特別枠じゃアホ


 私の好きな人は、人間が嫌いらしい。
 とある筋から聞き及んだ情報を、家で一人ぼんやり考える。魅了は吸血のための手段で女好きではないのだろうなとは薄々思っていた。だってもし本当に女性が好きなら、もっとこう……エブリデイが酒池肉林、みたいにしてるでしょ、知らんけど。けれど言われてみれば、振る舞いから目付きに声色その他諸々と、た、たしかに……うわ詰んだ! 今すぐ吸血鬼になるか? 善は急げと転化方法を調べるためその場で端末を手にする。が、検索欄に文字を途中まで打ち込んだところで指が止まった。『果たして本当に“善”なのだろうか』、という思いが頭を擡げてしまったからだ。
 だって、だって――吸血鬼の年金って受給何歳から……? 最近ワイドショーで『吸血鬼の成人は180歳がボーダー』とかなんとかって、やってたような気がする。もしそれが本当なら、そして今すぐ吸血鬼になるのなら、私はこれから百五十年近く労働しなくちゃいけないってことになるのではない? む、むりすぎる! キツい! あとあと、吸血鬼になったら味覚が変わったり、夜しか外で活動できなくなったりするんだよね? うっわそれもかなり嫌かもしれん……。私の現在の職種は土日祝が定休ではないので、平日の昼間――つまり人の少ない時に、悠々服を見たり、人気店にそう並ばずに入れる。昼間に動けなくなるということは、そういう利点もなくなってしまうということでもあった。
「……七十くらいになったら転化しようかな」
 うんうん悩んだ末、私はそう結論を出した。あと五十年強は人間ライフを謳歌しよう。でもその五十年でノースディンさんのヘイトをこれ以上稼ぐのは、得策とはとても言えないだろう。
 私はノースディンさんに一目惚れして以降、「好きです!」やら「今日も素敵ですね!」やらと、会う度にピーピー鳴いていた。最初こそ至極丁寧に断られていたけれど、今では呆れたような眼差しひとつでいなされている。その冷淡な態度も人間が嫌いと知った今省みると、納得だし優しい対応だと思う。普通嫌いな存在からのラブコールなんて嘔吐ものでしょ。彼は紳士だからそんなことしないけれど、その内心は嫌悪で埋めつくされていたに違いない。
「……仲良くなってきたと思ってたんだけどなー」
 先日の休みに遊びに行った時の写真を見返しながら、ぽつりと呟く。吸血鬼も食べれる料理が多く提供されている、隠れ家的な喫茶店。たまたま見つけたお店で、誘ったのは私だ。ノースディンさんは「いいだろう」と結構すんなり着いてきてくれたし、いざ足を運べば店内の落ち着いた雰囲気やお洒落な食器に感心したり、提供された食事にも興味深げにしていた。一枚だけだが写真も撮っていたし、私が一人はしゃいでたのではない――と、思っていたが、気の所為だったかも。
 ともかくそんなわけなので、私はしばらくノースディンさんを避けることにした。顔を見たらどうしても想いを伝えたくなってしまうから、断腸の思いだが、そうする他なかった。

  ◆

 五十年後のシミュレーションをしたりして、ノースディンさんを避けて過ごすこと一ヶ月。
「おい待てそこを動くな!!」
「こわいこわいさむいこわいなになになに?!」
「動くなと言っとるだろうが!!」
 般若の形相をしたノースディンさんと鬼ごっこする羽目になるなんて、完全に想定外だ。避けてる間に少しは好感度上がってたりするかなとかふわふわ考えてたのに、全然そんなことなさそうで無理。ていうかノースディンさんめっちゃ足が早いしなんかすごい寒いんだが! 走り続けてかれこれ十分は経っているので、寒いんだが暑いんだかもはや分からなくなっている。切れ切れになった荒い呼吸の中、耳から心臓が飛び出そうとか考えていれば、視界の端でゲラゲラ笑い転げている黄色が映りこんだ。
「ッ、話が違くないY談おじさん!!」
「健闘を祈ってるよ〜」
 逃走しつつ抗議をなんとか訴えかけるも、ヒラヒラ手を振るおじさんは、流れる視界からあっという間にフェードアウトしていった。助け舟は望めなさそうなことに、絶望を煽られる。くっそ他人事だと思いやがって! 大体おじさんが言ったんじゃん、『おや、人間嫌いの坊ちゃんのお気に入りだ』って!
「止まれオイ!!」
「やだーっ! こわい!」
 一ヶ月前に言われた言葉を思い出しながら、ひーんと情けない悲鳴を零しつつ必死で足を動かす。背後から迫り来る刺々しい冷気が、目元に滲む涙を痛いほど凍えさせていた。
 

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