事象地平の攻防戦


※続きというより前日譚(その2) 告白されるまでこういう関係でしたよみたいな




 なにかに追い立てられるように、革命軍拠点の廊下を抗争中もかくやとほどに全力で走った。執務室の前で足にブレーキをかけ、扉横に設置されたパネルへ自身のカードを叩きつける。ピッという認証音によりすぐロックが解除されたが、私は扉が完全に開かれるより前に、隙間ができた先から体を滑り込ませた。そうして部屋へ入った私は、部屋の主の顔も見ず無我夢中で叫んだ。

「レムナンが告白されてた!!」

 作業をしていたラキオは、虚をつかれたのか珍しくぽかんと目を丸くした。だがすぐうるさいとでも言いたそうに目を眇めて、「相変わらず礼儀を知らないね」と毒づいてくる。相変わらずってなんだ。礼儀云々に関してラキオに苦言を呈されるのは業腹なんだが。
 と言ってやりたかったが、今はそれよりも優先すべきことがあったので、私は黙して足を進め、休憩用のソファへ頽れるようにして身を沈めた。

「おやおや、仕事も放って堂々ストライキとはいいご身分だね。きみにただ存在するだけでいいなんてお情けを下賜してやった覚えはないよ」
「仕事なら終わった。次潜入する政府組織の拠点についてでしょ。情報をまとめた資料ならクラウドに更新してある」
「……ああ、そ。まあだからなんだという話だけどね。頼まれた仕事をまっとうするなんて当然のことだ、別に偉くもなんともない。それより僕が言いたいのは、目障りだから疾く出ていけってことなンだけど?」
「いや、私だって本当は盗み見なんてするつもりはなくてね? たまたま通りかかっただけなんだけど。だってあのレムナンが女性と二人きりだなんて、なにか余程のことがあったのかなって気になっちゃって……そしたら、そしたらさあ!」
「なにを勝手に喋りだしてるンだ。僕は出てけって言ったンだけど、聴力が機能してないの? だから音声伝達なんて古臭い手法はさっさと切り捨てるべきだと――ああ、それともいよいよウェルニッケ野が萎縮したのかな? いやなに、きみにはかねてより理解力に欠ける節があると思っていたンだ。だから今更驚くべきことでもないね、あははっ、ご愁傷さま!」
「ラキオはうるさい」
「あン?」

 ドスの効いた声を聞き流し、彼が手ずから直々に選び抜いた上等なソファへごろんと寝転ぶ。相変わらずふわふわで最高の寝心地だ。ラキオは物へのこだわりが強い。効率を考えるなら真っ先に不要とされるはずの化粧をわざわざ毎日している時点でその傾向は顕著だ。私もレムナンもこのマシュマロのようなソファがお気に入りで機会さえあればこれ目当てに執務室に入り浸っており、多分もう本人より使っていた。

「うるさい? まさかきみ、うるさいって言った? この僕に向かって?」
「言ってない言ってない。はー……グリーゼの人ってみんなラキオみたいなのかと思ってたけど、やっぱり普通に恋愛する人もいるんだね……」

 ため息混じりに口にして、すぐ顔を歪める。みんなラキオとか言葉にしただけでも恐ろしい話だな……。ラキオは何故か得意げに鼻を鳴らした。

「何を今更。僕ほどの知性を大多数が会得できなかったから僕らは今こうして活動しているンだろう。で?」
「ん?」
「つくづく察しが悪いな。少しくらいなら話を聞いてやってもいいって言ってるンだよ」

 どういう風向きかいきなり親身になられ、こちらも気勢を削がれる。そりゃラキオはいつもなんだかんだ優しいけど。私はしどろもどろになりながら「いや」と呟いた。

「だから、レムナンが女の人に告白されてて……」
「それはもう聞いたよ。その先――レムナンの返事を聞いたからこそ、きみは今こうして僕に迷惑をかけてるンじゃないのかい」

 ラキオは図星だろうというようにしたり顔で目を細めたが、そんなレベルではない。私はラキオからそっと顔を背けた。

「……聞く前にここに来ました」
「は?」
「っだって聞けないよ! 怖い! もし、もしレムナンが告白OKしてたらもう私、わたし――っああ気が狂う! おかしくなる! いやもうなってるかも。OKしてたらと思うだけで精神が破壊される」
「身構えていた以上にくだらない話だったな。やっぱりさっさと出ていけ」

 言われると思った! そんな反応されると思った! 冷えきった声音にグサグサされつつ、私はクッションへ顔を埋めて唸り声を吸い込ませた。

「う、う……うう……! 私も、私だってレムナンに『好き』って言いたい……」
「もう言ってるだろう。何を今更張り合うことがある」
「……だって、私が告白したレムナンはまだ異性に対して不審感しか抱いていなかったし」

 ラキオの言う通り、私は船を降りる前にレムナンへ想いを告げている。けれどレムナンとは今後もグリーゼで行動を共にするだろうし、彼の居場所を奪うような真似はしたくなかった。だから私は告白してからも、彼へ対しては極力友人然とした振る舞いを心掛けてきた。
 そうやって数ヶ月過ごしてきたお陰で、今ではレムナンが築いていた心の壁もだいぶ低く崩れている。壁、つまり、異性へ対する嫌悪感。

「だから、同じ行為でも今と前回ではもう条件が全然違うって話だよ」
「ハハッ、たしかに言い得て妙かもね。要するにソイツは、人間不信が多少は緩和された状態のレムナンへまんまと告白したってわけだ。きみが数ヶ月かけてたっぷりじっくり調教したレムナンへ!」
「……そういう言い方はやめて、ラキオ」

 明け広げで露悪的な表現に顔を顰める。あながち間違ってはいないところが、尚タチが悪い。さすがに調教だとは思っていないけれど、でもグリーゼに来てからレムナンが最も関わっている異性は私だし、彼の異性不信が緩和するに至った一翼を担ったという自負はあった。自惚れでもなんでもない。だって私は彼に嫌われないよう精一杯努力してきた。気を遣ってきた。拒絶されても気にしないフリをし続けてきた。そんな涙ぐましい努力の成果として導き出された結果が、これ。

「……私が一番好きなのに」

 抑えきれず、ついに零してしまった。
 こういう醜悪な嫉妬心――好きな人が良く思われるのを素直に祝福できない自身の性根の悪さも、また一段と私の気持ちを落ち込ませていた。


 告白なんてされないで。
 レムナンのことなんて誰も気付かないで、見つけないで。
 あなたの素敵なところなんて、私だけが知ってればそれでいいのに。

 恋人でもないくせに、この先一生なれもしないくせに、こんなことを思う権利は、ないくせに。
 そんな自己中心的なことばかり考えてしまう。想うだけでいいとか殊勝な振りをして、私というやつは本当になんて汚いのだろう。知らしめられた醜さに自己嫌悪でたまらなく吐き気がした。

「あーあ、好きなのやめたいなー……」


   ✲✲✲


「すっ好きです!」

 キレたラキオに「うじうじうじうじ鬱陶しいンだよ」と追加の仕事とともに部屋から追い出され、ついでの弊害とばかりにレムナンの顔もまともに見れなくなってから早数日。なんと今度は私が告白されていた。廊下で呼び止められたかと思ったら、急にだ。相手は革命軍メンバーの一人で、それなりに話をする機会も多かった人物だった。対面するその立ち姿には緊張が漲っていて、相当の勇気を振り絞ってくれたことが窺えた。先日と同じ、グリーゼの人でも恋をするのかという感想が一瞬頭を擡げたが、この状況でそれは余りにも失礼だったとすぐ考えを打ち消す。

「もしよければ、恋人としてお付き合いしていただけませんか……!」

 尻窄みになった声に、罪悪感が募る。答えは決まっていた。少しでも傷つけない返事を、と思案を巡らせながら口を開く。私がなにか声を発するより先に、目の前の人物が「ぁ、」と驚いたように声を零した。

「――さん」
「っ、あ、レムナン……」

 すぐ真後ろからの突如とした声掛けで、大袈裟なまでに肩がビクッと跳ね上がった。背後を見上げ、相手がレムナンだと分かりホッとする。けれどじっと落とされる感情の読めない瞳に、胸中には困惑が広がった。

「ラキオさんが呼んでましたよ。至急、だそうです」
「え、そうなの?」

 至急というくせに、メッセージじゃなくてわざわざ人を介して呼び出し? 妙な話だ。もしくは私が通知に気付かなかったのかな……。そう手元の端末を確認しようとしたが、腕を掴まれた。私の手首にがっつり触れている白い手にぎょっとする。

「行きましょう、早く」
「うん……あ、でも――えっと、すぐ行くからレムナンは先に――」
「だめです、来てください」

 レムナンらしからぬ有無を言わさない高圧的な口調。それから手を掴む強い力に臆されて、つい言葉をなくす。私は引き摺られるように道を先導されながら、なんとか顔だけで後ろを振り返った。目が合った彼は、一人残された通路で困ったような顔をして、それからぺこりと会釈をした。




 道が違う。
 声をかけるのも憚られ――レムナンの歩調が非常に早く、喋る余裕もなかったともいう――、私はしばらくされるがままに大人しく引っ張られていた。が、そのうちどんどんラキオのいる執務室からは離れていっていることに気が付く。

「レムナンッ、ラキオは、執務室じゃないの?」
「……え、あ……」

 意を決して荒い呼吸の合間に声をかけると、レムナンは一拍遅れて立ち止まった。ハッとしたように辺りを見回し、執務室どころか人気のない場所に来てしまったことに驚いている。見回したついでに掴んだままの私の手に気が付き、バツが悪そうにしながら手を離した。赤くなったそこを摩ると、レムナンは肩身を狭そうに項垂れた。

「す、すいません、僕……」
「や、いいけど……でもなんか、やけに急いでたね」
「それは……だって……」

 呼吸を整えながら端末を取り出す。やっぱりラキオからのメッセージは来ていない。レムナンの焦りようを見るに、なにかしらの追加メッセージなりなんなりして早く来るようせっついて来ててもおかしくないと思うんだけど。ラキオのことだし。

「……? レムナン、どうかし――え、えっなに?」

 何か言いかけていたはずだが、一向に続きが紡がれないので、不思議に思って顔を持ち上げる。顔を上げた先では、レムナンは鼻の付け根に縦皺を数本作り、分かりやすく機嫌が宜しくないことを訴えていた。そんな顔で睨まれているとは思っていなかったので、狼狽して声が吃る。

「……どうして、告白なんてされてるんですか」
「……はい?」
「どうして告白なんてされてるんですか」

 二回も言われた。しかも普段ぽつぽつと言葉を慎重に押し出す彼にしては、珍しく流暢だった。それほど私が告白されたという事実を腹に据えかねているのだろう。いやなんで?

「ええ……? どうしてと言われましても……」

 なぜ私なんかを好きになったのかなんて、私があの人に聞きたいくらいだ。困っているのを隠さず態度にしても、なお緩まない険しい眼差しに、どう弁明したものかと悩む。が、はたと頭の冷静な部分が『いや待てよ』と告げる。私が弁明する必要、ある? ていうか、そもそも。

「私が誰に告白されようが、レムナンには関係なくない?」
「は?」

 レムナンの纏う怒気が強まるのを感じたが、私は急いで「それに!」と言葉を重ねる。

「レムナンだって告白されてたじゃん! だからほら、おあいこだよ、おあいこ。ね?」

 なにがおあいこなんだろう。私たちってお互い、誰に告白しようがされようが全く関係ない関係のはずなんだけど。
 私は自分でも意味が分からなくなりながら、三桁にも及ぶループで培ってきた議論で手に入れたスキル、『うやむやにする』を駆使して、明るい調子でそう言った。

「……おあいこ、じゃ、ないです」

 だめだった。
 レムナンの目が鋭くなり、議論の際に疑いを向けてきたものとそっくりの眼差しになる。決して逸らされない『嘘つき』と雄弁に詰ってくる瞳に、ひくりと頬が引き攣った。

「だって、あなたが、最初に言ったんじゃないですか」
「え」
「僕のことが好きだって……そう、言いましたよね」

 念押しするような低い声には、少しでも否定すれば、次の瞬間には本当に噛みつかれてもおかしくないような迫力があった。「……言ったね」恐る恐る肯定すると、少し溜飲が下がったのか、瞳の鋭さが僅かに和らぐ。

「ならやっぱり……告白されるなんてそんなの、ちょっと……どうかと、思います」

 むすりと不満を示して尖る唇は子どものようであり、そうして零される内容も、やっぱり子どもの駄々のようだった。驚き過ぎて呆れも怒りも通り越して、レムナンのことをまじまじ見てしまう。

 だって要するに、『フラフラするな』ってことでしょう、それ。『一途に、告白される隙なんて見せるな』って、つまりそういうことでしょう。なにそれ。自分は応えてくれないくせに――拒絶したくせに。なんて傲慢なんだろう。自分のそういう傲慢さに自覚がなさそうなところもまた厄介だ。無自覚傍若無人な自由すぎるレムナンに対し、ふつふつと苛立ちが込み上げてくる。どうかと思うっていやそれこっちの台詞だよ。そういう思わせぶりなこと、やめてほしい。好きだと思うことを許容されたって勘違いしそうになる。私はこんなに頑張って『好きでいるだけ』の立場で我慢してるのに。私は嫉妬してるなんてそんなこと、口が裂けても言えなかったのに。

「……レムナンのばか」
「なんでそんな――えっ、どうしたんですか急に……?!」

 しかし一番ムカつくのは、あけすけにぶつけられた独占欲が怒りと同じくらい――もしくはそれ以上に嬉しくなってしまっている自分だった。こんな身勝手な言動で舞い上がれる自分が悔しい。腹いせにしては幼稚すぎる罵倒を投げ、私はその場に頭を抱えてしゃがみ込んだ。慌てふためく声がするが、顔は上げてやらない。というか上げられない、多分真っ赤だから。


 私、一生このズルい人が好きなんだろうな。好きになってもらえなくても、多分この先ずっと、好きでいるのをきっとやめられないんだろうな。

 不貞腐れているはずなのに、口元が勝手に笑顔になっていくのがまた腹立たしい。「大丈夫ですか」「お腹痛いんですか」と今度は気遣うように忙しなく話しかけてくるレムナンに、そんな悲しい予感まで確信してしまう。
 やってらんないなと、私は隠した腕の中で口許に弧を乗せたまま、軽い溜息を吐いた。
 

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