しょうがない貴方がタイプです


 好きなタイプは?
 そんなことを、なんの脈絡もなくニヤニヤとやたら声を張って尋ねられた。なんでよりにもよってそんなセンシティブな話題を声高に! 全身から冷や汗が噴き出すような心地と、それでいて血液が沸騰しているかのような心地が一遍に襲いかかってくる。私は慌ててマリアを諌めようとしたが、不埒な音はとうに弾けたあとであり、当たり前に手遅れであった。
 たちまち付近にいた人たちからの無遠慮な視線が一身に突き刺さる。それだけでも十二分に恥ずかしくて堪らなかったのに、椅子を数個挟んだ先に座る赤い退治人までもがまじまじとこちらを見ていたものだから、はく、と唇が意味もなく震えた。驚いた相貌の彼がぱちりと瞬きしたのが合図だったかのように、腹の奥からぶわっと熱が込み上げてきて、それまでグラついていた感情の天秤が一瞬で羞恥の方へがくんと傾いた。急に首の裏まで燃えてるみたいに熱くなる。透き通るように煌めく青から逃げるように、私はパッと顔を背けた。背けた先で、よくもやってくれたわね、と元凶である友人をキッと睨みつける。歴戦の退治人である彼女には、か弱い一般女性の涙混じりの睨みなどなんのダメージにもならないらしく、マリア(と、ついでにターちゃん)は、面白がった顔のままだった。
 私は、カウンターにお金を叩きつけて逃げてしまおうかしらと画策する裏で、これはチャンスかもしれないともたしかに思っていた。なにせ先に行われた蛮行は、私が想いを寄せる相手を知っているからこそであり、少しも進まぬ恋路を慮った故の友人たちなりの応援でもあった。私は縁あってロナルドさんがヴァモネさんの弟子だった時からの知り合いで、もう随分長いこと彼に恋をしていた。……しかしやはり彼女たちの親切は些か乱暴にすぎるし、言ってしまえば余計なお世話だ。楽しんでいるだけなんじゃないの、この人たち。お酒も飲んでいないのに、いやらしい笑顔しちゃってまあ。
「――好きな、タイプは」
 内心で不貞腐れていたくせに、私の口は質問の答えを紡ぐべく動いていた。両片想い特有のぬるま湯じみた現状は心地がよく、純情無垢の猫を被り素知らぬ顔して初心な彼を揶揄うのは大変楽しかった。けれどそろそろ次の段階へいきたい、大々的に彼を独占したいと私が思い始めていたのも、また事実だった。いいわよ。作為的にも湧かされたこのチャンス、あやかってやろうじゃないの。
 この際だと開き直ることにした私は、彼の視線に意識を向けつつ、言葉を探して口を開いた。
「素直でかわいくて――努力家なひと」
 ロナルドさんの好きなところなんて、挙げれば枚挙に遑がない。されども私は彼を好きになってから自身の性癖が著しく歪んだ自覚があったので、言葉にしても引かれないだろうというラインを慎重に見極めてぽつりと落とす。しかし最後の部分だけは、とりわけ大事に、そしてどろどろに煮詰めたジャムみたいに甘ったるく音にした。私が彼を好ましく思うに至った切欠のようなものだったからだ。
 目を伏せたまま、ちらりと横へ視線を流したその先で、呆然と開かれていたロナルドさんの口が小さく動く。「どりょくかなひと」とひっそり復唱する声が耳元まで運ばれてきて、口元が緩みそうになってしまう。そう、そうです。私、努力家な人が好きなんです。素直でかわいくて、努力家な人。それって、この場には一人しかいないんです。少なくとも私にとっては。ねえ、それ、誰のことか分からない?……いい加減、分かってはくれない?
 覚悟を決めたくせして、意気地無しな私はまだ遠回りがやめられない。振る舞いだけみれば構ってほしがり察してちゃんの、思わせぶりな嫌な女だ。それでもこれが、今だせる精一杯の勇気で誠意だった。
 そうして私は身勝手な期待を込めて熱っぽく彼を見つめていたが、ふとその顔色が真っ青なことに気が付く。
「あの、ロナルドさん?」
 可愛こぶるのもやめて、困惑しながら話しかける。彼は「あっ」と体をびくりと震わせた。
「あの、アッ、え、と……あの――――パ、パトロールがてら走り込みに行ってくるぜ!」
「えっ?! そんな急に、あっ、お、お気を付け、て……」
 ロナルドさんはそう言って勢いよく立ち上がると、帽子を引っ掴んで行ってしまった。尻窄みになった見送りの声は、きっと最後まで聞かれることすらなかっただろう。……なんだか、予想していた反応と、全然、まるきり違う。もうちょっと、いえ、恐ろしく鈍感な貴方相手に迂遠な言い方をした私が悪いとは分かっているのだけれど、でも、ここまで綺麗にスルーする? なんていうか、もう少し、こう――。
 それなりに覚悟を決めてアクションしてみたのに、なんの反応もなく、置いてけぼり。あまりの結果に落胆を取り繕えず、重たいため息が零れた。見送りのために上げていた手も力なく下がっていく。落ちた私の肩を、マリアが慰めるようにぽんと叩いた。お優しいこと。でも元はと言えば、無責任に発破かけてきたあなたが原因なんですけど? 最初からこんなことしなければ、落ち込むことだってなかったのに。
 幼稚な責任転嫁である自覚はあった。最終的に決めたのは自分なくせに。私は膝の上に置いた手を握り締めることで、胸底で燻り尖る感情を握り潰した。

   ◆

 ロナルドさんが風邪を引いてしまったらしい。マスターからのタレコミだ。そんなの、お見舞いに行くっきゃない。最近は多忙を極めていたのか、先日の肩透かし騒動以来会えていない。……いえ、浮かれてませんよ? 仮にも相手は病人なのですから、ええ。それはもう、当然浮かれてなんていられませんとも。例え会うのが実に三週間ぶりだとしても、浮かれるなんて、そんなとても。
 きっと事前に連絡をすれば遠慮させたり気を遣わせてしまうと思ったから、無作法ではあるがアポ無しで向かった。
【なにか食べたいものありますか】
【え】
【か、唐揚げとか……?】
 必要なものは一応尋ねたけれど。唐揚げ? 却下だ。分かりやすく戸惑っているメッセージに呆れて目を細める。食欲があるのはいいことだ。だからって油物は流石に看過できない。妥協案でオムライスくらいかなぁ、それもどうなのとは思うけど。
 私は献立を考えながらスーパーと薬局をハシゴして、事務所へと足を運んだ。どうせ今日は奥にいるだろうしと、ノックもせず扉を開き、ギョッと目を剥く。
「……へ……ッァエオッッ?! な、なんであなたが、えっ、え?!」
 突然の来客にギョッとしたのはあちらも同じようだったが、いや私の方がずっと肝を冷やしているに違いない。だってロナルドさん、
「な、んで退治人衣装でパソコン抱えてソファに寝転んでるんです?!」
 こんな感じだったんだもの。もう驚きすぎて思ったこと全部口に出してしまった。
 ロナルドさんは私を認識した瞬間、猫が飛び上がるように身を起こしていたので、もう寝転がってはいなかった。けれど、それでも彼が事務所の、ベッド用ではないソファに身を落ち着けている事実は変わらない。寝るのに適していなさそうなソファで、ロナルドさんは居心地悪そうに体を小さくさせていた。ノートパソコンを大事な我が子とばかりにぎゅっと抱き締めている。
「ぁ、や、その……仕事は、来ないっぽいから……せめて原稿くらいはやっておこう、かなって……今はその、ちょっと、休憩……みたいな」
「……せめて奥でお休みになられては?」
「……すみません、だらしなくて」
「そういうことが言いたいのではありません」
 見当違いな謝罪に嘆息してしまう。感情のままにぴしゃりと言い、それが思っていた以上に冷たい声音をしていたことに自分でドキリとした。私自身そう思ったのだから、感受性の高いやさしい彼も、当然そのトゲを感知してしまっていた。怯えたように瞳を落としたロナルドさんに、罪悪感がじわりと広がっていく。
「……風邪を引いたとお窺いしました。なのでお仕事をしてらっしゃるとは思わなくて、つい驚いてしまって。私にできることがあればなんでもお手伝いしますし、とりあえず今日は奥に行きませんか? 良ければなにか作りたいなと思って、ほら、食べ物もこんなにたくさん買ってきてしまいました」
 柔らかい声を心がけて、大袈裟なまでに眉を下げて微笑む。私はあなたが心配で来たのです、というのが、これ以上ないくらいに分かりやすくなるよう、あざとく音にした。彼が厚意を受け取りやすいように、軽くおどけてもみせた。
 これで少しは、気を持ち直してくれるかしら。微笑みの下でちょっと緊張しながら彼の反応を伺う。しかしどうやら私は、失敗してしまったらしい。ソファの彼は、ぎくりとしたようにますます顔を硬く強ばらせていた。口がぎこちなく開閉するが、肝心の言の葉は一向に紡がれない。痺れを切らして私のほうから歩み寄る。立ち上がらせるために手を取れば、分厚い手が跳ねて逃げるように動いたので、ぎゅっと握りしめる。
「ぇ、あ、あ、の……?!」
 当惑気味に声を掛けられるが、繋いだ手があまりにも熱すぎて、答えてられなかった。こんなに熱があって、どうして休んでいないのだ。どうしてそんな格好をしているのだ。原稿なんて、今はそんな場合じゃないでしょう。
 先の反省も忘れ懇々と叱りつけそうになる口を、必死で結ぶ。自分を落ち着けるための呼吸を一度してから、とりあえず、と抱えられていたパソコンを腕から引き抜いた。
「さ、休みましょうロナルドさん」
「え、アッ、だっ大丈夫です!」
「大丈夫なわけ――」
「大丈夫です、ほんとに! まだやれます!」
 そんな宣言の次の瞬間には、彼はゴホゴホと噎せていた。急に大声をあげたからだろう。
「だいじょ、ケホ、ッ、ぶ、だいじょうぶ、だから……」
「……どこがですか」
「ほんとに、へいきです、から。まだ頑張れます、おれ」
 ロナルドさんがへらりと笑う。呼吸は苦しそうで、見るからに疲れ切っていて、見ていられないほど痛々しかった。不意に彼の目元が弱く光る。見れば、銀の縁には涙が溜まっていた。落ちるほどではない、けれどたしかな苦痛から滲んだ涙。それを見て、プツリとなにかが切れた。
「だから、伝染すといけないし、帰っ――」
「るわけないでしょうが! 馬鹿じゃないの?!」
「ば、エッ?! ぉわ、な、なに――」
 長らく被っていた猫も捨て、彼の腕を引っこ抜かんばかりにグイグイ引っ張る。居住スペースまで連れていき、ソファに彼をぶん投げた。普段の彼相手ではとてもできない芸当だが、怒りのせいか、今までになく力が湧き出ているようだった。
「あ、あの――ッワキャーーー?! なになになになになに?!」
「こら暴れない」
「脱ぎます、脱ぎます自分で! 脱ぎますから!」
 ジャケットを剥ぎ取りインナーに手をかける。はしたないだとか言ってられない。自分でやると言うので、ならばと手を離して「パジャマはどこです?」と聞く。蚊の鳴くような「そこのクローゼットです……」という声に従い、クローゼットからパジャマと思しきガチャついた柄の衣類を取り出した。それを半裸状態の彼に渡すが、彼は妙にまごついて、いつまで経っても受け取ろうとはしなかった。
「あ、身体を拭きたいですか?……ああそれとも、もしかして一人では着れませんか? お手伝いしましょうか?」
「ピャ、だだだだだいじょうぶです着ます着れます!」
 この期に及んでまだパジャマになることに尻込みしているのだろう。意地悪な言葉を選んで投げれば、たちまち彼はあたふたとしながら袖を通し始めた。
 まったく、手のかかる。内心で毒付きながら、キッチンへ向かい、買ってきたものを冷蔵庫へとしまう。ご飯は、と思ったけど、とりあえず寝かせた方がいいかも? ああでも薬とか……。衣擦れの音が止んだのを確認して、彼の元へと戻る。目がチカチカする柄のパジャマを纏ったロナルドさんは、自分の家だというのに、またしてもそわそわと所在なさげにしていた。
「ロナルドさん、お薬とかって飲みました?」
「あ、一応……ついさっき菓子パン食って、その後に……」
「そうなんですね、偉いです。じゃあ尚更寝てよく休んだほうがいいですね」
 寝ろ。
 という圧を込めて微笑みかける。硬直した大きな子どもの体をソファにかけてあったブランケットで包み、ゆっくりと体を横にさせた。口元をもごもごとさせ何か言いたげにしていたので、「あら」とわざとらしく顔を傾け、さらに口角を持ち上げる。
「眠れないのなら添い寝でもしましょうか?」
「そいっ?! ね、ねむ、ねむれま――……ぁ、でも、寝る、のはちょっと、あの……おれ……えっと……」
「……どうしてそんな、無理をしてまで頑張ろうとするんですか」
 ソファの傍らに膝をつき、ロナルドさんと目線を合わせる。ふわふわした前髪を分けて冷感シートを貼り付けると、彼は気持ち良さそうに一度目を瞑った。気が緩んだのか、ほう、と息も零れている。ほら、やっぱり苦しかったんじゃない。仕方のない人だなとやっぱり呆れて、同時に愛おしさが込み上げてくる。ほんと、不器用な人。
「自分が苦しいときくらい、素直に助けを求めたらいいじゃないですか」
 助けを求める相手として、私が力不足というだけの話ならまだよかった。悲しいし虚しいけど。でもそうではなくて、そもそも彼は誰にも助けを求めようとはしないから。彼の責任感が強い所は、美点であり欠点だ。
「助けを求めたって、誰も責めたりしないですよ。……むしろ私は嬉しいです」
「ッ、……で、も」
「でも?」
「……努力が、足りなくないですか?」
「……はい?」
 ぼんやりと溶けた声が緩慢に落とすのを、ぽかんと聞き返す。薬が効いてきたのか、眠たいのだろう。そういう声音と顔をしていた。素面の彼からは、恐らくとても聞き出せなかっただろうと思った。
「だっておれ、もっと努力しなきゃダメなんだ。そうじゃなきゃ、おれ、すきになってもらえない……」
「……一体どこの誰が貴方の努力が足りないなんてふざけたことをほざいたのですか?」
 どこのヌケサクだ道路標識に張り付けてやる。
 感情を押さえ込み、なんとか笑顔を維持して尋ねる。ロナルドさんは、天井へ向けていた瞳をゆるりと動かし、私をじっと見つめた。薄く開かれた唇が動くのを辛抱強く待つ。さあ、眠る前に教えてくれ。ひと仕事してきますから。起きる頃には、貴方を責める愚か者なぞこの新横浜からは消えていますからね。
「あな、た」
「……え?……えっ? あな、わたっ――えっ?」
 引越ししなきゃ。血の気がサッと引いていく。いや待って、でも私、そんなこと言った覚えは一度だって――。
「あなた、が、好きだって言った、から」
 どりょくかなひと。
 詳細を続けられても、混乱が解けることはなかった。それはたしかに言いました、言いましたけど。でもそれは私、あの、『貴方』のつもりで――というかそれがどうして努力しなきゃという話に?
「おれ頑張って、そういうふう、に、なりたくて」
「そ、そういうふう……?」
「あなたの、好きなタイプ」
 うん、いや、好きなタイプというか、あれは、あの。
 絶句してなにも言葉にならない。何を言っているんだろうと思う反面、何が言いたいのか、理解しかけているような気もする。私は遅々として動く唇を、今や食い入るように見つめていた。
「かわいい? とかは、おれ体でかいし、男だし、無理だけど……せめて努力とか、そんくらいならできるなって。だからそうしたら――」
 そうしたら。そうしたら、なあに。
 中途半端に開いた口から、ちらつく可能性への期待で濡れた呼気が零れていく。みっともないとは思ったけど、止められなかった。
「――そうしたら、おれのこと、少しはすきになってくれるかなって」
 ああ、とうとう事態の全てが呑み込めてしまった。咄嗟にきゅっと口内の肉を噛む。色んな感情が一斉に込み上げてきたせいで、無性に叫び出しそうになってしまった。
「そう思った、のに……う、おれは努力もまともにできないゴミ虫……うう……こんなんじゃ、こんなんじゃ、すきになってもらえない……」
「そ、んなことない、です、よ」
 よく分からない慰めをなんとか捻り出したが、いまいち会話になっていない気がする。この短時間で私の脳まで茹だってしまったらしく、頭がまともに回らなかった。
「おれは、あなたに好かれたい」
 そうですか。好きですけど。
 こんな状況予期していなかったので、そんな本音はとても口にはできない。というか声が出せない。潤んだ瞳が私の方へと向く。眠気と熱で侵食された瞳には、私の顔なんてまともに映っちゃいないだろうと思った。むしろ映ってくれるな今だけは。頼むから。だってきっと、もうなにも取り繕えなくなっている。待ち望んでいたはずの好意は、剥き出し過ぎていっそ暴力的だった。理性を直接撫でられているみたいだった。
 もうなんだか私まで泣いてしまいそう。そう俯いていれば、手首を引かれた。汗ばんだ手のひらを、縋るように擦り付けられる。はあ、とどちらともなく零された熱い吐息が、いやに湿った空気を揺らした。
「――こんなしょうがない俺でも、好きになってくれますか?」
 努力を努力と思わないロナルドさんが、聞くまでもないようなしょうがないことを聞いてくる。そんなの、答えは決まっている。好きになるもなにも、だって、私は最初からずっと。
 いつの間にか閉ざされていた彼の目尻から、涙が一筋流れていった。
「……すきですとも」
 すうすうと穏やかな寝息へ、もう聞こえていないと分かっていて返事をした。
 片手を握られたまま、抱えた膝に火照った額を擦り付ける。分かった。よく、よーく分かりました。起きたら、まずはこう伝えよう。
 

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