春宵エチュード
同業の才能マン。そんなヒヨシという男との関係は、なし崩しに始まった。特別なきっかけがあったわけでも、ましてや特別な想いがあったわけでもない。ただ退治終わりで昂った欲を消化するのに手近で手頃な相手として、互いが互いをたまたま選んだだけだった。
◆
「……え、お前、俺以外とは寝てないんか」
「……まあ」
ヒヨシとそういう関係になってしばらくが経った頃。どういう運びでそうなったかはよく覚えていないが、とにかく私は、そんな事実をヒヨシに教えてしまっていた。
ヒヨシがきょとんと目をぱちぱち瞬かせる。余計なことを口走ったなと己に内心で舌打ちしつつ、それを隠してすまし顔で肯定する。私の返事に、ヒヨシの元から大きい目がさらに大きくなった。
「なんで?」
「近い」
不可解そうな顔がグイッと近寄ってきたので、顔を顰めながら顎を引く。どうしてマツエクしてる私より睫毛バッサバサなんだよと思いながら、「別に、深い意味はないから」と前置きして少し距離を取った。
「単に今はヒヨシ以外とこういうことしたくないなって。ただそれだけ」
同時に複数人と体を重ねるのはなんとなく嫌というだけだ。潔癖症では別にない――そんなんだったらそもそもこんなことしない――けれど本当になんとなく、気持ち的に。……別にヒヨシに操立てしてるとかではない。全然違う、断じて違う。
「新しい相手わざわざ探すのだって面倒だし」
「……」
ツンと顔を背けながら、「それだけだから」と釘を刺す。ヒヨシはしばらくぽかんと口を開けて、それから、
「……うっまいの〜⁈」
心底感嘆したように言い、私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。こんな雑な、色っぽさゼロの触れ方は初めてだったのでぎょっとして硬直してしまう。すぐに我に返って、シーツの上で「やめてよ!」とバタバタ暴れるが、私の抵抗をものともせず、ヒヨシはご機嫌で頭を撫で続けた。
「うまいってなに、別に、私は――」
「いやマジで今のはかなりグッときたぞ。すごいな、どこで覚えたんじゃそんなの」
「っ、うるっさ、テンション高っ! なに⁈」
「や〜、かわいかったなと思っての」
触り方が急に変わり、顔横の髪をひと房摘まれる。行為中とはまた違った甘さを宿す瞳に、ほとんど条件反射で眉間へ皺が寄った。なんか妙な勘違いをされているような気がする。私にとって都合が悪い勘違いを。ヒヨシが特別とか、そういう理由じゃないのに。だから喜ばれても、かわいいとか言われても、嬉しくなんかない。別に嬉しくなんか――。
「俺も今度使ってみよ」
「……言うんじゃなかった!」
嬉しくなんかない!
無性に腹が立ったので脇腹を蹴る。エグいくらい割れた腹筋は、気なんて張っていないはずなのにしっかり硬くて、そのくせ「イテ」だとかわざとらしく零すものだから、尚更ムカついた。
◆
その日はなんとなく頭が痛くて、特に何かあったわけでもないけど心がひどく曇っていて、とてもそういうことをする気分ではなかった。
「今日、したくない」
ラブホのベッドの前で、肩にかけた鞄の持ち手を握り締めたまま呟く。ヒヨシの顔が見れなくて、私は自身の足元をただじっと見つめた。落ちた沈黙が、チクチクと首の裏を刺すような心地だった。ここまで呼び出しに応じておいて今更なにを言っているのかと呆れたのかもしれない。そう思うと、ますます目の前の男の顔が見れなくなった。
「じゃ、映画でも観るか」
「……え?」
「ゲームでもいいぞ。……お、ヴァリカー見っけ!」
なんでもないように、なんなら嬉々としてテレビ周りにあるゲーム機器を漁るヒヨシに呆然とする。
「え、えっ? ほ、ほんとにいいの、しなくて」
「おう。そういう日があってもいいじゃろ」
平然と宣うヒヨシに戸惑いを隠せない。たしかに恋人ならそれでもいいかもしれない。でも私たちはセックスするだけの関係なのに。今日だって本当はそのために呼んだんだろう。私たちが任務以外で顔を合わせる理由は、それ以外にこれまで一度もなかった――それなのに。
「……い、いい」
「ん?」
自分から拒絶したくせに、いざ受け入れられたら途端に空恐ろしくなってしまった。彼にとっての自分の存在意義が、価値が分からない。不安で足元がぐらつくような感覚に襲われながら、私は無理やり口角を持ち上げた。
「ごめん、やっぱり大丈夫。大丈夫だから――しよ、ちゃんと」
ヒヨシはすっと目を細めて私を見つめた。心を見透かすような眼差しに罰の悪さを感じて、所在なく髪をいじる。そんな私に、ヒヨシは大きな溜息を落とした。
「なんでそんな顔しとるんじゃ」
まったく、と仕方なさそうに言って、ヒヨシがぐしゃりと頭を撫でてくる。またもや甘さを感じない触り方で、けれど優しさは充分に伝わってきた。どうしてか涙腺を刺激され、目頭が熱を持ち出す。自分でも意味が分からない。情緒がバカになっている。でも泣きたくないし、泣き顔を見られるなんて以ての外だったので、私はヒヨシの肩に額を預けて顔を隠した。
結局その日は、本当になにもせず、ただ抱き締めあって寝るだけで終わった。怖かったし不安だったけれど、不思議といつも以上によく眠れてしまった。
◆
「……家、来る?」
待ち合わせ場所で私がそう提案すると、ヒヨシが一拍挟んでから「行く」と真顔で返してきた。
あれから私たちは、会うだけ会って、でもなにもせずに寝て終わるという夜を何度も過ごした。何度もというか
ここ最近はほぼそんな感じだった。「したくない」と言い出すのは、いつも私だ。拙くて幼い試し行動である自覚はあった。しかし最近ちょっと頻度を多くしすぎていたし、あっちはきっと毎回そういうつもりなのだろうに肩透かしを食らわせ続けるのも申し訳なくなったのでちょっと言ってみた。のだが、ヒヨシが乗ってきたのは、少しだけ予想外だった。誘っておいてなんだけど、正直断られる前提だった。そういう、プライベートに踏み込むようなことは避ける方かと勝手に思っていたから。
「うまっ! お前料理できたんじゃな」
「それ褒めてるつもり?」
適当に夕飯を作って振る舞えば、彼は殊の他喜んで食べてくれた。かわいくない照れ隠しにも気を悪くすることなく、ヒヨシは「褒めとる褒めとる」とニコニコ笑った。
「いや〜俺にはだせん味じゃな、これは。弟たちにも食わせてやりたい。こんな美味いモンが食べれたら、きっとアイツらもさぞ喜ぶことじゃろうな〜! いやしかし俺には作れんからな〜! う〜んなんとも口惜しいのう〜!」
「作り方教えようか?」
「……そうくるか」
善意からの申し出だったのに、なぜかヒヨシは苦い顔をした。軽く息を吐いて肩を竦める。
「ま、いいか」
なにがいいのか分からない。解せない私へヒヨシは、「お前はそのままでいいってことじゃよ」と、緩く頬を綻ばせた。結局レシピは要らないってことだろうか。ていうかヒヨシがうちにいるの、なんか変な感じだなぁ。そう思ったが、機嫌を損ねそうだったので口には出さなかった。
「……私のベッドにヒヨシがいるの、変な感じ」
けれど結局我慢できなくて、組み敷かれた状態で呟いてしまった。同じ香りの髪の香りに、違和感がさらに煽られたせいでもある。怒るかなと思ったけど、「実は、俺も同じこと思っとった」と案外柔らかく微笑まれた。
その日は、いつも以上に時間をかけて甘く溶かされた。単に久しぶりだったから、そう感じただけかもしれない。もしくは、そう思いたかっただけかもしれない。なんにせよ、思い返せばまるで恋人のような甘やかなひと時であったことには、違いなかった。
◆
「うち来るか?」
「え、行かない」
「……お前もうちょっとこう、悩む素振りをみせたりするとかな……」
即答。一考の余地なし。がっくり肩を落としたヒヨシから恨みがましそうな眼差しを送られる。
「だって弟さんとかいるでしょ。……子どもが寝てる横でとか、絶対無理だし」
けれど私がそう言うと、ヒヨシは先程までの気難しい顔をたちまち消し去った。代わりにニタ〜っとした笑顔が広がっていく。いやらしい笑い方に警戒しながら「なに?」と訊ねる。
「別にぃ? ただそんなに俺としたかったんじゃな〜と思って?」
「は?」
「俺はただ、この前のお礼に、今度は俺が腕によりをかけて手料理を振る舞ってやろうかと思っただけなんじゃがの〜」
ヒヨシは揶揄うように上滑りした声でそう言った。私は言われたことをゆっくりと咀嚼し、そして理解して瞬時に頬へと熱が集まっていく。
「で、そういうわけなんじゃが、招待されてくれるか?」
「〜〜〜されてあげない! 行かない!」
「ワハハ! まあまあそう言わず、な!」
ヒヨシは鼻歌を歌いそうなくらいご機嫌に私の手をがっちり握って、勝手にずんずん歩き出した。くそ、相変わらず力が強い!
この前作ったものを彼の家でも作り――これが目的だったのかもしれない。前もやけに気に入ってるアピールしてたし――、ヒデオくんとヒマリちゃんを寝かしつけてから、私は木下家からお暇することにした。ヒヨシと二人並んで、月が冴える夜道を歩く。断ったのに、送ると言ってやけに頑なだった。
「アイツら、お前のこと気に入っとったな」
「そうかな? だと嬉しいけど」
二人ともヒヨシにそっくりでかわいかったし、ヒヨシの兄弟とは思えないくらい無邪気だった。まあとは言っても、また会う確証はないのだが。
しかしそんなひねくれたことを考えたタイミングで、「また来てくれ」とヒヨシが笑いながら言った。心を読まれたのかと思ってしまったので、反応が遅れる。少し間を開けて動揺を飲み込んでから、私は小さく頷いた。勘違い、してしまいそう。しないけれど。
浮かれそうになる自分をきつく戒めつつ、平静を装って歩き続ける。
「私も、二人ともっと仲良くなりたいし」
「お、嬉しいのう」
ヒヨシはのんびりそう言って、それからゆるりと瞳を細めた。生暖かな風がそよぐ、穏やかな春の夜。弓形になった青の瞳には、そんな夜に相応しくない熾烈な熱がチラついているような気がして、思わず目を見張る。
「俺とは?」
「え?」
「俺とはもっと仲良くなりたくないか?」
当たり前のように繋がれていた手を、軽く引かれた。するりと腰に手が回り、ヒヨシの顔が近付いて――。
「――俺は、なりたい」
お前にとっての、一番の仲良しに。
熱に浮かされた低い声が、耳の横でそう囁いてくる。込み上げた感情で喉奥が勝手に引き攣り、情けない声が零れそうになる。気力を振り絞って空いた手でヒヨシを押し返すも、大して力が入らず、添えるだけみたいになった。案の定、押されてるなんて思わなかったヒヨシから「ん?」だなんて優しく首を傾けられ――もう無理だった。
「っ、う、うあ〜……!」
力が抜けるままに、私はその場にしゃがみこんで膝頭に額を押し付けた。「なんじゃなんじゃ」という狼狽する声に、またくぐもった唸りをあげて返事をする。
「大丈夫か? 具合でも悪いんか?」
「……ヒヨシ、に」
「おう?」
「ヒヨシに、落ちたくない……」
「……その発言はもう落ちたと言ってるも同義じゃにゃあか?」
「うるさいうるさいうるさい」
私は蹲っているのに手は繋がれたままで、離してくれる様子は微塵も窺えなかった。むしろ持ち上がって繋がった手を、にぎにぎと揉まれる。その動きだけで、彼がひどく楽しそうなことが顔を見ずとも伝わってきた。
ヒヨシが、私以外の女性ともう会っていないことは、なんとなく分かっていた。会う頻度が多すぎるし、ギルドの皆からの視線も最近やけに生暖かいし、ヒヨシはヒヨシで、人の目があってもなくてもあからさまに距離近いし。
そう、薄々気付いてはいたのだ。私たちの関係が変わり始めていることに――否、とっくに変わっていることに。でもそれを自分から言い出すのは、やっぱりどうにも怖くて勇気が出なくて。だから私は、一人夜の中でうじうじずっと足踏みをしていたのに。
「ヴゥ……やだ、もう……ずるい……」
「うーむ。ほんと、かわいいやつじゃの〜、お前」
「だからそういうことを言うな……!」
「ワハハ」
笑ってんじゃねえと目の前の脛を思いっきり殴る。なんでも器用にこなす完璧大天才様も、さすがに脛は素直に弱いらしい。「イッテェ!」と何時ぞやとは大違いな悲鳴が春の夜を裂いたので、ほんの少しだけ胸がすいた。
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