転化失敗


 父や祖父からの提案を、ドラルクは一考もせずに笑顔で断った。笑顔に添えられた「大丈夫です」の一言は、研いだばかりの包丁のような鋭利さをしていて、ドラルクの決意の固さが伝わってくる。余計に心配そうな面持ちとなった父へ、ドラルクは瞳を和らげた。
「この子は、私たちに会うために起きてくるので」
 確信を持って紡がれた言の葉に、誰も異を唱えることはできなかった。突き刺さる視線を気にも留めず、ドラルクは淡い微笑を湛えたまま、温度を持たない硬い棺の蓋へ手を滑らせた。それは飴細工にでも触れるかのような、とても繊細な手付きだった。
 ドラルクは新しく建設した自城に、愛し子の眠る揺籃を持ち帰った。城の中でいっとう月が美しく見える部屋に寝かせ、ドラルクとジョンは、張り切ってその部屋を整えた。
 起きてすぐは、人間だった頃の習慣が抜けないかもしれない。そう思って、窓辺にベッドも用意した。空気の凍てつく寒い冬には自分とジョンも一緒に潜り込めるようにと、うんと大きなものにした。クローゼットには恋人が好みそうな服や、夜会用のドレス、そして自分と揃いの型をしたマントを揃えた。それから、棺桶の下には、シャギーの絨毯を敷いた。毛の長い絨毯はふかふかとした踏み心地をしていて、ジョンもいたく気に入り、暇さえあれば棺周りをくるくるコロコロ転がって、その感触を楽しんだ。使い魔からのお墨付きをもらって、ドラルクも満足した。これならば、すっかり柔らかくなった寝坊助の足の平だって、きっとやさしく受け止めてくれるだろう。部屋に花がなくては目に寂しいと、四季ごとに花瓶と合わせて花も変えた。あとWiFiもつけたし、部屋に置いた50インチの液晶テレビには、アマプラその他この世に存在する動画系サブスクを全部いれた。あったら楽しいに違いないと、プロジェクタースクリーンも用意した。壁を壊して隣室と繋げて部屋を広くして、空いた一角に浴室とアイランドキッチンを設置した。ついでに天井の一部もぶち壊して、残った傾斜に電動ロールスクリーン付きの天窓も作った。ヌーバーや宅配をすぐ受け取れるよう、玄関から部屋まで直通のリフトも作った。それから、それから――。
 ドラルクは、その部屋だけで一生を過ごせてしまうくらい完璧で快適な一室を、数十年かけて完成させた。
 涙で声が途切れる夜もあった。寂寥感で息もできず、その身を砂とさせることしかできぬ夜もあった。それでもドラルクは、棺を撫でることだけは、決して欠かさなかった。
 語りかけたり泣き縋ったり、時には怒りを爆発させたりして、それでも棺を撫で続け。そんな片手間に夜を賑やかす人間たちを茶化しながら、ドラルクとジョンは時代をそこそこ面白おかしく過ごして愉しみ、やがて二百年余の年月が過ぎた。
 いくら経てども愛おしさは揺らがず、同時に悲しみが薄れることもなく。
 一人と一匹は、そんな空虚な夜々を幾千と繰り返した。

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 その夜は突然訪れた。
 もはや触れずとも無機質な木の感触は思い出せる。二百年触れ続けた物言わぬ棺は、そのくらいドラルクの手に馴染んでしまっていた。いつもと変わらぬそれを確かめるため、ドラルクは手を翳す――翳した瞬間。
 自身の力では、到底持ち上げられるべくもない重たい蓋が、ガタガタ勝手に持ち上がる。重厚な蓋が、ゴトンと床に落ちる。自分と使い魔の寒々しい声しか廻ったことのない部屋に、初めてそれ以外の音が生まれた。ドラルクとジョンは固唾を飲んで、瞬きも忘れ、蓋の外れた棺桶を見つめた。
 中からのっそり身を起こしたそれは、赤い瞳を眩しげに何度か瞬かせた。数秒ぼうと虚空を見つめ、眠たげな眼を彷徨わせる。女は緩慢に首を回し、棺桶の傍で硬直していたドラルクとジョンをみとめると、
「――あなたたちに会いたくて起きてきました!」
 そう言って、牙を見せてにっこり笑った。


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