夢主視点


「すぐ死ぬのはそっちだろうが!」
 感情を隠さない苛立ちたっぷりの怒鳴りを最後に、無味乾燥とした沈黙に飲み込まれ、ぷつりと周囲から音が消える。気が遠くなりそうなほど静かで、それなのに自分の呼吸音も、鼓動さえも聞こえなくなって。止まってしまったんじゃ、なんて馬鹿な錯覚をしてしまう。
 凍りついた空気の中、さっきの言葉をなんとか反芻する。なに、いま、このひと――なにを言ったの? やっぱり信じられなくてまじまじと彼を見返し、そこでやっと彼の顔色が普段以上に悪い――現在進行形で悪くなっていることに気が付く。死ぬことすらできないで卒倒してしまうのではないかと危惧して、私は無理やり顔を歪ませた。
「勝手に殺さないでくれます?」
 あ、よかった、大丈夫だ。自分の声が震えていないことに内心で胸を撫で下ろす。けれどやっぱり完全にいつも通りとはいえず、少し上滑りしているような気がした。トレーシングペーパーのようなペラついた声音だ。
「寿命マウントやめてください、普通にあと六十年は生きるんですけど」
「あ?」
 もう頭が真っ白で、自分がなにを言っているかよく分からない。きっとあとで後悔するんだろうなと思いながらも喋り続ける。一度口を閉じたらもうそれ以降、今度こそなにも言えなくなってしまうという不思議な確信があった。
 大股で部屋を横切ってわざとらしく足音まで立て、でもドアは慎重に――ここはロナルドさんのおうちなので――閉めて事務所をあとにした。振り子のように規則的な動きで闇雲に足を動かし、夜の街を進む。事務所から離れるにつれ、宙を蹴り上げる爪先の勢いが弱まっていった。やがては地面に靴の裏をぴっとり糊付けされたみたいにその場から動けなくなってしまう。道行く人々がどこか迷惑そうに私を避けて通り過ぎていく。ああ、なにしてんだろ私。こんな往来で。恋人を傷付けた上に世間様にまでただいなご迷惑をおかけして。世界にとって害悪すぎる。人類悪。討伐されてしまえ。消えたほうがいい。下がる視線とともに思考までどんどん落ち込んでいった。
 恋人になって長いが、しかし今日までその話題――そういう、所謂『寿命』についての話をしたことは一度としてなかった。私はまだ遠くの寂しい未来のことなんかより、今を楽しく過ごしたい思っていたし、ドラルクさんもきっと同じ考えなのだろうと、なんの確信もないのになぜか漠然とそう思っていた――のに。彼は言った。その事実に喉奥がきつく絞られる。あんなことを彼の口から言わせてしまった。寿命の長い恋人がそんなことを考えていたなんて、私はああしてはっきり言われるまで気が付くことすらできなかった。
 でも、だって、どうすればいいの? 私だって別に死にたくて死ぬわけじゃないんだ。頑張れば六十年よりもさらに長くを生きれるかもしれないけど、しかしこれがそんなことで解決されるような問題じゃないのは分かってる。でも人間の私にできることなんて――。「おや」ふ、と影が降りかかる。
「きみは、ドラルクの。こんなところで立ち呆けていったいどうしたんだい」
「――……あ、」
 ある。そうだ、ある。人間の私にも、人間の私だからこそできることが。目の前に現れた『答え』に目を見開く。正解だとでもいうように、銀の髪を月明かりが照らした。
「ドラウスさん、お願いがあります」
 どうか私を――。
 ◆
「……ところで、なんでお父様に頼んだんだい? 悪くは――いやちょっと悪いけど。そういうのはまず私に頼んでほしかったし……――ないけど、ちょっとなんか、なんだ、その……落ち着かないんだが」
 ズ、と鼻を啜りながら、彼はボソボソとそう言って居心地悪そうに身動ぎをした。彼の質問を咀嚼し、瞬きを落とす。
 なんでって、タイミングがよかったから。それにいい人だし、未来の義父だし? オペラでも歌うつもりかって声量での電話はちょっと困りものだけど、しなしそれを補って余りある信頼。人生を文字通り百八十度変えてもらうのに、これ以上の人物はいないと思った。吸血鬼になる方法について多少は調べていたので危険があることも知っていた。それを神妙な面持ちで説明してもらった時、改めてこの人がいいと思ったのだ。
 しかしこんなことを詳らかに語れば、このややこしい恋人はきっと盛大に拗ねてしまうだろう。恋人としての勘がそう告げていた。だからふと思いついた、それっぽい理由を口にする。
「あてつけですよ、お兄様」
 すましてお嬢様然と微笑むと、彼は途端顔を青褪めさせてぎしりと固まってしまった。その様子がおかしくて、作り笑顔がすぐ本物になる。ドラルクさんは子どものように破顔した私を見て困ったように、それでも口元を綻ばせた。

 ドラルクさん。本当はね。私、あなたに看取ってほしかったんです。
 息を引き取る最後の瞬間まで手を繋いでもらいたかったんです。聴覚さえもが機能しなくなる限界まであなたを感じて、『ああ、いい人生だったな』って。愛する人に見守って終われるなんて、とっても幸せだなって。そんな幸福に浸りながらこの世を去りたかった。それはもう叶わないことだけれど、でも幸せだろうなって想像できただけで幸せでした。
 だから今度はドラルクさんが私の代わりにそれを想像してみてください。だってきっと幸せだから。それにほら、看取ってもらう未来の幸せなんて、あなたは考えたこともないでしょう?
 あなたの知らない幸せをあげれることが、あなたをひとりぼっちにしないことがこんなに幸せだったなんて、私も知らなかったです。それを知ることができて、私は本当に幸せだ。

 この先どれほどの後悔が待ち受けていたとしても、それだけは確かだった。

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