愛されるよりも


 女はね、愛するよりも愛されるほうが幸せなのよ。
 とは、尊敬すべき祖母の言だ。我が祖母は、だからおばあちゃんは二番目に好きな人と結婚したの、とおじいちゃんの仏壇にお線香をあげながら、穏やかにそう言っていた。
「せーんぱい♡」
「……おはよう、サギョウくん」
 おはようございます♡ とサギョウくんは溶けた顔のまま挨拶を返してきた。語尾にハートでもついていそうなほど甘い声に苦笑する他ない。
「今日もかわいいですね、先輩。好きです」
「あは……」
 サギョウくんはニッコニコで照れた様子も少しも見せず宣った。もはやお約束の言葉だ。今日も来るだろうとは分かっていたが、やっぱり慣れない。反射的に頬が引き攣る。
 サギョウくん。私の後輩である彼は、吸対でも重宝されている非常に優秀なスナイパーであり、そして、理由はよく分からないのだが、顔を合わせる度に――つまり毎日なのだが――告白してくる。なぜなんだ、本当に。半田やケイに対するツッコミ以外では、冷静沈着なスナイパーに相応しくローテーションなのに。
「困った顔もステキです」
 困ってるのが分かるならやめてくれないかなぁ……。なまじ空気が読めないわけでは決してないのが、尚更厄介だった。
 ◆
「先輩、今度あのお店行きません? カップル割引あるそうですよ」
「……仕事に集中してくださいね、サギョウくん」
「はぁい」
 間延びしたかわいいお返事に不安を覚えるが、彼はなんだかんだ言って真面目だし、きっと杞憂なのだろう。上に下に問題児を抱えている彼だから、業務を疎かにすることはないと思っている。思いたい。
「先輩との見廻り、あんまりないからついテンション上がっちゃって」
 そう、後方支援が主な彼とこうして組むことはあまりない。私も私で、前線で戦うことのほうが多いから。隊長もどうして……。文句を言いたくなるが、まあ仕方ない。仕事なのだから。
 ◆
「先輩、怪我は……」
「ない、ないよ、私は平気」
 きみのおかげで、と付け加えれば、サギョウくんは横たわったまま満足気に微笑む。傷がそこそこ深いせいで、その呼吸が荒かった。突如現れた吸血鬼に襲われたせいで、正義の象徴である彼の白い隊服は、血で汚れている。救急隊が来るまでにとりあえず、と、上着を脱がせて応急処置をしていれば、彼が小声で「役得」と呟くのが聞こえた。言ってる場合かとふつふつと頭に血が上る。
「……私、自分でなんとかできたよ」
 もし女だからなにもできないと思われているのなら、それは心外だ、とても。特に彼にそう思われているのか、と考えると、自分でもよく分からないが、殊更嫌な気持ちになった。
 そんな曇った気持ちのまま、硬い声でつい呟けば、サギョウくんはむっと唇を尖らせた。その反応にすぐさま少し臆する。助けてやったのに、とでも言われるのだろうか。
「知ってますよ、そんなことは」
「へ」
「先輩には僕の助けなんかいらないだろうなってことくらい、ちゃんと分かってました」
 じゃあどうして、と目で問えば、彼は「だって」と目を逸らした。居心地悪そうに首裏へ手をやる。
「身体が勝手に動いちゃったんだから、仕方ないでしょ。……好きな人の危機に棒立ちなんて、できるわけないし」
 ああクソ、と彼は乱暴な仕草でガシガシと緑の頭をかいた。そんな彼に、わな、と自身の顎が震える。「わ、わたしが」語りかける声は、ひどく上擦っていた。
「私が、その……す、すきなひと、だから、助けてくれたってこと?」
「そうですよ、なにを今更当たり前のこと……。すみませんね、余計なことをして――」
「か、かっこいいね」
「……はっ?」
 思わず本音が漏れてしまった。不貞腐れた顔をしていたサギョウくんの顔が呆気に取られる。数拍、一気にぶわっと、その顔は熟れたリンゴのように赤くなった。
「なっ、ハ……きゅ、急になにを――っはあ?!」
 い、意味分かんないんですけど!
 私に対してはいつも蕩けていた顔が、初めて怒ったように歪んだ。口角がヒクヒクと痙攣している。
「ち、血が止まらなくなるからやめて下さい、突然……心臓に悪い……」
 今にも舌打ちをしそうなほどに赤い顔を激しく顰めながら、サギョウくんは悔しげにボヤいた。その表情に、胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。
「え、か、かわ……?!」
「皮、は? な、なんですか……?」
 もしかして変な催眠かかりました? 胡乱げに、しかしどこか心配そうに窺ってくる彼に思わず口を抑える。夏祭りで轟く太鼓みたいな、全然可愛くない心音が響いていた。
 どうしようおばあちゃん。私、愛するほうが向いているのかもしれない。

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