ナマモノ注意


「好きだとも」
 麗しいきみ、なんて気取った調子で続けられて目が死んだ。はいはいなるほど魅了。つまり血が欲しいのだ、この男は。こういうことは――つまり、「私の事本当に好きなの?」なんて面倒くさい質問をし、ひらりひらりとはぐらかされた挙句能力を使われること――は、これまでにも何度かあった。しかしこうも自我がハッキリしていたのは、今回が初めてだ。能力に身体が慣れてしまったのだろうか。
「うれしいわ、ノース」
 不思議に思いながらも、きっといつもの私が言っているのであろう言葉を想像し、恍惚としているような音を意識して舌に乗せる。食い下がってさらに面倒に思われたくはなかったし、催眠にかかっていないことがバレてしまったら、いよいよ捨てられてしまうと思った。ノースの眉が訝しげにひそめられる。
「あまり嬉しく思っているようには見えんが」
「……そんなことはありません」
 嬉しくない。嬉しいわけがなかった。誤魔化すため、それも虚像へと向けられた愛の言葉に喜べるほど無邪気ではない。それでも演技を続けて微笑んだのだが、ノースは私の顎先に手を添えると、顔を近付けて瞳をグッと覗き込んできた。血を飲むだけにしては、随分と時間をかける。毎回こんな問答をしているのだろうか。御丁寧なことだ。正気の自分へは決して向けられないだろう手間暇。自嘲してしまいたくなるのをグッと堪え、笑顔を保つ。
「……魅了にはかけてないし、かかっていないな?」
「エッ」
 演技も忘れ、素の声で驚く。そんな私に赤い目が細くなり、「ほう」と渾名の通りの微笑が浮かんだ。室内なのに、唐突に強い突風が吹き抜けていく。そのたったひと撫でで、身が芯まで一気に凍った。
「つまりきみは、私が能力を使ってきみをどうにかしようとしたと。そう思ったわけかね」
「え、あ、いや、どうというか」
「というか?」
「え、いや……ち、血、血がほしいのかと……ほしいですよね」
 飲みますよね、と明るく、むしろ懇願するように告げる。怒られるのはいやだ。だって怒りや呆れは、嫌悪、そしていずれ無関心へと繋がってしまう。必死な私を前に、ノースは呆れをありありとのせた溜息を吐き出した。怯えでつい肩が跳ねる。
「こういう時は血よりもっと適切なのがあるだろう」
 なに、命? それか金? いや、そんな強盗みたいな真似をするような吸血鬼ではない。けれど私に差し出せるものなんて……。
「私はね」
 戸惑いと恐怖で口篭っていれば、ス、と頬を撫でられる。仕様のない子どもを言い含めるような、低くゆったりとした声音だった。
「血よりなにより、今はきみがほしいのさ、愛しいきみ」




「それで」
「……で、とは」
 短い文章に不釣り合いな長い沈黙の末ひやっと投げかけられた言葉の意図は、よく分からなかった。恐る恐る訪ね返すと、ノースディンさんは、手にした私の携帯の画面を見せつけるように顔の横で振ってくる。
「結局誰なんだ、この男は」
「……ノースディンさんですが」
 作中で何度も『ノース』と表記しているはずだ。読んだんじゃないのかと訝る私に、彼はふう、と溜息を吐いて首を振った。
「私はこんなことしないが?」
 うるせえするんだよ人の二次創作にケチつけるな。
 ……なんて、とても口にはできない。なにせ御本人なのだから。唇を噛んで耐え忍ぶ。弁えてる、私。えらい。長女じゃなければ耐えられなかった。
「それにきみだって、こんな殊勝な女性ではないだろう」
「この『ノース』に対しての私はこうというかいやそもそも私基本自己投影はしない派なんで」
 私であって私じゃない。強いて言うならこの娘は『みょうじなまえ』なので。私の言い分を理解してるのかしてないのか、彼は「『ノース』」と意地悪く復唱した。
「ええそうです。私はあなたをそんなふうには呼ばないでしょ。だからこれは私じゃない、別人。……アッじゃあこうしましょう。この『ノース』も別人。ね、それなら現実のあなたと乖離しててもなんらおかしなことは無い。そうでしょ、ね?……あの、ということなのでもうほんとに勘弁してくれませんか」
「つまりこれは、浮気しても構わないよというきみの寛大なる御心を、遠回しに私へ伝えてくれている――ということかな?」
「聞け。違います」
 ヤケクソで捲し立てた長い台詞は、全てなかったことにされた。私の恋人、なぜこんな気難面倒くさい……いや、というか、世の二次創作は本人に読まれることを前提に書かれておりませんので。伝えるもなにも。ということかな、じゃねえ。違うわ。
 そもそも浮気って。なんかさも自分が一途で、それを疑われて心外、みたいなねちっこい責め方してきてるけど、あんた日頃から結構グレーなことしてますからね。デート中に少しでも私が席を外せば、その隙を逃さず女の子に話しかけてるくせに。私知ってるんですからね。二人でいる時は声をかけないだけマシかと、気付かないフリをしてあげているが。
 私が内心でそう詰ってるのも知らず、ノースディンさんはやれやれと態とらしく肩を竦めた。持っていた携帯が、画面を伏せて置かれる。
「その心配り、また度量の広さにはまったく感服するよ。しかしだ。それでも気に食わない箇所が幾つかある」
「ねえ見なかったことにしてくれませんか。こういうのって、そういうしきたりなんですけど」
「非常に申し訳ないが、しきたりだのなんだのは存じ上げないな。私はこの手の分野に明るくないのでね。ではまずは――そうだな、面倒に思うことなどない」
「……はい?」
「私の可愛い子がいじらしく愛を請うてきてくれているのに、なにを煩わしく思うという? 理解に苦しむ」
 いきなり何言ってんだこいつ。ノースディンさんは、ぽかんとする私の顎を、流れるような動作ですくい上げた――まるで、件の小説のように。顔に影が落ちてくる。
「催眠にかかっているか否かなど一声で分かるし、今更きみにかけるような真似はしない」
「はあ……?」
「きみの不安や不満ならきみ自身より早く気付けるし、そもそもそんな想いは抱かせない」
 いや不満に気付けるはうそでしょ……。そう言いたかったけれど、紡がれる言葉に対する困惑で胸がいっぱいいっぱいで、声をだすことができない。間近に迫る赤い瞳をただ見つめ返すのが精一杯だった。彼がその瞳を、忌々しげにちらりと横へやる。視線の先、恐らく携帯を見て、眉間の皺を深めた。
「ああそれから。口付けは――」
「待ッ、ストッ、止ま、一回やめてください!」
「なんだね。それよりちゃんと私の話を聞いて――」
「あの、まさか嫉妬してますか?」
「……は」
「……ノース?」
 硬直した彼にダメ押しで慣れない呼び名を口にして、窺うように首を傾げてみる。彼は、暫くしてから「そうか」と呟いた。
「なるほど。今度は私をそう解釈したのか」
 独り言のような声音だ。……違ったかな。なんかだって、さっきから張り合ってるように聴こえたんですけど。私の希望が入りすぎた? そう不安に感じた瞬間、「まア」と目の前の口角が上がった。
「及第点といったところかな」
 ノースディンさん――あらためノースは、ご満悦に瞳を緩める。そうしてご褒美だとでもいうように落とされた口付けは、思っていたよりもずっと柔らかくて、そしてなにより髭が当たってくすぐったかった。ああ、なるほどなぁ。そういえばそうだった。彼との口付けは、ただ冷たいだけじゃなかったんだった。いやぁ、うっかりうっかり。次回に活かそう。

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