思い出は星となって燃えている


※続きというより前日譚 好きになったきっかけの話





 伸ばされた指先が触れる。触れられた箇所がたちまち高熱をもち、あまりの熱さに皮膚も肉も一緒くたに弾け――。



 鼓膜を劈くけたたましいアラートで意識が覚醒する。
 グノーシアに敗北したループを終えた私は、再び自室“一日目の宇宙”へと帰ってきていた。のろのろ身を起こして、先程消えたはずの手で額に滲んだ脂汗を拭い、深く息を吐き出した。
 ここのところ失敗続きだ。疲弊しているのか感覚がひどく鈍っているようで、グノーシアたちの嘘を見抜くことがろくにできない。二個前のループではしげみちの嘘さえ見抜けなかった。もっとも彼の嘘はほかの乗員には筒抜けであったから、投票によるコールドスリープは呆気なく決まったのだが。しげみちへ集中した票を見て、ただ一人別の人へ投票していた私が恥ずかしくなったのは言うまでもない。ちなみにそのループではAC主義者と思われたようで最終日まで残されて――まあ、そのあとの展開はお察しだろう。
 運良く嘘を見抜けた時だって、よりにもよってその相手が演技の上手いSQや、周りに溶け込むのが得意な沙明だったりして、なかなか私の主張は信じてもらえない。ムキになって疑いを向け続ければ煙たがられ、時には私がコールドスリープされたりした。本物のエンジニアなのに初日で凍らせられた時の絶望といったらない。もう知らないからと半分憤慨しながらポッドで不貞寝した。
 乗員がだめなら、とグノーシアとして参加した時だってひどかった。あと一日切り抜けられればグノーシアの勝利、というところで急に疑われてコールドスリープされたり、連携がうまくいかなくて騙りとして出た仲間の調査結果を破綻させてしまったり。
 それならバグは? 仲間がいなければ負けたところで罪悪感を煽られることもないし、信じてもらえなくて落ち込むこともない。そうヤケクソになって試してみたが、普通に心細かったし、一人で不安なのが態度にもろに出てしまって結局うまくいかなかった。

 とにかくどの陣営でいても最近の私はダメダメで、みんなの足を引っ張ってばかりだった。せめて特記事項の収集ができていたらまだよかったのだが、それさえも上手くいかなくて、ただただ失敗を繰り返すだけ。

 この宇宙に私なんて必要ないのかもしれない。

 どうしようもなく煮詰まった現状に、そのループの私はすっかり臍を曲げていた。ナーバスになっていた。もう、なにもしたくなくなっていた。

「……つかれた……」

 今回はもう議論に参加するのやめてしまおうかな。コールドスリープされてしまうかもしれないが、今回の私は乗員だし消えて困ることはないだろう。少し不利になるけれど……どうせ私がいなくったって。
 不貞腐れた気持ちのまま布団を頭から被って丸くなる。けれどLeviから急かすようなアナウンスをかけられたので、私は渋々ベッドから滑りでて、ようやく身支度のために動き出した。あーあ、疲れたな。


「話し合い、で……僕と。あの、ぼ、ぼ……僕と、協力しませんかッ!」
「……」
「あ……。あ、あああ……言って、しまった……」

 議論が終わって夜になり、食堂で夕食を済ませて部屋へ戻ろうとする。意を決したような呼び掛けに振り返れば、通路の先ではレムナンが立ち尽くしていた。レムナンから呼び止められるなんて珍しい。情報が集まるかも、と彼の元へと向かい――そしてこれだ。協力。いやな響きだ。だってここ最近の私は、協力を持ちかけられた相手たちから尽く裏切られている。レムナンと協力したことはそういえばまだないけど、でも流れでいくならレムナンだって……。

「(どうしようかなぁ……)」

 しきりに瞬きをして、妄想によりじんわり広がっていった苦い気持ちを誤魔化した。内心でどうしようと嘯きながらも、心の天秤は『いやだなぁ』に傾きかけていた。信用してた人に嗤われるのは、もううんざりだ。
 レムナンは縋るように襟元を握り締め目を硬く瞑って怯えていたが、私が黙りっぱなしだったので、しばらくすればそろりと瞼を持ち上げた。

「あの……やっぱりだめ、でしょうか……?……だめですよ、ね……」
「……いいよ」
「……え?」
「協力しよう。これからよろしく」

 濡れた子犬のような眼差しは、なんともこちらの哀れみを誘った。可愛げがある人はこれだから厄介だ。断るつもりだったのに、気が付くと私の口は了承を告げていた。苦虫を噛み潰したような気持ちになる。言ってしまった以上は仕方ない、腹を括ろう。……レムナンだってどうせ裏切るんだろうけど。早くも諦めモードに入っていれば、レムナンは「えっ……」となぜか狼狽えて目をぎょろぎょろさせた。

「ど、どうして僕なんかと……。……なにが……狙いですか?」
「は?」
「ヒッ、すいません! ち、違うんです、すいません! 協力、してくれて、嬉しいです。頑張りますから……許して、ください……!」
「……いや、許すもなにも、私は別に……」

 猜疑心に塗れた眼差しと言葉に対して、私が落とした言葉はただの一音。なんだコイツと思ったのが、そのまま露骨にでたものだった。途端にレムナンが過剰に肩を跳ねさせ、細く絞った声を弱々しく震わせペコペコ頭を下げる。数秒前からの豹変ぶりに当惑しながら、私は面倒だなと思った。今誰かが通りかかったら間違いなく私が悪者に映る。だってレムナンの態度も言葉も、まさに脅されてる人のそれだ。誰かが来るのを想像して、勘弁してくれという思いで頭痛がしてくる。ただでさえ今回はモチベーションが低いのに、それで疑いなんてかけられたらその瞬間にやる気を全て失う自信がある。否定も反論もせず、なんなら自分からポッドへ赴くかもしれない。

「別に怒ってないから。それより議論の作戦でも立てよう。……動力室で話す?」
「えっ、あ……は、はい……」

 溜息を喉元でなんとか捩じ伏せて、軽く笑顔を作る。彼がよくいる場所といったら動力室というイメージが強い。あそこが好きなんだろうと思って提案すれば、レムナンはやっと頭を上げてくれた。
 誰それが怪しいエンジニアはあの人が本物な気がするといった話を少ししたところで、Leviから空間転移の報せを受ける。まだ初日ということもあり圧倒的に情報が少ない。憶測だけの意見交換はあまり実のある会議とはいえなかった。

「明日は最初からここに来よう。夕食もここでいいかな。……いやだ?」
「い、いえ……むしろ、ここがいいです……機械の側は、落ち着くので……」
「分かった、ならそれで」

 大きな動力炉の地鳴りじみた音は、私としては少々耳障りに感じる。よほど機械が好きなんだなと思いながら、私は「レムナン」と彼を呼んだ。レムナンはそろりとこちらを窺う。話し合いの中でもなかなか合わなかった菫色の瞳が、頼りなくこちらへと向いた。

「一緒に生き残ろうね」
「……! は、はいっ!」
「じゃあ、また明日」

 会えるか分からないけど。
 なんて皮肉は、飲み込んだ。さて、いつ裏切られることになるのやら。




 そうして二日三日と議論は進み……五日経った。今日の投票で決まった人物のコールドスリープを見届けると同時に、グノーシア反応の消滅を報せるアナウンスが船内に流れた。わっとその場が沸き立ち、船員たちが生き残ったことを喜びあっている。

「助かったん、ですね。僕たち……。信じ、られません。助かった……なんて」
「……ね、ほんとに……」

 すっかりお祝いの空気になっている中、一人呆然としていた私へ、協力者のレムナンが嬉しそうに声を弾ませた。助かった。助かってしまった。生き残った――勝った? 私が?
 信じられなくて、喜びより困惑が勝っている。ぼんやりしっきりでいい反応を返せないでいたが、レムナンはあまり気にしていなかった。レムナンの態度はここ数日で随分柔らかくなった。自由時間さえあれば話し合っていたお陰だろう。

「僕、こういう時は、決まって……一番、酷い目に、あいますから。だから、きっと……――さん、の……おかげなんです」
「……そんなことないよ」

 心からそう思っているとばかりに瞳を緩ませる彼に、複雑な気持ちになる。私はレムナンが怪しいと感じた人物へ疑いを向けただけだ。謙遜でもなんでもなく、本当になにもしていない。そんな尊敬の眼差しを向けられても困る。
 そう首を振るが、レムナンは「いえ、そうです」と微笑んだままきっぱり言いきった。そんな彼を見て、意見を翻す気はないんだらうなと悟り苦笑する。ここ数日の作戦会議で、レムナンは気弱に見えてなかなか頑固だと知った。

 私は勘違いを正すことを諦めて、へにゃっと相好を崩すレムナンを横に、端末を操作して配役を確認するために結果を表示させる。

「あ、レムナンが守護天使だったんだ」
「ええ、まあ……」

 途中本物判定されたエンジニアが消失したけど、あの夜は誰を守ってたんだろう。別に責めるつもりはないが、なんとなく気になって航海日誌を開く。最終日から初日までをスクロールしていき、最後に一日目の夜――レムナンと協力を結んだ日の夜を見て、指が止まった。

「れ、レムナン?」
「はい?」
「な、なんでずっと私を守ってるの、これ……」
「え……」

 守護天使であるレムナンは、ループが始まってからずっと、一日も欠かさず私を守り続けていた。

「私、ただの乗員だよ。なんの役職もないんだけど……」
「はあ、そうですね……?」
「そうですねじゃなくて……」
「え、でも、だって」

 レムナンは頭を傾けて白い綿毛のような髪を揺らした。どうしてそんなことを聞くのだろうというような、キョトンとした顔をしている。

「役職とか関係ない、です。だって――さんは僕の協力者、ですし……。それに、――さんがいなきゃ、意味、ないので……」
「意味?」
「はい……言ってくれました、よね……『一緒に生き残ろう』って」

 当たり前のように紡がれた彼の言葉は、使いなれない言語を翻訳する時のように理解に時間がかかった。少しずつ小分けに訳して飲み込んでいき、そうして完全に理解した時。私の顎からは自然と力が抜けていった。私は棘がすっかり抜け落ちた彼の顔を、穴が空くほど凝視する。とんでもないことを暴露したというのに、レムナンのかんばせは少しの翳りもなく綻んだままだった。

 そんな――そんなたったの一言のためだけに、この人は貴重な守護枠を私なんかに使ったのか。

 だってあんなの口だけで、なんなら嫌味だった。だって私はどうせ今回も裏切られるとばかり思っていたから。それでレムナンが私を裏切った時、あの言葉を思い出して少しでも傷付けばいいと、そう思って、嫌がらせのつもりで口にしただけだった。
 それなのにこの人はそれを愚直に信じて、その通りにしようと私を守って、あまつさえお礼まで言って――。

「――さん」

 鼓膜へ溶け込むような優しい声に、下がりかけていた頭を掬われる。いつもと違って顎を引かず真正面から私を見ていたレムナンと、視線がするりと結びついた。細められた紫の瞳にぱちぱちと星が瞬いて美しく煌めく。

「『一緒に生き残ろう』って言ってくれて、嬉しかった、です、本当に……。あなたがいてくれたから、僕、頑張ろうって思えました……本当に、本当に有り難う、ございましたっ!」




 チャンネルを変えたように目の前が切り替わり、レムナンの笑顔が消え去る。代わりに視界を占めたのは、見慣れた自室の天井だった。

 ぼうっと横になったまま、数度瞬きをする。レムナンの最後の言葉が、やけに余韻を残していて、耳から離れてくれない――くれないせいで、目の前が、揺蕩うようにぐらりと歪んだ。目の奥から熱が突き上げてくる。気道がきゅうっと絞られ、喉奥に実体のないなにかが詰まっているみたいに、呼吸が苦しくて堪らなかった。唇を噛み締めて胎児のように体を丸くし、せぐり上がる情動を堪える。波が収まったところで、ふーっと息を吐いた。

「……がんばろ!」

 布団を足で蹴飛ばして退け、私は跳ね起きるようにベッドから下りた。

 通路を進み、メインコンソールへと足を進める。もう少しというところで、前方に縮こまるように背を丸めて歩く人影を見つけた。レムナンだ。それを認識した瞬間、自分でもびっくりするくらい自然と顔が綻んでいた。泉のように湧き出た澄み切った、それでいて甘やかな感情が胸を満たす。

「ねえ! そこのきみ!」

 ――ああ、私、この人が好きだ。

 かち合った視線に確信を持つ。怯えた素振りをみせるレムナンには悪いけれど、それでも私、多分、この先ずっとあなたのことが好きだと思うな。

 その理由なんて、きっとあなたは一生思い当たらないだろうけれど――でも、それでも構わない。

 私だけが覚えていれば、それだけでいい。これは、そんな一方的で身勝手な、想うだけの恋なのだから。


   ✲✲✲


 セツが扉の向こうへ旅立ってしまい、半ば強制的に連れて行かれたグリーゼで暮らすこと数ヶ月。私はレムナンと共に市内中を歩き回わって、ラキオに頼まれた買い出しをしていた。

「……うん。ラキオさんから頼まれたものは、これで最後、ですね」
「やっっっと終わった……」

 受け取ったメモへ念入りに視線を走らせていたレムナンが安心したように呟く。私はというと、その隣で荷物を抱えて脱力していた。全く、何軒はしごさせるんだあのロジック厨。私的な物品の買い出しを頼むなんて珍しいと思ったら、こういう魂胆か。『メモを渡した時点で気付いても良さそうなものだけど?』と脳内でせせら笑いを浮かべる孔雀野郎を思って歯噛みする。

「付き合わせてごめんね、レムナン」
「いえ……僕も今日は、時間があった、ので」

 同行者にレムナンを指名したのはラキオ本人だ。D.Q.O.からの付き合いである彼が私とレムナンの事情を知らないわけないのに、こんなどうでもよさそうな司令でペアを組ませるなんて!……と最初は抗議したけれど、買い出し内容がかなり専門的で私にはほとんど理解できないものばかりだったから、結果的にレムナンがいてくれないとだめだった。ラキオはこれを見越したんだろうが、いやならやっぱり自分で行けと思わずにはいられない。

「……まあこれでお店は覚えたから、次からは一人で行けるかな!」

 もう迷惑はかけない。レムナンと二人行動なんてしない。彼が喜ぶだろうと思ってそう口角を持ち上げれば、その予想に反してレムナンは眉をひそめた。

「……でも、多くない、ですか? 一人だと持って帰れないんじゃ……」
「もし多そうなら誰かに同行をお願いするよ」
「誰か……」

 ぽつりと転がすように繰り返した彼は、ますます難しく眉根を寄せた。レムナンは少し考え込んでから、私の顔を覗き込むように顔を近づけた。分かりやすく不機嫌な顔に心臓を凍った手で撫でられたような感覚が襲う。今日一日ラキオのワガママ、私の計画性のなさ、そして隣を歩くことさえも寛容に受け止めてくれていたのに、いきなりどうしたというのか。蓄積した苛立ちが急に爆発でもしたのだろうか。どぎまぎしていると、レムナンは「今日」と言葉を低く押し出した。

「僕では、力不足でしたか」
「まさか! すごく助かったよ。レムナンがいないと夜になっていたと思うから」
「……なら、よかった、です。……じゃあ、次……も、僕が着いて行きます、から」
「えっ」

 レムナンは硬い声で言うと、話は終わりだとばかりにすたすたと歩き出した。反論など聞くものかという雰囲気を纏って遠ざかる猫背を見つめ、呆然とその場に立ち尽くす。
 それは、レムナンが嫌なことじゃないのか。
 私と二人で出掛けるなんて、私と二人きりだなんて。そんなのレムナンにとっては、吐き気がするほど厭わしいことではないのか。疑問をぶつけるにも、彼の姿はもう遠く、影は随分と引き伸ばされていた。

「……少し、くらいは」

 期待で揺れる呟きが雑踏に消えていく。脈があるだなんて、恋人になりたいだなんて大それた望みは端から抱いちゃいない。でも、少しくらいは、好きになってくれているのだろうか。少しくらいは、彼の信頼を勝ち得ているのだろうか――いつかに廻った宇宙のように。

 何気なく視線を空へと向ければ、竜胆の淡い青紫が薄く広がっていた。そんな昏れかけの空の高いところで、星が一つ光っている。とくべつ大きく強い光というわけでもなかったというのに、やけに目を引いた。その光は、矢となり私の胸を真っ直ぐに穿った。
 ああ、あの星は、あの輝きは、きっといつかの思い出だ。いつかの宇宙、いつかの銀河で果てたはずの、もう二度と交わらない私たちだ。
 唐突に、そしてなんの確証もないのに、こんなことを確信する。雷鳴のように胸を貫いた光は、そんな漠然とした感傷で私の心を震わせた。

「――どうかしましたか」

 星から視線を外す。先に行ってしまったはずのレムナンが戻ってきていた。浮かんでいた不機嫌はさっぱり拭い去られ、むしろ今は、こちらを慮るような顔をしていた。

「ううん、なんでも。ただ星が綺麗だなって」
「ああ……」

 レムナンは納得したように鼻先を天へ向けたけれど、そこまでの興味は無さそうだった。相変わらず感情が素直に顔に出る。私は少し笑って、ぼんやりと星を眺めるレムナンの名前を呼んだ。淡い夕空を流し込んだ瞳がゆるりとこちらへと降りた。

「一緒に帰ろう」
「……はい、一緒に」

 星になった思い出が、遥か彼方で燃えている。
 なにより美しく、いっそ暴力的なほど輝きでいて、そして尚、鮮烈な星芒を銀河中へと振り撒いている。

 決して忘れるなと、たしかにあったのだと、今の私へ向け、光の限りに叫んでいた。
 

 >>back
 >>HOME