見る阿呆
「――煙草って、美味しいんですか?」
「へっ?」
視線は感じていたけれど、こうして声をかけられたのは、初めてだった。
いつものように――こんな状態が定番になってるのとかダサすぎるのだが――無心で吹かしていたので、うっかり間抜けな反応で振り返ってしまう。ベランダ口にちいさく佇む彼女は、どこか緊張した顔をしていた。雑談にしては硬い雰囲気だ。
「美味、しくはない、ですね……俺は……」
常にない展開に動揺しつつ、平静を装って質問に答える。彼女は「へえ」と呟いて、なにかを考えるように俯いた。
「じゃあ、なぜ吸うんですか?」
エッ怒られてる? なんて一瞬慄いたが、彼女の声音は淡々としていて、素朴な疑問というふうであった。少なくとも叱られているわけでは、なさそうだった。俺はちょっと安心して、脱力した。
言い出しっぺのくせに直前で煙草へ逃げるなんて暴挙を続けること、早三ヶ月。いい加減ブチ怒られるかもしれないという懸念は、ここずっと、大いにあった。
「あー、と、癖……違う、いや違わないか? あの、緊張を紛らわせるためっていうか」
「緊張……」
ぶつぶつ答えながら、半分ほどになった煙草の先をポケット灰皿へと押し付けて消す。
美味しいとか、ないと集中できないとか、そういう類の理由で煙草を求めたことはなかった。俺が煙草を吸う理由は、基本緊張だ。物理的に分かりやすく肺の空気が入れ替わるせいか、吸う前よりも思考が冴える感覚がする。吸って吐くだけという単純作業も、頭を整理するのにちょうどいい。タイムリミットが目視で分かりやすい点も、普段の任務時ならスイッチの切り替えができるので利点の一つだ。しかし今回のケースに限っては、正直デメリットでもある。だって煙の立つ先をガン見しながら、これ終わったらキスこれ終わったらキスこれ終わったら――とかって、もう余計に意識してしまうから。
要は緊張、別にぜんぜん紛れてない。むしろ逆効果だった。薄々分かっていたことだったが。居候の喋る砂が「煙草よりもっと吸うもんが目の前にあるだろ」とか変態オヤジ臭いこと言っていたが、悔しいけれどその通りだった。貴重な二人の時間に無意味な時間をわざわざ割いたくせに得るものはなにもないどころかもうずっとマイナスで……俺はなんてゴミ。さすがにこれは反論の余地もないクソ童貞。
力なく項垂れて自嘲していると、彼女がまた「あの」と話し出した。
「……私とキスをするのは、緊張する?」
なんだか風向きが変わった雰囲気に、緩みかけていた表情筋がたちまち硬直する。
ここで正直に肯定したら、きっと男として超絶ダサい。が、嘘をつくのは――ついたって結局その先は?
と、問い掛けへの返答が、頭の中をぐるぐる回る。
「…………ハイ」
ながく悩んで、俺は大人しく白状することにした。情けないけれど、緊張しないならはよせえやという話になるだけだ。
「……緊張だけ、ですか?」
「はい?」
「実はあんまり、その……えっと……お嫌、だったり――」
「そんなわけないです!!」
とんでもない勘違いをさせてしまっている。
その事に気が付いて、ぶわっと全身の毛が逆立った。俺は全身全霊の速さで、こころなしかいつもより小さく見える彼女の元へ駆け寄り、身振り手振りで弁明をした。
「そんなわけないだってその、元々俺がしたかったからお願いしたことだし――いやならさっさとって思わせてると思うんですけど! でも俺、好きな人とか初めてで、顔が近くなっちゃうとなんか俺臭くないかなとか顔キモくなってないかなキモいんだろうなとか色々考えてパンクしちゃって、んですみませんクソダサいんですけどつい煙草に逃げちゃって――結局緊張もまったく紛れなくて先延ばしにしまくってしまってて本当にご迷惑をというか申し訳ないというか情けないとは思ってて――とにかく嫌じゃないです嫌なわけないですしたいんです本当は! 本当に!!」
「わ、分かりました分かりました、そうなんですね」
恥もプライドも捨てて曝け出した辿々しくも必死の弁明のおかげで、誤解はすんなり解けた。「そうだったんだ……」と独り言ちる声には安堵したような色が滲んでいて、俺の方が泣きそうになった。
「いやなわけがない、本当に。マジで、ほんとに……」
「十分伝わりました、ありがとうございます……あの、じゃあ、キス直前に煙草で緊張を紛らわせる儀式は、今後も続くんですか?」
「ぎし……そう、ですね、その可能性が非常に高いかと……」
「でも結局は紛れてないんですよね?」
「ウグ」
呻くことしかできない俺を、彼女はくすくすと笑ってくれて、とってもかわいかった。
「わたし」頬を薄らと染めた彼女が、困ったように覗き込んでくる。
「初めてのキスが煙草味なのは、いや、かも」
いや。
……嫌!!!!
コヒュッと呼吸が止まるのと同時に、『意気地無しのノンデリボケカスドブ男』といった自虐が脳内に溢れ返る。出逢ってからいつだって柔和で温厚であった彼女から初めてはっきり突き付けられたささやかで、そして当然の拒絶は、それ程までにショックだった。
「デッですよねですよねですよね!! そりゃそうですよね、仰る通りですすみません俺自分のことばっかりでなんも気が利いてなくて」
全身の血の気が引いていくのをまざまざと感じながら平謝りする。彼女は「そうじゃなくて」と、もどかしげに口篭った。
「違くて、責めたいわけじゃなくて――あの、だから……ほ、他にもっとその――吸うもの、ぁ、あるんじゃないかなあって」
「え」
見上げる丸い瞳に、星が映る。光が散りばめられた瞳は、いつもよりとくべつ輝いて見えた。熱に浮かされた心地の中、呼吸を求めるように、ひとりでに口が開いていく。
「あ――飴とかですか……?」
彼女はしばし憮然として、それから不貞腐れた顔で、「ばか」と呟いた。そうして尖った赤い唇を見て、俺はやっと、自分の鈍感具合に合点がいったのだった。
>>back
>>HOME