ふたりきり


 恋人である吸血鬼のロナルドを、初めて家に招くことになった。
 溜まっていた郵便を回収してからエレベーターに乗り込み、自分の階を押す。扉が閉まって無事に動き出したエレベーターにひと心地ついたが、ふともう一つ、降りる階とは別の階のボタンが点灯していることに気が付く。肘か何かが当たってしまったのだろう。両手が塞がってるのに無理やり押しちゃったからかな。このマンションのエレベーターは、間違ったボタンは二回押せばなかったことになる。エレベーターがその階に止まってしまう前に、と、マンションについてからなぜかずっと静かにしている隣のロナルドの名を呼んだ。
「ごめんロナルド、間違って変な階も押しちゃった。五階のボタン、二回押してくれない? そしたら取り消しになるか、」
「おう!!!! 分かったぜ!!!!!!」
「ら……」
 元気のよすぎるお返事、それからドゴンバゴンという重たい打撃音が私の言葉を遮り、狭い個室に響いた。ボタンを二回軽く押しただけとは思えないほどの激しい風圧で、髪が巻き上げられる。ロナルドが指を離すと、パラパラと鉄の破片が落ちていった。
 ぷしゅうと煙を上げる『5』――が、あった場所に穿たれた丸い穴二つを、私は口を開けて呆然と見つめた。力の抜けた腕から、抱えていた郵便のチラシが数枚落ちていく。たっぷり十秒ほどエレベーターのボタンだった箇所を凝視してから、私はやっと口を開いた。
「な、なにしてるの?」
「へっ? 五だろ?」
 ロナルドはやけに頬を紅潮させ、ぎこちない笑顔で私を見下ろしてきた。自分が押して“壊した”ボタンと、凍りつく私を交互に見て、『ちゃんと押したぜ!』と言わんばかりの笑みを浮かべる。ちゃんと押したぜ、の前にもっとこう、疑問に思うこととかないのかな? ボタンが煙あげてるのは変だな、とか……。私がそうどれだけ見つめても、ロナルドは達成感に満ちた顔をしたままだった。私の口元にも、自然と笑みが乗る――諦めの。ふ、と笑った私に、ロナルドもつられたように笑顔を深めた。数秒ニコニコ笑顔で顔を合わせてから、私は息を深く吸った。
「あああああああ!! 壊れた!! 終わった!!」
「えっ?!」
 私はチラシや葉書を放り出して、頭を抱えて蹲った。
 どうすんのこれ。どうすんのこれ! だってこのエレベーター、動いている感じがしない。え、いやこれ絶対壊れた。だってこのエレベーター、いま絶対動いてないもん。壊れたとことかボロボロな上、なんかほら、電気とかがすごい弾けてるし。ボタンカバーが壊れたくらいならまだマシだったが、そんな全然、いやこれ貫通してる。内部の機関になんらかの支障をきたしてる。終わった。修繕、工費が頭の中を回り、絶望する。保険とかおりるのかなこれ。てかあれ、もういっそ経費でなんとかしてくれないかな、隊長……。
「え、壊れたって……エレベーターが?」
「そう……」
「ナンデ?!」
 心底わけがわからないといった声の彼に、なんでもなにも、とちょっと恨みがましい気持ちでロナルドを見上げる。そりゃね、元を正せばうっかり変なボタン押しちゃった私が悪いんですけど。でもさぁ、そんな、吸血鬼の怪力を全力で使って押さなくったってさぁ……。
「……え、何その顔」
 文句も忘れて思わずそう零すと、ロナルドは「ヘェ?!」と裏返った声を上げてバシンと頬を両手で抑えた。大きな手に収まるロナルドの頬は、瞳と同じくらい鮮やかな赤に染まっていた。「いや、だって」ロナルドの口がわなわなと震え、鋭い牙が覗く。大きな瞳が泣き出す直前のように垂れ、きらりと潤む。
「だって、じゃあ……ふたりっきり?! も、もう?!」
「……いや、それどころじゃないし」
 ああ、だからずっと緊張してたのか、こいつ。
 出会ってからずっと見せられていた妙な挙動の理由が分かってしまい、修繕費や管理会社への連絡やら、なんだかもう全てがどうでも良くなってしまった。

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