魔法の言葉
それは、付き合って何度目かのおうちデートのことだった。
特に意味もなくソファに置いていた手へと、なんの脈絡なく熱が灯される。あまりに突然だったので、最初は何が起こったのか分からなかった。半年ほど前に流行ったレンタルの映画を映していたテレビから視線を外し、自身の手を見遣る。落とされた視線が捉えたのは、私の手を覆い隠すように被せられた隣人の手だった。手、え、あれ……えっ? これ、手、プルソンくんの……もだもだと状況を理解し、遅ばせながらだが電流のようなものが全身を駆け巡る。びくりと肩が跳ね、それに連動して発熱した指が彼のしなやかな指の下で震えた。
「ぷ、プルソンく――」
「悪周期だから」
「……へっ?」
まったく予期していなかった、それも食い気味な言葉に虚をつかれ、羞恥も忘れて間抜けな困惑だけの声を零してしまう。しかしプルソンくんはこちらに一瞥もくれず、いつになく熱心な様子でエンドロールへと眼差しを注いでいた。重なる手の主はもしや別人なのかと思ってしまうほど涼しい顔だ。悪周――え? なんで急にモロバレなうそを……。
戸惑いから抜け出せないでいれば、不意に親指が手の下に回ってきて、被せられていただけだった手がさらにぎゅうっと密着してくる。すべすべしてて、それなのに少しだけ硬い皮膚。手の大きさ自体はそんなに変わらないはずなのに、私とは全然違う感触だった。
「悪周期になったんで。ぼ、ッれ」
「……ぼれ?」
「うるさ、せえ、揚げ足とるな」
抗議のように倒れ込んできた頭に、ゴス、と頭突きを落とされた。綺麗に切り揃えられたラベンダー色の髪が、私の肩口でさらりと流れる。もう一度名前を呼ぶと、彼は「なに、だよ?」と私の肩へ頭を預けた体勢のまま、じろりと上目遣いをした。
「悪周期だから好きにする、んだぜ……おれは、よ」
妙にまごついた喋り方に、とってつけたように強調された聞き慣れない一人称。私はそこでやっと、彼がいつかの入間くんをお手本としているのだろうと気が付いた。正直に言うとめちゃくちゃ変だ。実際、彼自身だいぶ迷走しているなという自覚があるらしい。プルソンくんは、下唇を内側に軽く巻き込むようにして食んで僅かだが眉間に皺を寄せている。普段の能面から劇的に変化したわけじゃないけれど、それでも彼にしたらかなり顕著な表情だった。
「……そっか」
「へ?」
「悪周期なら仕方ない、よね」
「エッッッうそまじでかいいの、じゃなくてンンッ……そ、そう。悪周期だから、な。悪周期。おれは絶賛超絶悪周期な悪魔なので。だから仕方な、ねえんだぜ」
私が彼の思惑に乗ったことが余程嬉しいのか、プルソンくんの声は随分と浮かれた色をしていた。彼は息を吐くと同時に脱力したらしく、かけられる体重がほんの少し増す。私は染まりあがった彼の項を見ながら、ひっそりと口元を綻ばせた。
プルソンくん、これ気付いてるのかな。気付いてないんだろうな、きっと。気付かれていることに気付かれてしまったら、彼はきっとたちまち姿を眩ませてしまうのだろう。そんなのだめ。建前にのってあげたんだから、このくらい許してほしい。逃がさないんだから、と私からも力を込め、彼の手を握り返し、円やかな頭部へ控えめに頬を寄せた。
以降、「悪周期だから」とは私達の間で合図となっている。なんのって、それはもちろん手を繋いだりのだ。この前はついにハグをしてくれた。口調のぎこちなさもだいぶ薄れていて、なかなか様になってきたと思う。
さて。ところでそろそろ私も魔法の言葉を使ってもいいだろうか。いいよね。私だって悪魔だもん。悪周期の一つや二つ、なってもおかしくはないよね。
「悪周期だから、キスしたいんだぜ」
両手を握って真正面からそうプルソンくんを窺えば、私のかわいい恋人は朱色の相貌を高速で消したりだしたりした。
>>back
>>HOME