持久戦の心得


「憧れは理解から最も遠い感情って愛染さんが言ってたんですけど」
「誰だねアイゼンさん」
 たまたま手元にあった布教用のBLEACH全巻をプレゼントしますねと机に置いた。珍しく静かな夜半の事務所に、ドラルクさんが一巻をパラパラと流し見する音がする。
「自身の理解の範疇を超えているからこそ抱くものだから、最も遠いと断ずるには些か極端に過ぎる気もするがね。しかし概ね賛成だ。及ばないからこそ――『理解』を捨てるからこそ、敬畏や崇拝、果てには慕情といった感情が生まれるのだろう。きみのようにな」
 文字を追って伏せられていた目がこちらを向く。揶揄っているようなトーンと瞳にムッとした。
「私、ドラルクさんのこと憧れてなんかいません」
 勢い余って言い方を間違えた。砂になってしまったので「無論尊敬してないとは言いませんが!」と付け足す。
「始まりが憧憬であったとしても今はそれだけじゃなくて、ちゃんとあなたを理解したいと思ってます」
「ほぉ〜〜〜それはそれは。殊勝なことだ、今後も励むといい」
 私はドラルクさんが好きだ。ほとんど一目惚れに近い。そんな私の気持ちはとうに伝えてあり、当人もそれを誤解なく知るところだった。まあ全く相手にしてもらえていないけど。のらりくらりと躱されるのみでちゃんとフラれたことがないのが唯一の救いといえる。そのおかげで辛うじてメンブレすることなく、こうして粘れているのだが、しかし死なない吸血鬼相手に持久戦はあまりに分が悪いなあと感じる今日この頃だ。私のメンタルが砕けるのが早いかドラルクさんが根負けして向き合ってくれるのが早いか。うーん、勝ち目、薄。
 ドラルクさんはやっぱり今回も至極どうでも良いといった面持ちでおざなりに口元を歪め、読書を再開した。会話をする程度の興味すら失せてしまったらしい。本あげなきゃよかったかもと後悔しながら、ささやかな反撃をするために口を開く。
「『憧れから派生する感情を抱く』ということは、『理解してない』ということ……ってなるなら、逆説的に『理解してない』ということは、『派生した感情を抱いている』ということになりますよね」
「そこ逆にしちゃうと色々無理がない? それこそ極論というか暴論というか。微妙に一理ありそうな感じもするけど」
「とにかく、この理論でいくとドラルクさんは私に憧れ派生の感情を抱いているってことになりません? だって私のこと――というか気持ちを――ぜーんぜん理解してくれないから!」
 よく回る彼の口がはじめて止まる。けれど浮かんだ表情にさしたる変化もなく、彼は妙な真顔なまま私を見つめていた。もしや怒っているのだろうか。調子に乗り過ぎた? 長い沈黙の末、ドラルクさんはついと再度本に視線を落としながら、「ま、私はIQ300だから」と呟く。これまたどうでもよさそうではあったが、剣のある声ではないので一先ずホッとした。
「そこらの凡夫とは違って同時平行並列処理も余裕ってわけ」
「なるほどぉ」
「きみ、私の言ってること理解してる?」
 してない。意識をモード『ゴマすり』にチェンジしてたのであんまり聞いてなかった。「私のことを理解したいとか言ったのはどの口だ?」責める声を笑って誤魔化すと呆れたように眉をひそめられた。
「あのね。きみのクソガバパラドックス理論でいくと、『理解』と『慕情』が同居しないだろう」
「私のっていうか愛染さんを基にしてドラルクさんが展開した理論ですけど」
「それはそうなんだけど。まあとにかくだ。私ほどの高等吸血鬼を矮小な人間の尺度で考えた理論如きで縛ろうなんて笑止千万、余裕だそのくらい――と言ったのだよ、さっきの私は」
 ドラルクさんは尊大な態度で優雅に足を組み、口元をBLEACHで隠しながら「分かった?」と小首を傾げた。とりあえず可愛いということは分かったので、次はドラルクさんの言っていることを考えてみる。ドラルクさんは偉大なので余裕らしい。なにが? アンサーそれは理解と慕情を同居させるのが。は? 彼の台詞を頼りに演算していたはずなのに、なんだか脳が自分に都合のよすぎる答えを弾き出そうとしている気がする。なんか、ドラルクさんの言い分整理すると『私のことを理解した上で』みたいに聞こえいやいやいや、違うでしょ。だから、えー、つまり……あれ、これって夢なんだっけ。「ねえ、アイゼンさん全然出てこないんだけど」待って下さい、ちょっとまだ理解が追いついてないんですけぉくぁwせdrftgyふじこlp。
「あーあ、処理落ちしちゃった」
 軽やかな声はとっても愉しそうだ。ドラルクさんがうれしそうでなによりだなあと思える程度に回復しかけた頭が、彼のほっそりとした指先が顔の横にかかった髪を掬われることでまたショートする。手袋越しだけどいまほっぺに指が当たっ、ひえむり。パンクした私を見て、ドラルクさんは口角をくっと上げ、機嫌良さげににんまり笑った。こん、と軽く額を弾かれ咄嗟に目を瞑る。
「理解できるまで存分に悩むといい。幾らでも待ってあげるから」

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