ヌー!


「ヌー、ヌンヌヌヌンヌヌー!」
 やたらいい声のぬーぬーが聴こえると思って扉の影から事務所を覗くと、にっこにこでちょこんと床に正座してジョンくんに絡むロナルドさんがいた。ジョンくんは困りながらも律儀に彼と会話をしていて、ソファにぐったり腰掛けたドラルクさんは、頬杖をついて面倒くさそうにそんな一人と一匹を見守っている。
「なに? これ……」
「ちょうどいいところに!」
 状況が呑み込めず戸惑っていればドラルクさんに気付かれた。満面の笑みを浮かべた彼は、素早く立ち上がると、狭い隙間からサッと身を滑り込ませ事務所の外にでてくる。
「実はかくかくしかじかでロナルドくんがジョンになってしまってね。私はクソゲー企画に誘われてるからもうでないといけないんだが、ジョンとあんなロナルドくんを二人きりにするのはジョンが可哀想だしどうしたものかと悩んでいたんだけど……いやぁよかった、これで解決だな、そんなわけでジョナルドくんのことはきみに託す頼んだよろしく!」
「待ってください?!」
 どういうこと? 面倒事を押し付けられたということ以外なんにも分からない。
「いや解除はしたからもうすぐ戻るとは思うんだがね。なぜか全然切れなくて。まあ中身はただのジョンだからなんなら普段より害はないだろう。それじゃ、私そろそろ行かなくちゃ、てことでおーいジョン、おいで」
 ジョンくんが転がってぴょんと跳ね、主人の腕の中に収まる。同じく呼ばれたと思い嬉しそうにとてとて歩いてきたロナルドさんを、ドラルクさんは「きみはこっち」と私のほうへひょいとスライドする。
「ヌー?」
「折角来訪してくれたレディを一人にするわけにはいかないだろう? ロナルドくんが帰ってくるまで対応しておいてあげなさい」
「ヌー!」
「うんうん任せたよ。ジョンは頼りになるな〜どっかの単純ゴリラとは違って」
 ドラルクさんは元気よく両腕を上げてやる気を漲らせるロナルドさんの頭をひと撫ですると、今度は私に向かって「La revedere~」とひらひら手を振り、ばさりとマントを翻した。ジョナルドさんから解放されたことが余程嬉しいのか、軽くスキップまでしている。ご機嫌に遠ざかっていく小さな背中を呆れて見送っていれば、くいくいと袖を引かれた。
「ヌーヌー? ヌンヌ?」
「え、と……なんです、なにかな?」
 キリッとした顔でなにかを聞かれたっぽいが、さっぱり分からない。ジョナルドさんは、マジロ語が分からずまごつく私の腕を引っ張り、キッチンまで連れて行った。
「お腹が空いたんですか?」
 首を振ったジョナルドさんが手に取ったのはインスタントコーヒーのボトルと、紅茶の缶だった。あっおもてなししてくれるってことか。どちらがいいかとジェスチャーで尋ねられ、どっちのほうが簡単かなと考える。紅茶はきっとパックされてない茶葉だろうし、それならコーヒーのほうがまだハードルが低いだろう。本来のジョンくんは賢く手先が器用なアルマジロだが、こっちのジョンくん――このジョナルドくんは不器用かつ結構抜けてそうだし。うっかり茶葉をぶちまけでもしたら泣きそう――。
「ヌゥ……」
「え、アッー!」
 悲壮感溢れる鳴き声に彼を見る。茶葉をぶちまけていた。しまった、選ぶ時間が長すぎた。急いで茶葉を片付け、落ち込むジョナルドくんの手を引きソファへと移動する。というか茶葉ぶちまけるならコーヒーも作れなさそうだな……。そんなことを考えながらぽろぽろ涙を流すジョナルドくんに、「大丈夫だよ」と慰めの言葉をかける。
「元々喉乾いてなかったし、ジョナ、ジョンくんは言い付けどおり私をおもてなししようとしてくれただけだもん。ドラルクさんだってきっと怒らないよ」
「ヌーン……?」
「ほんとほんと。なんなら私も一緒に謝るし」
 だからそんなに落ち込まないで、と頭を撫でる。普段なら絶対しないけど、先程からの幼い言動につられてか、自然と手が伸びていた。ジョナルドくんはきょとんと瞬いたが、すぐにぱっと笑って『もっと撫でて』と言わんばかりにぐりぐり頭を掌へ押し付けてくる。初めて埋めた銀の毛並みは見た目通りサラサラだった。日々のブラッシングのおかげだろうか。可愛がられてるんだなぁと頬が綻ぶ。……いかん、私はロナルドさんをなんだと思ってるんだ。彼は人間、マジロじゃない。しっかりしなきゃ。
「ヌー!」
「えっ、ヒッ……うわっ!」
 気持ち良さそうに撫でられていたジョナルドさんくんが唐突に抱き着いてきた。嬉々として飛びかかろうとしてくる筋肉隆々な成人男性に、一瞬死を感じてギシリと体が固まる。支える力など当然なく、私は背中からソファに倒れ込んだ。
「ジョ、いや、ロナルぅわうわうわうわうわ……!」
 ジョナルドくんは甘えるような鳴き声をあげながらすりすりと鎖骨の下あたりで頬擦りしていた。私の胸を枕にしている。いや、たしかにジョンくんとはたまにこういうことしてるけど。してるけど! アウトアウトアウトと彼の両肩を掴むが、元の筋力に加え、背中に腕ががっしり回っていることもあって、ビクともしなかった。
「ヌーン!」
「うえーん……」
 機嫌のいい鳴き声とともにぎゅうっと背中の拘束が強くなる。なあにが『普段より害はない』だドラルクさんめ。普段よりずっと厄介なんですけど。しばらくされるがままになって事務所の天井を見上げていた私だったが、やがてはあと溜息を吐き出して、銀の後頭部に手を乗せた。甘えていた動きがぴたっと止まり、きらきら期待で輝いたお目目がこちらへ向けられる。いやちっかいな〜……。鼻が擦りあってもおかしくない距離にちょっと頬が引き攣ったが、それでもなんとか笑顔を作る。
「かわいいね、ジョンくん。いい子だね、いつも頑張っててえらいね」
 そう言って両頬をそっと包めば、ほっぺをふくふくと赤くしたロナルドさんは嬉しそうに「ヌー!」と笑った。こうなったらとことん可愛がってやる。覚悟しろロナルドさん。

 >>back
 >>HOME