やけくそファンファーレ


 髪留めが細い髪から音もなく滑り落ちて廊下に転がった瞬間、チャンスだと思ったんだ。それを活かせるかどうかはまた別として。
「ねえ、落としたよ」
「え?」
 かける言葉を散々悩んだ末に投げかけた無難な言葉は、自分で予想していたより若干高く上擦っていて少しだけ焦る。とはいえこんな些細な動揺、初めて話す彼女は気付かないだろうけど。
 軽く十分近くは持っていた髪留めを平然と差し出せば、受け取るために伸びてきた指先が一瞬――ほんっとうに一瞬だけ僕の手に触れた。たったそれだけの接触だったのに我ながらどうかと思うほど心臓が跳ねる。バックンバックンと未だ肋骨を突き破って飛び出さんばかりに拍動する心臓をなんとか無視して真顔を作った。
「ありがとう……」
「別に。……壊れてなくてよかったね」
 せっかくだからもう少しなにか喋っていたくて、らしくもないお節介な親切をボソボソ口にする。彼女は「うん」と小さく頷いたがその顔は晴れない。上目遣いで覗いた怪訝そうな瞳に浮かれていた気持ちが一気に沈んだ。胃が捻り切れそう。すみません、余計なこといいました。初対面のやつに言われたくねえよってな。本当にすみません帰ります。
「……ねえ、あの――」
「次は気を付けなよ。それじゃ」
 手を軽く振って踵を返しながら能力を発動させる。あれ待って僕また余計なこと言ったんじゃない? 彼女の中で嫌味なおかっぱ野郎でインプットされたんじゃ? え? うそどうしよ無理なんだけど。てかなんか言いかけてた気が――。
「待って、ピクシー!」
「んへァ?!」
 消える寸前だった手が柔らかい温もりに包み込まれる。マジで待って変な声出た死にたい消えたい。いやでもこんなん普通に予想できんくない? 仕方ないじゃん。だって、手。いや手〜! 手、なんッ……いやなん?! 突発的に込み上げた願いの通り姿だけ消す。手は、振りほどかずに。……まああの、掴まれてたって逃げようと思えば今からでも全然逃げれますけど、それはちょっと感じ悪いし? ていうかピクシーって呼ばれたな今。恥ず過ぎなんですけど。誰だよ僕がピクシーってバラしたの。僕だよバカヤロウ。ん? つまり僕のこと知ってたの、この子。えっなにそれうれしっ。そんで手がめちゃすべすべ〜……。
「……やっぱり」
「なに?」
 僕の手をわざわざ両手でひっしと握ったまま、彼女は神妙に独りごちる。思考が次から次へと濁流のような勢いで流れていく中、それでも取り繕った声と言葉を絞り出して尋ねた。見えていないせいで、彼女の真剣な眼差しは僕の眉間の辺りへと突き刺さっている。それがちょっとおかしくて少しだけ平静を取り戻すことができた。
「あなた、もしかしてだけど熱があるんじゃない」
「え?」
「だって――ほら」
 彼女は握っていた手を見せつけるように顔の前まで持ち上げる。僕の手の向こうで、彼女のつぶらな瞳が薔薇色の夕陽を宿してキラキラと輝いていた。
「あなたの手、こんなに熱いもの」
 真面目くさった顔で言いのけた彼女にぽかんとして数秒。やっとその意味を理解してやっと僕は己の熱を自覚した。全身が――それこそ指の先までさらに火照る。
 そりゃ、そりゃ熱くもなるよ。だって好きな子がこんなに近くにいるんだから。
 なんてそんなこと言えるわけもないので、僕は「そういう体質なんで」と蚊の鳴くような声で返すほかなかった。はー、しんど。なにこれ、新手の拷問? 手を繋げたのは棚ぼただけどさ。暫く洗わんとこ、この手……。まあこのなっさけない顔がこの子に見えてないのがせめてもの救いだ。やっててよかった認識阻害。ありがとう家系能力。ありがとう父様母様。
「そうなの? なら、顔が真っ赤なのは夕日のせいかしら……」
 見えてるんかい勘弁して。
 
 
 
 しのぶれど
 色にも熱にもいでにけり我が恋は

 このあとめちゃくちゃトランペット吹いた。
 

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