執着と純愛


「ああ、ああ! なんと待ち遠しかったことか!」
 数世紀前からなんら変化のない男の顔を見た瞬間、私の脳内に、前世の記憶が蘇った。

 ひょんなことから知り合ったその青年は、七日目の蝉ですらそのまま地に果てることを望むだろうというほど口説き文句を並べるのがヘッタクソな吸血鬼だった。紳士然としているのは上辺だけ。負けず嫌いで、ちょっと突けば簡単に感情を昂らせて口調を乱す。青年が癇癪のままに吹雪を撒き散らすせいで凍え死にしかけた、などということは、もはや数知れずであった。
 知り合って数年経ったある夜、青年は私の目の前で女性を魅了してみせた。うっとり陶酔した眼の女性を胸に抱き、こと魅了という能力に関しては、自分は吸血鬼の中でもかなりの使い手なのだと自慢げに語った。しかしそのくせ男は私に対して頑としてそれを使おうとはしなかった。私が何故かと尋ねても、気難しい顔をするばかりだった。
 不遜で生意気だった少年は、いつの頃からか立派な髭をたくわえたキザったらしい男性になり、やがては眼差しひとつで女を落とすまでの色事師となった。しかしそれほど長い年月を経ても、男は私に得意と豪語した魅了の能力を一度として使わなかった。男がはっきりと口にしたことはなかったが、それが男なりの誠意の示し方であったからだと私は知っていた。そういう妙な誠実さを気に入っており、好ましく思っていた。
 それでも私は靡いた素振りをみせてやることはしなかった。すっかり上達した口説き文句にわざとひどい点数をつけて扱き下ろし、きちんと整えられていた髪を振り乱して歯軋りをして悔しがる男を指差してケラケラ笑う。私が好意を伝えなかったのは、そんなままごとのような関係が居心地よかったからというのもあるが、一番の理由は、私がとっくに己が掌中であったと知れば、男は私からあっさり離れていくのだろうと思っていたからだ。
 そうして彼への想いを表には一切ださないまま私は歳をとり、流行病にかかった。
「来世では必ずきみを落としてみせる」
 寒々しい床に寝かせられ、手を握られた状態で鼓膜へ届いた震え声に失笑する。吸血鬼のお貴族サマは随分と夢見がちでいらっしゃるようで。月日を重ね髭が似合う壮年の男になろうとも、純朴な根は変わっていないらしい。
 来世なんかあるかよ馬鹿野郎。私はここで終わりだ。次なんてない。このまま勝ち逃げしてやる。一生引き摺ってろ、このスケコマシ。
 吸血鬼の一生を思いその途方もなさに笑いながら、私は満ち足りた気持ちで息を引き取った。

 と、いうのが前世の話である。来世はあったんだなという複雑な心地で、私は感極まった相貌の男を見据えた。
「此度こそ、きみをこの腕に抱く栄誉をおくれ」
 立ち上がった男がうっそりと手を伸ばしてくる。そんな彼を取り囲む、ぼんやりとした瞳の女性たち。見知った顔もちらほらと。目を眇めて懐に隠していた短剣を振りかざす。すんでのところで鋭い切っ先を避けた男はぎょっと私を見つめた。
「人身を害する吸血鬼にやる栄誉なんてないよ、氷笑卿」
 絶望したように見開かれた赤目に素知らぬ顔して笑顔を返す。どうやらまだ私に執着してくれているらしい。意のままにできず去った人間はそんなに不服か。いやしかし好都合。今世だって勝ち逃げしてやる。そんな気合いを込めて、私は剣の柄を握り締めた。

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