白昼夢


「辻田さんの恋人が夢の中に囚われてしまったでありまぁぁぁす!」
「うるさい恋人じゃない叫ぶな死ね!」
 なぜか突然発狂しだしたカンタロウを、ナギリは困惑しつつも反射的に怒鳴りつける。当のカンタロウは、全く堪えていない様子で言葉だけに注目し、「なんと!」と目を丸くした。なんと! じゃねえ、死ね。
「とても仲が良さそうに見えたのですが」
「お前の目がバカなんだ」
 死んだように眠りこける女へ視線を移しながら、仲など良くないとボヤく。
「ただ付き纏われていただけだ」
 お前みたいに、という言葉はすんでのところで飲み込んだ。会話を広げる気はないし、この破天荒男とこのバカ女を一緒にするのは、なんとなく違う気がした。……なんとなくだが。
「……しかしそういえば、最近はお二人でいる所をお見掛けしなかったような……」
「おい、それよりどうするんだ」
「あ、はい。ええと――」
 退治人さんのお話よれば、とカンタロウは、女の項を占領しているキモイ虫――『夢吸い』について説明をはじめた。夢吸いは、宿主に都合のいい夢を見せ眠ってる間に吸血する下等吸血鬼だという。無理に虫を外したりすると、精神に影響が及ぶため、夢に干渉して中から起こしてやる必要があるのだ、と。
「絶滅危惧種らしいですが、どこでつけてきてしまわれたのでしょうか……」
「知らん、どうでもいい」
 説明を仏頂面で聞き終えたナギリは、ふむと内心で呟く。これからこの男は、女の夢に入るために眠りにつくのだろう。その間、こいつらはどう頑張っても無防備にならざるを得ない。……上手くいけば、こいつらを始末してしまえるのでは? 目の上のタンコブをまとめて排除するいい機会ではないか? ナギリは、己の口端が吊り上がっていくのを感じた。
「分かった。ならさっさと――」
「では辻田さん、こちらへ!」
「なんで俺だ!」
「一般の方にお任せするのは非常に心苦しいでありますが、辻田さんなら安心であります! 不肖ケイカンタロウ、誠心誠意全力をもって護衛の任を全うさせていただきたく思います!」
「だからなんで――」
「実はこの辺りで辻斬りの目撃情報が――」
「おい妙なことするなよ護衛に徹しろそして俺には絶対に触るな三メートル距離をとれ」
「それだと護衛にならないのでは……」
 ナギリは女の隣に素早く腰を下ろし、カンタロウへ指を突き付けた。珍しく正論を言うカンタロウを無視して、ナギリは、女の隣に横たわる。カンタロウが用意したというタオルケットは、やたらフローラルな柔軟剤の香りがした。そして仄かに混じる、女の甘ったるい香り。混じりあったその匂いがなんだか無性に不愉快極まりなく、ナギリはわけも分からず腹が立った。呑気な顔しやがって。理想の夢だと? そんなところに逃げて、お前は今さぞ気分がいいのだろうな。
 怒りを抑え込むように視界を閉ざす。するとたちまち、泥のような睡魔がナギリを捕らえた。
 ⿴⿻⿸
 あの小うるさい女にしては、随分と殺風景な世界だな。
 ナギリは白黒で静寂に包まれた世界の真ん中に立ち尽くし、辺りを見回す。訪れた夢の中には、終末世界のようにつまらない荒野が広がっていた。こんなものが、こんな世界があの女の理想なのか。知らず、鋭い歯が唇に食い込む。女の理想がこんな冷たい世界であることに、ナギリは自分でも不可解なほど動揺していた。
 不意に耳朶に触れた音に、ナギリの尖った耳がぴくりと動く。ザクザクとしたこれは、恐らく土を掘る音だ。静まり返った世界ではよく響いていた。ナギリは音の方へと迷わず足を進める。ここはアイツの夢なのだから、発生源にはきっと――いや、どうせ。あの女、面倒に巻き込みやがって。激しく歯噛みしながら、ナギリは大股で世界を横断する。
 ナギリの予想と違わず、女はそこにいた。大きなスコップで、一心に地面を掘っている。その女の足元には、女と寸分違わぬ造形をした人間が無造作に転がっていた。
「……なにをしてる」
 異様な光景に、ナギリはしばらく絶句してしまった。やっとのことで絞り出した声は掠れていた。女はナギリがいたことに気が付いていたのか、驚く素振りを見せないどころか、一瞥もくれずに「穴を掘ってます」と当然のように受け答えた。
「なんのために」
「死体を埋めるために」
 満足のいく出来になったのか、女はスコップを地面に突き立て、掘るのをやめた。ふう、と疲れた様子で額を袖で擦る。汗など一滴も流れていなかった。当然だ、だって、夢なのだから。「死体」呆然とオウム返ししたナギリを、女が見る。初めて視線があった。
「そこの死体です」
「それはお前ではないか」
「はい」
 けろりと肯定してのけた女に、ナギリの方が狼狽してしまう。「これは」女は地面に膝を着き、寝そべる死体の首裏に手を差し込んだ。自身の太腿に頭を乗せ、前髪を分けるように額を撫でる――凄惨な赤が覗く。
「辻田さんが好きな私です」
 女は、ナギリの元に訪れて「好きです」と拙く思いの丈を吐露し、「うるさい」と一蹴されてはへらへらと笑っていた。ナギリがどれだけ冷たくあしらおうと、女はめげなかった。何がきっかけで女がこうも熱烈にナギリを想うようになったかは、女以外誰も知らない。ナギリには興味がなかった。だから理由など尋ねようとも思わなかったし、早くどこかへ行ってしまえとすら思っていた。しかしここ最近、苛立ちを覚えるほど静かだと思っていたら、そうだ、こいつが来なくなったからだったからだ。
「どんどん増えていくんです」
 無駄なのに。報われないのに。
 女がついと顎を上げ、地平を見遣る。その時、ナギリはやっと気付いた。周囲には、掘り返したような盛り上がりが幾つも――吸血鬼の目を持ってしても、容易には数え切れないほどあることに。突き立てられたスコップが、点々と赤黒く錆びていることに。
「だから殺して、埋めてあげなきゃ」
 女がなんの躊躇いもなく立ち上がる。当然、ゴトン、と膝から死体が転がった。ナギリの口から、咄嗟に「おい」と咎むような色を含んだ声がついてでる。ずっと人形のように奇妙な無表情をしていた女の顔が、初めて人間らしく歪んだ。
「未練がましいなあ」
「……は?」
「私の夢なら、止めないでよ。……わざわざ辻田さんの格好をしてまでさぁ」
 不貞腐れた様子の女が一歩近付いてくる。女はどうも、目の前にいるナギリも自身が作り上げた虚像だと思っているらしかった。
「未練タラタラでさぁ……いつまでこんなことをやらせるつもりなの?」
「……知るか」
「報われないのは、もういやなのに」
 寂しげな響きに、ナギリはなぜかギクリとした。全身が金縛りにあったかのように固まり、動けなくなる。「ああ」そんなナギリをつまらなそうに見つめながら、女は突然思い出したような声を上げた。
「もしかして、夢だから好きにしてもいいよってことなのかな」
「は……」
「あは、ほんと浅ましいな、我ながら……」
 自嘲しながらも、女は歩みを止めない。二人の距離は拳一つ分もなくなった。ナギリの両肩に、土汚れひとつない女の白魚のような手がそっと添えられる。動けない。ナギリはもはや、瞬きすらできなかった。目を限界まで見開いたまま、ひび割れひとつない桃色の唇が近付いてくるのを凝視する。女の鼻先が、ナギリの乾燥して荒れた頬を掠めた。甘ったるい香りがした――夢の中なのに。
 ナギリは衝動のままに女の手を振り払う。肩をいからせて女を見れば、女は叩かれて赤くなった手を抑え、唖然としていた。
「え、え……な、なんで」
「なんでだと? このバカが! 俺をそこらの死体と同じだと思うな!」
 屈辱だ。そう、胸を突き上げ占めるこの感情は、屈辱以外のなにものでもない。この辻斬りナギリが一瞬でもこんな小娘に気圧されるなど、あってはならない。あろうことか、紛い物と同じ扱いをされた! 余りの屈辱に怒りで身体が火照る。赤い顔のまま、フーッフーッと荒く呼吸をして、女を激しく睨みつけた。
「最近見ないと思ったら、こんなことをしていたのか、お前」
「こんなことって」
「黙れ、なにが『殺す』だ」
 ナギリは尋ねる口調でありながらも、女の言葉を許さなかった。女の瞳が困惑で揺れる。
「無駄? 報われない? 勝手に決めつけて勝手なことをするな」
 それは俺のだ。
 低い声と鬼のような形相のナギリに、女の肩が跳ねる。それ、それってなに。怯えながら周囲を見回すが、いつの間にか死体もスコップも消えていた。広がるのは、一面の眩い白。女の戸惑いなど知ったことかと、ナギリは覆いかぶさった。
「生かすも殺すも、俺が決める」
「だから、それって――」
「分かったら、さっさと起きて言え。いいな」
 反論を飲み込むように、ナギリは女の口に噛み付く。たしかにその柔い唇に牙を突き立てているはずなのに、血の味はしなかった。夢の中だからだろう。しかし真っ赤な顔で固まる女に、胃とはまた別のどこかが満たされたような心地になった。
 ⿴⿻⿸
「おい」
 背中の硬い感触に、ナギリは現実に戻ってきたことを悟った。立ち上がりがてら、逃げ惑って地を這う夢吸いを踏み潰して塵にする。ナギリの声に反応してか、女の瞼がピクピクと震えた。
「おい起きろ」
「辻田さん、彼女は病み上がり? であります、あまり乱暴は――」
「言え」
 ナギリは女の胸倉を掴み、無理矢理起き上がらせた。あたふたと止めようとしてくるカンタロウを邪魔だともう片方の手で押し退ける。うるさい、邪魔をするな。無抵抗の女の頭が衝撃でガクガクと前後に揺れた。女は寝起き特有のぼんやりした顔にほんのり朱を滲ませ、ナギリを見つめている。その意味が理解できず、ナギリは舌打ちをした。なにを今更恥ずかしがることがある。
「さっさとしろ」
「す、すきです――キャッ」
 絞り出された声を聞くやいなや、ナギリはよし、と頷いて、手を離す。女が尻餅をつき、痛そうな声を上げた。
「つ、辻田さん」
「あ?」
「お返事をして差し上げないと……」
 なぜか顔を赤くしたカンタロウからの進言に、ナギリは眉をひそめた。返事だと? 言われたことを咀嚼し、大して深い意味も持たずに女を見下ろす。困ったような、泣きだしそうな、それでも期待が込められた眼差しが、じっと注がれていた。
 ああ、返事。なるほど返事か。
 やっと得心がいったナギリは、意地悪く口角をあげて鼻を鳴らした。

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