カス除霊
事務所設立一年目の全然軌道に乗ってなかった頃のヤケクソ霊幻新隆
「あの、大丈夫ですか?」
レモンサワー一杯で吐くまで酔う男。それが霊幻新隆という男である。
そんな霊幻に、一人の女が声をかけた。霊幻が路地裏にて、『呑みすぎた吐きそう死ぬ』と、壁際に凭れて蹲っていたときのことである。もっともつい先程店でで提供されたレモンサワーも、アルコールは一ミリも入ってない炭酸レモンだったのだが。
「その、なんだか具合が悪そうですけど……」
とにかく、そんなことを知る由もない女は、霊幻に合わせて膝を揃えてしゃがみこんだ。
「……泣いてるんですか?」
生理的に滲んでいた涙に気付いた女は、気の毒そうにしてから、「これ、よければ使ってください」と水色のハンカチを霊幻へと差し出した。アルコール(気のせいだが)でぐらつく視界が、女の白い手を捉える。丁寧に折り畳まれたハンカチ、ストッキング越しの膝頭、それから……あ、パンツみえた。
「よくない」
「えっ」
霊幻にとって、今はなにもかもがよくなかった。軌道に乗らない相談所の経営も、泥酔してるこの状況も、レースのパンツも、善良でいかにも無垢で純粋そうな女の存在も。もう全てがよくなかった。
「よくない。こらぁたいへん、ひっじょぉ〜によろしくない! れすね」
思い出したように敬語を付け足す。ろくに呂律も回っていない霊幻の言葉は聞くに絶えないものだったが、表情だけはとても酔っているとは思えないほどに迫真のものだったので、女はつい固唾を呑んでしまった。
「おねーさん、最近どうでしか」
「ど、どうとは……?」
「身近でよくないことが起こってたりしませんか。急に色々うまくいかなくなったとか……たとえば営業行ったはいいものの追い返されたり、突然水を引っ掛けられておろしたてのスーツを台無しにされたり、なくしものをしたり?」
爪先の擦り切れたパンプス、不自然に滲んだスカートの裾。鞄の紐部分にぽつんと取り残された、なにもついていないストラップ金具。情報を得るために巡らせた眼差しを瞬きで誤魔化しながら、霊幻は口を動かし続けた。
「あとほかには、あ゙ー……肩とか。重たくなってないですか」
女の肩にかかった、見るからに重たそうな鞄を見ながら、霊幻は言葉を締め括る。女は急にペラペラ話し出した霊幻に圧倒されているようで、ぽかんと口を開けっ放しにしていた。霊幻も霊幻で、喋っているうちに酔いも引いて目も醒め始めてきていた。が、始めてしまった以上もう後には引けないような気持ちになっていたので、女の返答を辛抱強く待った。
「……そ」
長いこと呆然としていた女が、静かに零す。
「そうなんです!」
「だと思いました!」
女は騙されやすかった。興奮気味に目を輝かせながら、女は「実は!」と話し出した。
「最近なにをしてもうまくいかなくて! ちゃんとアポとったのに向こうの連絡不備とかで営業先には追い返されるし、今日は大事な資料の話をしなきゃだったから新しいスーツで来たのにトラックに水を引っ掛けられるし、前に買った運気アップのストラップもいつの間にか落としちゃってるし肩重いせいで頭も痛いき! 本当にだめだめなんです最近! なんで分かったんですか?!」
「それは一重に私がこういうものだからです」
待ってましたとばかりに、霊幻はすかさず名刺を差し出した。
「あ、ちょうだいいたします……れいげん、さん?」
「れいげんあらたか、と申します」
「ええと霊とか相談所……? 霊能界……?……え? じゃ、じゃあもしかして、私には霊が取り憑いてるってことですか……?!」
「そうといえるかもしれません……」
霊幻が曖昧な返答を神妙な顔でカモフラージュして頷けば、女は「そんな……」と絶望的な顔をした。
「ならさっきのこととか、眼鏡を落とした挙句踏んで壊してしまったのとかも、まさか……?」
「悪霊の仕業かもしれません」
「会議室の予約が勝手に取り消しされて上司に怒られたのも……?」
「悪霊ならやりかねませんね」
「じゃあ実家の犬が死んでしまったのも……?!」
「いえ、それは関係ないですね、生き物には寿命というものがあるので。たまたまご実家の愛犬さんの旅立つタイミングが運悪く重なってしまっただけで霊とはなんの関係ないです。ご冥福をお祈りします」
「あ、ご丁寧にどうも……」
路地裏で数秒頭を下げあってから、霊幻は空気を変えるように「では!」と明るく声を張り上げた。
「除霊についてなんですが!」
「え、あ……でも私あんまり高い金額は払えないですし……」
「いえいえそんなとんでもない! 具合の悪い私めに声をかけてくれたやさしいあなたからお金をとるなんて、そんな外道な真似はこの霊幻、神に誓って致しません! ええはい! なので! そこでもし今! あなたの都合さえよろしいようでしたら、ぜひ無料で除霊のほうやらせていただきたく思いまして!!」
「えっええーっ?! 無料で?! いいんですか?!」
「ええ今この時あなた限定で!」
「や、やさしすぎる、霊幻先生……」
「とはいえ、こんな路上で霊を溶かすわけにはいかなくてですね……溶かす行為はいわば悪霊との闘いになるわけですし、やっぱり公共の場で行うには他の方のご迷惑になったりすることもありますし。ああ失礼、悪霊を除霊することをこの業界では専ら『溶かす』といったりすることがありまして。ええはい。まあですので、できれば、どこかゆっくり休憩できるような個室が望ましく――」
「個室……え、でももう深夜ですし、そんな場所ありますか……?」
「うーーーん、そーーーですねぇ……」
ウーンウーンと唸りながら、霊幻は難しい顔を作って首を大袈裟に回した。三周ほど首を回して、「アアッ!」と叫ぶ。
「アいや、でもあそこはさすがに……」
「え? どこかいい所が――あっ……」
女が霊幻の視線の先を嬉々として追って――その先で並ぶ『休憩時間』が記された看板に、たちまち声を窄める。困惑した様子の女を視界にいれつつ、霊幻は首をブンブン横に振った。
「いやいや! いやさすがに……でも非常に厄介な悪霊の可能性があり緊急性があることも否めないといえば否めない……っでもなぁ〜さすがにな〜言っても除霊は人命救助に等しいわけだし医療行為的な側面もないとも言いきれないし私は全然大丈夫なんですけど〜! いやあでもな〜〜〜!! やっぱあそこはちょっと抵抗ある方多いもんな〜〜〜他の場所を探すしかないなあ〜〜〜!!」
大きな独り言を捲し立てつつ、霊幻は女の口が「医療行為」と動いたのをたしかに見た。やがて、意を決したように女がほんのり赤らんだ顔を上げる。
「……あ、あの――」
「いやー、こちらから除霊を申し出たというのに手際が悪く申し訳ございません! まさかそちらからご提案していただけるとは……いやいや、自身の未熟さが恥ずかしい限りです。ですがご安心を! 悪霊を溶かすことに関してはこの霊幻、腕にたしかな覚えがありますので! それにですね、こういった場所はある意味除霊に適していることもなくはないんですよ。霊はあの世の者ですからね。この場所は生命を維持するための三大欲求をいっぺんに満たすことができるマルチスポットでもあるといえますし、多くの生命体が集まって至る箇所で生命体にのみ許された活動をしているので、彼岸の彼らはどうしても忌避してしまうというか。ああそうそう、霊は煩悩に弱いって話とかって……おっ聞いた事ありますか? それですそれです、博識でいらっしゃる! つまりそういうことなんですよ」
「へ、へえ……」
舌が動くまま捲し立てているうちに、エレベーターの扉が開く。霊幻は「どうぞ」と紳士ぶって、扉を抑えて女を促した。本当にいいのだろうか……とありあり浮かぶ瞳を向けられたので、霊幻は何食わぬ顔で人好きするいつもの笑みを返してやる。結局女は、迷いがちに、汚れた靴の先を廊下へそっと滑らせた。
本当にいいわきゃねえだろ。帰れよ。
なんて他人事のように思いながら、霊幻も女のあとに続く。
用意された部屋はすぐそこで、二人して安い造りの扉の前で立ち尽くした。女からまた視線を寄越され、霊幻はハッとして、慌ててじっとりと汗で湿った鍵を持ち上げる。鍵を挿して、回す。薄い扉を開いて、また先程のように女を先に歩かせる。ゆらりと奥へ進んでいく華奢な背中を見送り、霊幻はちらりと背後を顧みた。
エレベーターは、とっくのとうに閉じていた。
ていう、「これ本当に除霊なんですか♡♡」ていう最悪霊幻新隆が読みたい!と思ったけど霊幻新隆はこんなことしません。解散!
>>back
>>HOME