敗北!


 日本人、イズ、シャイ。奥手。
 例に漏れず、私もそうだ。想いを口にするのってハードル高すぎると思いませんか? 思います。そして相手から想いを口にされるのも、やはり同様に照れくさい。そんなレベルである。……単に私の恋愛経験値がド底辺というのもあるだろうが。
「今日も私の愛しいきみは可愛いね」
「ど、どうも……」
 まあそういうわけなので、ルーマニア育ちである彼からの“これ”に、私は非常に困っていた。正直やめてほしい。だって恥ずかしいじゃん。付き合ってからというもの、常にこんな感じなんだもん。慣れ? いや慣れとかは……全然ないっスね……。私はドラルクさんにベタ惚れなので……。
 なにはともあれ、あまりにも無理なので、私はドラルクさんに直接『そういうのやめてください』とお願いすることにした。大丈夫、私の恋人は二百八にして実父からお小遣いを貰っているような人だし自分の欲求に素直すぎるし、ゴーイングマイウェイ自分が絶対王政天上天下唯我ドラルクなところが過分にありすぎるけれど、私に対しては甘すぎる所があるから、きっと大丈夫。聞き入れてもらえる、はず!
「す、好き、とか言うの、ちょっとだけ控えてもらえませんか」
「え、絶対に嫌だが」
 と、息勇んで言ってみたというのに、まさかの初手拒絶。すんなりいくとは思っていなかったが、ここまで頑なに返されるのはさすがに予想外で、二の句が継げなくなる。なんかこう、『どうして?』とか、まず理由を尋ねてくれるかなって。理由を聞いた上で『しょうがないな』もしくはまあ『いやだよ』的軽いゴネが入るかなって、思ってた、んですけども。
 今からでも理由を尋ねてくれないかな、なんて淡い期待とともに、恐る恐るドラルクさんを窺う。彼は熱中していたゲームからすっかり手を放して、にっこり笑顔でこちらを凝視していた。笑顔なのに圧がある、むしろ圧しかない。『お断りだが?』の文字を背負いながら貼り付けられた微笑みに、私は彼からの譲歩的なサムシングはとても望めないらしいと悟った。
「あのほら、だって……ちょっと、頻度が多いかなって」
「頻度?」
 仕方なくこちらから口を開く。ドラルクさんは不思議そうに赤い目を瞬かせた。
「そうです、もっとこう、情緒……ムード? とか? あるじゃないですか、普通。でもドラルクさんってばそういうの気にせずポンポン言うし……」
「ポンポンとは心外だな。いつだって真剣な気持ちで素直に愛を告げているだけだよ、私は」
「ほらまた、ぁ、あい……とか言った!」
「本当のことだからな。伝えるべきときに伝えず、なにが愛かね?」
 それはそう、なんだけど。
 こちらを真っ直ぐ見るドラルクさんの顔には、揶揄うとかそういう意図が少し滲んでいない。もうすでに敗色濃厚、というか負けてる気がする。「でも」それでもまだ抗いたくて、往生際悪く呟くと、彼はゆったりと顔を傾けた。
「私はきみが好き」
「グゥ」
「それで、きみも私が好きだろう?」
「ゥ……」
「ほら。愛し合ってる者同士が愛を伝えあうことの、いったいなにが問題なんだい?」
 問題はぁ、私が恥ずかしいことでーす!
 そう開き直って言えれば、どれだけよかったか。けれどドラルクさんにこうしてじっと猫のように見つめられてしまうと、言葉さえでなくなってしまう。私はあうあうと口を震わせ、やがて力なく結んだ。
 そりゃ、好きな人に好きって言われるのはもちろん嬉しい。……けど、会う度話す度目が合う度『好き』だのなんだの言われてたら、なんか脳が溶けちゃいそうになるというか。
 とにかく、恋人なんてできたことない身としては、あんまり好き好き言われると嬉しいより照れが勝ってしまうのだ。勘弁してほしい、もうちょい手心をくれ! というのが本音である。でもこの様子じゃ分かってもらえなさそう。えーん……。
 途方に暮れていれば、不意にドラルクさんがふむと小さく呟いた。「なら」細められた瞳をついと寄越される。
「たまには趣向を変えてみようか」
「え?」
 歌うように軽い声とともにふわりとソファが揺れて、空気が動く。座面に手をついたドラルクさんがグッと身を乗り出して、隣に座っている私を下から覗き込むようにしていた。急な接近に反射で背筋が伸びて、自然と顎を引いてしまう。
「な、え、なに……」
 問い掛けの途中で手の甲に冷たさを感じたのでそちらを見れば、上品な赤が艷めく指が並んでいた。あ、そういえば、さっきまでゲームしてたんだ、この人。ゆっくりと見せつけるような動きで、白い指が手の甲を這っていく。そうして私の手は、あっという間にソファにぴったりと縫い止められていた。……あれ、なにこれ。困惑しつつ手を引き抜こうとしたが、素早く座面へぎゅっと押し付けられ、今度こそ少しも動けなくなってしまった。……あれ?!
「ど、ドラルクさ――」
 ハッとして――また仄かな危機感を感じて顔を持ち上げれば、恋人の顔は先程よりもさらに近くまで迫ってきていた。思わず息を飲んだ私へ、ドラルクさんは愉しげな笑顔を深め、くんと顎を上げた。
 額、鼻先、目元、頬や耳、顎や喉と、もうとにかく至るところへ次々と啄むような口付けを落とされる。止める暇もないくらい、流れるようなスムーズさだ。どれだけ顔を背けて逃げても、磁石でもついてるのかって程にすぐに吸い付かれてしまう。やわやわと食まれたり、吐息で撫でられたり、色々と趣向を変えて唇を落とされる。最初は少しだけ冷たかった唇も、気が付くとそんなの感じないくらい熱を持ち出していて――。
「ヒ、ぅ、ッあ、ちょ、と――あ、の……!」
 とめどない口付けに、降り積もっていた小さな羞恥が、とうとう戸惑いを超えた。いつ爆発してもおかしくないくらいに顔が火照っているのを自覚しながら、私はなんとかか細い声を絞り出した。声と一緒に、ドラルクさんの顔へと両手を押し付ける。さすがに殺したくはなかったから、押し付けるというより添えるといった方が近い。我ながら、抵抗にしては随分と控えめになってしまった。
 それでも一先ず彼の暴挙を止めることはできたので、手の先をそろりと見上げる。交差した私の指の間から、感情の読めない赤い瞳がこちらを穿っている。な、なに、どんな気持ち……。そうしてちょっと見つめあった末、やっとドラルクさんが表情を動かす。少し目を細め、つぶらな赤を、すっと下へ――。
「ヒッ、ュエッ?!」
「ンハハ、なにそれ?」
 シュパッと両手を彼の顔から離す。だって舐め、舐められた! 手、舐められた! ペロ、とかかわいいもんじゃなくて――いやそうされたって別にかわいいとは思えないけども――、べロ〜って、手のひらをなぞるみたいにされた! ワア舌長いっすね〜?! ていうか手汗舐められたのキッツいんだが?!
 パニックで思考が目まぐるしく回る。絞られた鶏のような声をあげて飛び跳ねた私を、ドラルクさんは他人事みたいにケラケラ笑った。笑いながら、逃げていった私の手を再び捕えた。
 節くれだった細い指がするりと巻き付いてきて、滑らかな手のひらを擦り合わせてくる。白く薄い手が、長い指が、不自然な粘着質さをもった動きで、すりすりと私の手に触れていた。恋人繋ぎだなんてかわいい言い方はできないそれから、どうしてか目が離せなくなる。私は手と手が艶めかしく絡み合う様を、固唾を飲んで見つめてしまった。なんか、あの、ドラルクさんの手に、私の手を食べられてるみたい。
 なんてそんな馬鹿なことを考えてしまったせいで、また心臓がバクバクと鳴り出す。ばかなの? ばかなのかも。もうなんでもいい。とにかく身体があつくて心臓がいたくて、もう今すぐ全身が蒸発して消えたっておかしくない気がする。だって、だってなん、なんかこれ、えっ、えっち――。
「ねえ」
 重たい欲を孕んだ低い声に、茹だった思考を揺らされる。ぎこちなく瞳を動かせば、少し顔を傾けたドラルクさんが――器用に鼻先を逸らして、限界まで顔を近付けたドラルクさんが、牙をみせて笑っていた。弓形になった目は赤々と光っていて、またいつになく楽しそうで――そして、興奮しているように見えた。
「いつものとコレ、どっちがいいかい?」
 吐息が紡ぐ言の葉に、ふらふらと思考が誘導される。いつもの。いつものってあの、歯の浮くような、かわいくて恥ずかしい、あの愛の言葉たち。どっちがいいかってつまり、“こういうふう”にされるのと、どっちがってことで――。
「……す」
「うん」
「すきってい、いってくださ、い」
「喜んで」
 うっとりするくらい綺麗に相合を崩したドラルクさんは、初めて聴くようなドロっとした甘い声音で、「だぁいすきだよ」と囁いた。






「でもかわいいからやっぱチューもしちゃおっと」
「……は?! な――ン、ム」

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