シャンプー


「私のシャンプーを教えてほしい?」
「ん、できれば……」
 なんでまともに話したことないのに、こんなこと聞かなきゃいけないわけ。
 目の前の少女から送られる不思議そうな眼差しがいたたまれなくて、アサは視線を自身の足元へ落としながら、ぼそぼそ返事をした。「いいけど……」なんで? と如実に伝えてくる少女の声音に、ストレスで胃がぐるぐると掻き混ぜられ、吐き気のような感覚に襲われる。アサは俯いたまま、きゅっと下唇を噛み締めた。ああもう。普段は勝手に乗っ取って好き放題してくるくせに。変なことばっかりやらせないでよ! 内心で悪態をつくアサに対し、居候であるヨルが、涼しい顔で「つべこべ言うな」と言った。
「シャンプーを聞くくらい、学校に行くよりずっと簡単だろ」
「だったら尚更自分で聞いてよ……」
 都合よく聞こえなかった振りをする悪魔を、アサは恨めしく睨みつけた。ヨルは昨日からずっとこの調子だった。普段ならアサが少女の姿を認識するよりも早く乗っ取るくせに、今回はなぜか鼻からアサに丸投げである。ヨルのしつこさに根負けして、アサは少女にシャンプーの銘柄を尋ねるに至っていた。
「それよりおい、もっとシャンとしろ。おどおどするな」
「うるさい! たいして仲良くもない子にシャンプー聞くのって相当気持ち悪いことなんだからね!」
「仲良くないことないだろ。何度も喋ったことがあるし、こいつはいつも笑ってる」
 しれっと言うヨルに、アサはキッと激しく眉を吊り上げた。その『何度も』は全部アンタでしょうが。私はほぼ初会話だっての。それにアンタの偉そうで無愛想な対応でも笑ってくれるのは、単にこの子が優しいってだけだ。だから別に、ヨルと少女と括ったとしても、仲が良いわけではないとアサは思っていた。
「……は? 私たちの仲は良いだろうが。おい、良いだろ、なあ」
「……あ、やっと開いた! ごめん、最近携帯重くて――三鷹ちゃん、これ」
「えっ?」
 携帯の画面を目の前に突きつけられ、アサは少しだけ仰け反った。数度瞬きをして焦点を合わせる。知らないサイトだ。レビューもたくさんあって、一位と書いてある。千円以上する。アサは高いなと思った。
「これ、すごいサラサラになるの。いい匂いだし。ロフトにあるけど、薬局にも普通にあったかな。あ、一緒に買いに行く?」
「いっ、いい! 一人で行ける、し」
「そっか」
 アサが反射的に断ると、少女はあっさり引き下がった。その顔が少し淋しげに見えたので、「一緒に行けよ」という悪魔の文句を無視しながら、アサはそれを意外に思った。もしかしたら、私が思ってるより仲が良いのかもしれない。癪だから言ってやらないけど。
 ◆
「おい、起きろ」
「なによぉ……」
 執拗な声かけに観念して、アサは眉間に皺を刻みながら渋々目を開けた。部屋は横になった時と変わらぬ暗さで、まだ夜明けにはかなり早いのだろう。そんなことを寝ぼけた意識でぼんやりと考えながら、アサは携帯へと手を伸ばす。「は……?」画面に表示された時刻が理解できなくて、彼女の口から自然と低い声が零れていった。
「まだ一時じゃん……は……?」
「今すぐ風呂に入れ」
「ふざけてんの?」
「ふざけてない」
 暗闇に慣れた目が、自身の分身を捉える。大きな傷の走る相貌の自分は、いつも通り偉そうな態度でこちらを見下ろしていた。ふざけてるんだなと判断して、目を瞑る。
「おい寝るな。いいから起きて、さっさと頭を洗い直せ」
「頭?」
 言葉につられて、アサは流れている自分の髪をひと房摘んだ。こころなしかいつもよりツヤとまとまりがある、花のような香りの髪。放課後に少女から教えてもらって買いに行き、早速使い始めたものだ。本当は前から使っていたものがまだ半分近く残っていたのに、ヨルがうるさいから仕方なく開けて使った、高級シャンプー。なかなか悪くない匂いだし、たまにはいかな。ユウコ、気付くかな。知ってるかな。教えてあげようかな。なんて、アサも機嫌よくドライヤーをして眠りについたはずだった。
「前のシャンプーで洗い直せ」
「はあ?」
 アンタが使えと駄々こねたんでしょうがとアサが睨めば、ヨルは珍しく居心地悪そうにして顔を背けた。
「……その匂い、あいつと一緒で落ち着かない」
「はあ?!」
 一緒にしたいからわざわざ私に尋ねにいかせたんじゃないのか。なにがしたいんだ、こいつ。ほんと悪魔って意味わかんない。最悪。ウザすぎ。嫌い!
 真夜中に叩き起されたせいで荒れているアサの内情を聞かなかったことにして、ヨルは「洗い直さなきゃ殺す」としれっとした顔で宣った。
 

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