慰めットさん


 退治人の資格がない。
 一人とぼとぼと帰路を歩く。今日は珍しく変態ではなく普通の危険な吸血鬼が現れ大捕物だったのだが、私は完全にお荷物だった。たいした活躍も出来なかったどころか、危うく一般人を脅かすところだった。勘が鈍ったとか油断してたとか、そんな言い訳すらできない。ろくに顔も見れないままみんなに謝罪をして、逃げるように現場から立ち去ってしまった。
 どうして私はロナルドのようにはなれないのだろう。射撃もイマイチ、秀でた特技もない。ターちゃんのように軽やかな身のこなしもできないし、マリアのように柔軟な発想で場を解決に導くこともできない。サテツのようにみんなを守ることも、ショットみたいに素早く動くこともできない。私だけ。私だけがずっと、なにも成長していない。どころか退化している気さえした。
「おい!」
 転々と電灯が照らす夜道に、聞き知った声が響く。無視したかった。けれど、今日は散々迷惑をかけたばかりだったので、そんな失礼なことをするのは憚られたので、いやいやながら振り返る。
「……なに、ショット」
「いや、お前、……」
 ショットは何か言いかけたが、不自然に言葉を切った。続きを探すように鳶色の瞳を斜め上へと動かす。
「あー……うー、いや……どう、んん……」
 顔を苦々しく顰め、ブツブツと葛藤しだしたイソギンチャクの奇行に眉根を寄せる。「ヨシ」やがて静かに、恐らく私に聞こえてないと思っているような声量で呟いたかと思うと、キリッとした顔で私を見た。
「これはショットさんが新横浜で初退治をした時の話なんだがな」
「……やめてよ。悪いけど、今はそういうの素直に受け止められない。ほんとに」
「まあ聞けって。俺さ、そのときの第一声が『チンチンが溶ける‼』だったんだよ」
「なんで⁇」
 悔しいけれど、掴みはバッチリだった。道の端、切れかけた蛍光灯が落とす白い円の中で、しっかり耳を傾けてしまう。ショットが退治人になろうと思ったきっかけとか、そういえば聞いたことなかったからという新鮮さもあった。しかしいやそれよりなにより情けねえ……! 動機も動機だし。
「ほかにもな」
「ほかにもな⁇」
 そう呆気に取られている合間にも、ショットのショットによるショットのため――私のため? いや、なんでこれが私のためになる? わざわざ追い掛けてきて話すってことは私のためになるんだろうけど……こんなエピソードの披露が私のためと言われても困るのでショットのためってことにしとこ――ネガティブキャンペーンは怒涛の勢いで続いていく。止まらない。どうして尽きない? すごい、この男、底がねえ……!
「この前なんて、えっちなおねーさんを作ろうとしたんだが、結果へんなを化け物にしちまってな……」
「そんな……へんなはただでさえ化け物なのに……」
 なんて惨いことをしているんだこの男は。あまりのことに戦慄して、思わず口元を両手で抑えた。
「フ、まだまだあるぜ……」
「どうして? 汚れにもほどがあるよ……」
「聞きたくないか?」
「正直聞きたい」
「ッシャ、いいぜ。じゃ立ち話もなんだしさ、メシ行こうぜ。ジャンケンで勝った方が奢りな」
「女に男気ジャンケンさすな」
 野球挙はさせないくせに、と肩パンすると、「イッタ」という、たいして痛くもなさそうな声が上がる。
「女扱いされたいならもっとお淑やかにしろよ」
「だからお前はかおるちゃんにしかモテないんだよデリカシーゼロ一生お母さん食堂のお世話になってろムダ毛ギンチャク」
「グアアッやめろそれ全部効く」
「……でもありがとう」
「はあ?」
 なにがだよ、と笑った声は、安心した色をたっぷり含んでいる。その分かりやすさに涙腺がツンと刺激されたので、隠すためについもう一度、なんならさっきより強めにドツいてしまった。











「――あ、ちょっと待って」
 食事の帰り道、足元に違和感を抱いて視線を落とすと、靴紐がほどけていた。少し足を浮かせ、スニーカーからぶらんと垂れ下がる紐を見る。
「靴紐ってなんですぐ解けるの?」
「お、なら結んでやるよ」
 私の返事を待たず、ショットは屈んだ。地面に片膝をつく彼に驚いて足を引きかける。
「おい、動くなって」
「や、だって……え、なんか悪いっていうか。普通に自分でやるのに」
「気にすんなよ、俺も結び方試してみたくってさ。この前の休み、ヌーチューブのショートで見て、丸一日かけて練習したんだよな」
「傷付けたらごめんなんだけど、もしかして休日めちゃくちゃ暇な人なんですか?」
「傷付ける可能性が少しでもあると思ったなら口にするなそうだよバーカ!」
 暇なら遊びに誘っちゃえばよかったな。そんなことを考えながら、手持無沙汰で、蹲るショットの頭に手を伸ばす。束になった毛は思っていたより滑らかだった。イソギンチャクなんて触ったことはないけど、多分、その感覚とは全然違うんだろうなということだけは分かる。
「意外と柔らかい髪質なんだね」
 抵抗がないのをいいことに、なぜか固まっているショットの頭を撫で続けた。不意に靴がキュッと締まる感覚がしたので終わったことを悟る。無言で立ち上がったショットは、ポンチョを引き上げて顔を深く埋めた。耳まですっぽり隠れ、表情が見えなくなる。
「おまえ、よくないぞ……そういうの……」
「は?」
 意味が分からなくて聞き返す。しかし、「なんでもない」とくぐもった声で返すなり、ショットはさっさと歩きだしてしまった。なに今の。意味わからん。
 辿り着いた自宅の扉の前で、「じゃあ」とショットを見上げる。
「今日はありがとう。次は私が奢ったげるよ」
「おー、楽しみにしてる」
 結局、今日の支払いはショットが済ませてしまっていた。ジャンケンだって私が勝ったというのに。私がお手洗い行ってる間に会計するなんて。童貞のくせになんだそのスマートさは。無性に悔しくなるけれど、それでもおかげで『次』の約束ができた。喜びでひそかに胸が弾む。そう、次――……。
「んじゃ、俺は――」
「あの、……あ、上がって、く?」
 次じゃなくて、今、もう少しだけ一緒にいたい。今の私はなんとなく気持ちが浮ついていて、普段よりだいぶ欲張りになっていた。舌がたどたどしく動き、緊張でたまったつばをこっそり飲み込む。「え」ショットが吊り目を大きく見開いた。
「お茶くらいだすけど」
 何気なく、なにも意識してませんというのをアピールするため、あえて視線はそらさない。ショットは「ああ……」と、うだうだ判然としない返事をした。後頭部をかきながら宙へと視線を彷徨わせ、唇を少し噛むと、よく分からない表情を浮かべる。歯切れ悪く少し唸り、そろりと私を窺った。
「ん、じゃあ……そう、だな……せっかくだし……」
「うん、せっかくだし」
「せっかくだし」
 二人して意味もなく繰り返してしまい、なんだか謎の間が生まれた。こんな寒いとこで顔突き合わせて立ち尽くして、私たちなにやってるんだろう。決まりが悪くなって,彼を招くために大きく扉を引く。
「寒いし、早く入ろ。……あ、そう、あの、お歳暮で美味しいクッキー貰ったんだよね。多分ショットも好きだと思う」
「お、おお……そか、そりゃ楽しみ……」
 玄関の灯りをつけ、だしっぱなしになっていたゴミ出し用のサンダルを、爪先でさりげなく脇へ除ける。
「……いや、やめとくわ」
 コップは未使用のものがあったはず。お皿は可愛いやつがあった気がするけど……あれってどこにしまってたっけ。なんて頭で組み立てていたのに、そんなことを言われ、ポカンとショットを見る。扉の外で一歩も動かないまま、彼は居心地悪そうにポンチョの襟口をいじっていた。
「やっぱ帰るよ、俺」
「な、なんで突然……」
 狼狽える私に、ショットはどこか怒ったような顔をして、「あのな」と眉をひそめた。
「お前だって女なんだから、そんなホイホイ男を家あげちゃだめだろ。……たとえ俺でも」
「え」
「『え』ってお前な」
 ショットにとっての私は男友達枠だと思っていた。だから、まさか彼の口からそんな言葉がでてくるとは思っていなかった。そんな驚きで零れた声に、ショットは不機嫌そうに口をへの字にする。私を睨む目元は、赤く染まっていた。その反応に、頬へ熱が集まるの感じる。別に面白いわけではないけれど、口角が勝手に上がり、「いや」と返す声が上擦った。
「女、いや、女って――で、でもあの、わ、私だよ?」
「……お前だからだろ」
 低い声が、苦しげに絞り出される。送られた燻る眼差しに、思わず息を呑んだ。薄ら笑いも引っ込んでしまう。
「お前がなんとも思わなくたって、俺には無理だ」
 現実味がなく、文字通り地に足がついていないような心地だ。声を出すことができず戸惑っていれば、ショットは「ばーか」とヤケクソのように口を歪めて笑った。
「……じゃ、帰る」
 言うだけ言って、ショットは踵を返した。さっきよりもずっと早足で、その背中はあっという間に小さくなっていく。止める暇もなかった。
 悄然と扉を閉め、背中をつけてズルズルと座り込み、もたもたと携帯を取り出し、ショットとのトークルームを開く。震える指で文字を打ち込んで、紙飛行機マークを押した。ポン、という送信音を聞いてから、電源を落とす。
【ショットだからだよ、ばか】
 こんな夜中に、なんとも思ってないただの友達を家に誘うわけないじゃん。呻きながら膝に額を押し付ける。嬉しくて口がゆるゆるとはにかんでしまう。明日、どんな顔して会おう。第一声はどうしよう。とりあえず、ギルドに行くまでに覚悟を決めておかなきゃ。


 慌ただしい足音、それからチャイムが鳴らされるまで、あと――。
 

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