柔らかい笑みを深めた。
「なんで?」
「なんで?!」
「きみはなんで私とお話したかったの?」
 無邪気に尋ねる様は、まるでおばあさんに扮した狼に質問を投げる赤ずきんちゃんのようだ。けれどその瞳はとても被食者で収まるような目をしておらず、私は言いようのない危機感に襲われた。ドラルクさんは虚弱体質だし、戦えば――戦えるかは置いておいて――絶対退治人である私の方が強いのに。
 そう分かっていても、どうしてか体が逃げるように後ろへと動く。そのせいで少し引かれた、握られっぱなしの手に、また上下から圧が加わった。あっ自爆。増した密着度合いに、喉がきゅっと絞められる。私が発火してるせいか、ドラルクさんの手にも、熱が移り始めてしまったらしい。だってこんな、熱くて――。
「フフ、あったかいねえ」
 ドラルクさんは謳うようにそう言って、顔の近くまで持ち上げた。力の籠ってない熱くて重たいだけの私の手を、ドラルクさんの両手がマッサージでもするかのようにぐにぐにと揉んで弄んでいく。ひ、指細、長、あ、節が――。
「ねえ」
 伏せられていた目が、こちらへと向く。嫌な予感がしたから目を逸らしたかったけれど、少しでも瞳を動かせば、目に溜まった水分が溢れてしまいそうで、動かせなかった。
「どうしてこんなに熱いんだい?」
 微かに震える、並んだ私の指の背に、痩けた頬がぴっとりと寄せられる。それは滑らかで、骨ばった感触で、氷のように冷たくて――けれどほんのりあたたかいような、そんな不思議な触れ心地をしていた。

 かゆ うま


 ――以上、手記はここで途切れている。

 >>back
 >>HOME