メルト


 誕生日なのに雨って、ついてないな、切島くん。私は昇降口の屋根の下から、線のような細かい雨を見上げて本日の主役を思い浮かべた。
 切島鋭児郎くん。体育祭の第一レースのとき転んだ私に手を差し出してくれたヒーロー科の彼。ヒーロー科と普通科だし、滅多に会うことはないけど、それでも体育祭以降、食堂や廊下で鉢合わせたら少し端によって雑談するくらいには仲良しだ。今日も誕生日だと聞いたからプレゼントを渡したくて待ち合わせしていた。
「すまん、待たせた!」
「いいよ、むしろこちらこそ誕生日様にご足労いただいて……」
「なんだそれ」
 誕生日という言葉が照れくさかったのか、切島くんは口をもにょっとさせた。基本さっぱりしているのに、妙なところを気にするなと意外な気持ちになる。しかし普段の豪胆ぶりを知っている分、こういうちょっと繊細な一面が尚更可愛いく見えた。
 予定通りプレゼントを渡すと、彼は私を寮まで送るといい、外に出ようとして「あっ」と声を上げた。
「わ、悪い、俺傘持ってねえんだった……」
「え、朝も降ってたよね?」
「朝はちょっと早く出たから降られずにすんだんだよ」
 困ったと眉を八の字にした彼に大型犬を連想しながら、どうしようかなと思案する。一緒に使うこと自体は全然いやじゃない。ただ一つ問題があって。
「この大きさ、どうかな……」
「あー……」
 開いた傘を見て二人で少し悩む。別に私は本当に構わないのだが、切島くんは大丈夫だろうか。折り畳みではないけれど、機能性ではなくデザイン性重視の傘だから二人で入るには少しきついサイズな気がする。
「くっつけばギリいけそう?」
「くっ……そ、それは、う、……」
「いや?」
「い、いやじゃねえよ! ただその、またからかわれそうだなっつーか……」
 珍しくごにょごにょとはっきりしない物言いだ。またってら前にも誰かとなにかあったのだろうか。追及しようとしたが、切島くんがぶんぶん頭を降ったことで言葉が止まる。
「ごちゃごちゃ考えんのはやめだ! お借りします使わせてください!」
「あ、はい。いいですけど」
 彼は「ありがとな!」とお礼を述べながら流れるように私の傘を持った。可愛いピンクのお花柄の傘。普段の印象も相俟ってとても似合わなくてすこし笑う。切島くんは私がなぜ笑っているのか分からないようだったが、それでも彼は「ほら、行こうぜ」と私に合わせて笑った。
「なあ、違ったら悪いんだけど、前髪切ったか?」
 会話が止み、しばらく雨が傘を打つ音を聞いていると切島くんが不意にそう切り出してくる。驚いて隣を見れば、彼も彼で私のおでこをじっと見つめていた。他意はないだろうが、その視線の熱さに気恥ずかしくなって「うん」と前髪を弄りながら前を向く。そう、切った。切島くんに会う約束をしてたから、整えようと思って昨日の夜に。しかしまさか気が付くとは思わなかった。そんな劇的な変化ってわけじゃないはずなのに。「やっぱりな!」私の動揺には気付かず、彼は当たっていたことを純粋に喜んでいた。
「よく分かったね」
「まあ雑把な性格って自覚はあるぜ!」
「じゃあなんでこれは気付けたの?」
「だってそりゃあ――……ッ!」
 切島くんはバッと口を空いている手で抑えてその場に立ち止まった。突然個性を使ったのかと思うほど目に見えてガッチガチに固まってしまっている。首からじわじわと皮膚が赤く染まり上がっていき、やがておでこまで朱色に染まった。
「ど、どうしたの」
「いやなんでも……」
「声ちっちゃ!」
 手の隙間から聞こえた声につい突っ込んでしまった。汗だってそんなに流して、いったいどうしちゃったのだろう。体調が悪いならうちの寮のロビーで休んでいく? そう提案すると、彼は緩慢に首を振って拒否の意を示す。その間もずっと眉間に皺を寄せ、葛藤するように目を細めていた。ぎゅっと一度目を瞑ったかと思えば、ため息を吐き出す。そうしてゆっくり開かれた目が、そっと窺うようにこちらへ向けられた。
「見てた、から。いつも、見かけたとき、お前のこと」
 口を抑えたままでくぐもっているが、たしかにそう聞こえた。
「話しかける時間ないときとかも、わるい、自然と目が追ってて」
 バタバタうるさかった雨音がいつのまにか聞こえなくなっている。聞こえるのは、目の前の彼が紡ぐちいさな声だけだ。切島くんの熱が音を伝って伝染してくる。じんわりと自分の顔が熱を持ち始めたのが分かった。
「だから、気付けた。……おれ、お前のことが――」

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