セロリと浮気


 セロリが好きだ。もうこの上なく好きである。一日三食セロリ三昧の生活をして、栄養失調に陥りかけたこともある。悲しかった。セロリだけで栄養やエネルギーを賄っていけない燃費の悪い生命体であることをひどく恥じた。ともかく私は、 セロリが大好きだった。セロリがあるから私は生まれた。セロリのおかげで生きている。ありがとうセロリ、愛してるセロリ、フォーエーバーセロリ。
 そんな感じで、私は一日一本は絶対セロリを摂取していたし、冷蔵庫には常にセロリが二本は入っていたし、部屋の内装や服やその他細々した小物もセロリカラーで揃えていた。
 いた。そう、過去形である。
 私がそんな至福の生活を送れていたのは、ロナルドという、セロリを怨敵かってくらい嫌ってる男と付き合うまでの話だった。……まあ、まあね。知ってるんだよ、世間の評価というものは。私は生涯毎食セロリオンリーでも構わないというかできることならそうしたいくらいにセロリが好きだが、世の中の人達はそうでもないということは、一応理解していた。悲しい事実だが、セロリって嫌いな野菜ランキングにおいて高確率で上位にいるしね。本当に悲しい。どうして? あんなに美味しいのに。降谷零だってセロリが大好きなのに。百億の男が好きなんだから百億人が好きになるべきだろうがおかしいぞ世界どうなってんだおいコr
 はい。このように、己が好きだからといって、それを嫌う者に押し付けてはならないことは、古来伝わっている。けれど少しでもセロリの話題がでたら、私は理性をなくして押し付けたりしてしまいそうな気がした。ので、私はロナルドに自分とセロリの関係を隠すことにした。英断だと思う。こうすることによって、嫌いな食べ物を押し付けられる可哀想なロナルドも、恋人から嫌いな食べ物の匂いやオーラを感知してしまう可哀想なロナルドも存在しなくなる。私のセロリ成分摂取率が激減してしまうという一点さえ除けば、いいことずくめだった。
 でも、たとえば。『家に来る時はもちろん、対面したい時は最低でも二日前に予定をきいて』とか。『私のスマホに電話がかかってきてても、絶対勝手にとったりしないで』とか。恋人からこういう対応をずっとされたら、普通はどう思うだろうか。
「最近……ってわけでもねえけど、お前の様子、なんか、おかしい気が、して。ドラ公にも妙なからかわれ方するし……あの、いや、変なこと疑ってるとかじゃねぇんだけど」
「(うっ浮っっっ)」
 気っ……! 玄関口で体を縮こませ、至極言いづらそうに目を伏せてぼそぼそ零すロナルドに、私は卒倒しそうになった。週に三度のチートデイ――セロリデイともいう――に、連絡なしで来たから何かと思えば。
 弁明させてほしい。彼への気遣いのつもりだったのだ。
 ロナルドと付き合ってから、私はセロリの摂取を控えた。週七本食べていたのを、週三本に減らしたし、セロリカラー以外の私物もポツポツと増やしていった。ただ週三は家にセロリが置いてあるし、スマホの待ち受けは未だセロリの葉の拡大写真のままだしと、完全なセロリ断ちをしたわけではなかったのだ。だからロナルドと会う日――できれば前日も――セロリを口にしないようにと、彼が家に来る時は少しの痕跡も残さないようにと、うっかりセロリの待ち受けを見てしまわないように、と。全ては、そういった気遣いからくるものだった。だがどれもこれも、伝わっていなかった。いや伝わるわけないけど! ていうかもしかして付き合ってから今日まで半年ずっと悩んでた?! 気付かない私も私だけど、い、言え?! そういうことはちゃんと!
「……わり、約束破って、いきなり来ちまって」
「いや、全然、その……」
 内心でそんな八つ当たりじみた憤りが浮かぶも、しゅんと落ち込んでいる様子のロナルドにそんなことを言えるはずもなかった。ひ、ひぃ、お顔が真っ白だよこの子〜……!
「あのさ、中、誰かいんの、いま……」
「いっいないいない誰も――ていうかロナルド以外いれたことないし!」
「お、おう、そっか」
 強ばっていたロナルドの顔から、少しだけ力が抜けた。頬にもやんわりと赤みが差し、私もホッとして頬を緩める。
「じゃ、あ、あの、入ってもいいか?」
「えっ」
 思い返すはダイニング。キラキラ並ぶは、眩い緑。反射でファッと脳を過ぎった光景に、思わず笑顔を引き攣らせた私へ、ロナルドもまた顔色を悪くさせた。
「アッちがちがちがちがあのちがうマジでそんなんじゃない誰もいないよ、いないけどね! でもあの、ほんと、……今はちょっと無理というか」
「な、なんで?」
 ロナルドは、半泣きになりながらも食い下がってきた。そりゃあそう、不貞が発覚するかもしれないからね。いや不貞なんてしてないですけどねだってセロリ食おうとしてただけだもん私。
「あの、部屋に、その……部屋が! 汚いの、いますごく! 最近忙しくて家事サボってたから!」
「気にしないし、掃除とか俺も手伝うから……」
「いや、でも……い……一時間後くらいにまた来てくれないかな?! そしたらそれまでになんとかしとくから!」
 あっそういえばさっきまで履いてたスリッパ、セロリカラーじゃなかったっけ。
 ふと思い出してやばいと戦慄し、後ろ足でこっそりロナルドに見えない位置に退ける。その不審な動きに、現役退治人が気付かないわけもなく。
「……それ、誰のスリッパ?」
「えと、わ、私の……」
「お前がいつも使ってるの、ピンクのしましまじゃん」
 間髪入れずに切り返したロナルドの瞳が、傷ついたように細くなる。ぎゅっと引き結ばれた口に、思わず目が遠くなった。ワア、よく見てるなぁ……。彼の言うとおりで、ロナルドが来る時はピンクと水色でお揃いのボーダー柄のを使っている。でもこの全面セロリ色のスリッパはオフの日用のやつで……。
 なんて思っていたら、扉を開かれてしまった。ロナルドが私を押しのけ、家に入ってくる。通り過ぎざまに「ごめん」と絞り出すような、重苦しい呟きが聞こえた。いや、いいよ、もう。
「それは多分、こっちの台詞だから……」
 リビングから聞こえてきた絹を割くような叫び声に、私は深く溜息を吐き、スリッパに足をいれた。むしろこっちこそごめん。もう本当に、色々と……。
 こうなったらもう事情を話すほかあるまい。さて、どこから説明するべきだろうか。やっぱり二歳の初夏、私とセロリの出会いからかな。

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