乙女ゲーム


 ヒーローに休息はない。それはヒーローを志す我らヒーロー科の卵にも当て嵌ることだ。日々鍛錬、日々精進。つまりプルスウルトラ。刻苦勉励怠るなかれ。いかなる時でも気を抜くことなく、ヒーローたるもの常に余裕を持って優雅たれ。
「でもそれはそれとして娯楽は必要なんや……!!」
 びっくりするほど誰もいない寮のロビーで、私は散々悩んだ末、ええいままよと『購入』ボタンを押す。激しい動悸が体を苛む中、私はついに決済を終わらせた。すぐに購入完了メールが届いたので確認してうっと胸を抑える。税込16280円……! 限定版……! 買っちまった……! ついでに手が滑ってダウンロードコンテンツもカゴに入れてしまったので、累計二万近い出費だった。アルバイトも出来ぬ身としてはかなり痛いが、しかしお金自体はずっと貯めていた。この乙女ゲーム界の巨匠、『ときめいて! メモリアルseason4』ために。3が発売されて久しいが、しかし新シリーズがでると信じて、私はずっと待っていたのだ。
 発売日は十日後で、もうすぐ目と鼻の先だ。ヴィラン襲撃とか色々あって買いそびれてしまったけど、ついに手に入れた! いやまだ届いてはないけどね。でも購入自体は済ませたので。……アッしまった、もっと座禅とかしてゲームに対する気持ちとか作っておくんだった。私としたことがなんたる不用意な……と顔を顰めるが、それもすぐに緩んだ。へへへ〜買っちゃった買っちゃった! 誰もいないのをいいことに、共用ロビーをくるくる跳ね回る。ああ楽しい、しあわせ、世界って輝いてる!
「おっ……」
 轟くんに見られた。ディズニープリンセスのような気持ちだったのが彼の小さく驚く声によって一瞬で萎んだ。広げていた両手をゆっくり下ろし、居住まいを正す。
「すげえ楽しそうだったな」
「あ、はい……その、ゲームを買ったので……」
「ゲーム?」
 浮かれすぎてて口が滑った。轟くんはゲームなんて分からないだろうに、「どんなやつなんだ?」と聞いてくれた。そこまで仲のいいわけでもない上、こんな奇人とも会話をこうして広げようとしてくれるとは。なんてやさしい。いい人だ、さすがヒーロー志望。でもクラス一のイケメンに乙女ゲーム買った報告するってそれどんな罰ゲームなんだろう。言わないわけにもいかないので小声で伝えると、彼は首を傾げた。
「乙女ゲームってなんだ?」
 いいいいい! 詳細な説明を求められてる、クラス一のイケメンに! 身悶えしたいところをなんとか堪えて声を絞り出す。頑張れ私、あと二百四十時間後にはメモリアルにときめいてるんだ……!
「たくさんのイケメンと恋愛するゲームです……」
「たくさんのイケメンと恋愛するゲーム……」
 ぽかんと復唱されてさっきの決意も虚しく死にたくなってくる。現実逃避に窓を見れば、茜色の夕陽が目に染みた。世界はこんなにも残酷で美しい。
「ゲームなんだよな?」
「はい」
「ゲームで恋愛してなにが楽しいんだ?」
 血を吐きそう。ていうか轟くんの声って今回のメインキャラの声に似てるなあ。気が付きたくなかった。あのキャラは最後に回そ。かなり嫌な発見だったけど、待望の新作なので攻略しないという選択肢はない。
「あの……とてもキュンとします」
「きゅんと」
「はい。イケメンを落とすというか、イケメンに好きになってもらうみたいな……そういった感覚は現実では縁がないというか。あの、こう……なかなか味わえないので……」
 疑似体験的な楽しさ、が……。ろくろを回しながら話す。情けなさでどんどん声を小さくしていく私に、轟くんは終始不可解そうな顔をしていた。やめろその顔泣くぞ。
「味わえないってなんでだ?」
「なんで?! いや、そりゃ、も、モテないっていうか……ええ……?」
「……たくさんのイケメンと恋愛するんだよな」
「はい」
「じゃあお前はたくさんのイケメンにモテたいってことか?」
「違うよ?!」
 そんな女王様的なことは考えてない。まさか轟くんは私がイケメンを侍らせておーっほっほっほっほしたい女だと思ってたのか? そりゃ話が噛み合わないわけだ。 そもそもの説明がよくなかったかな。私は「たくさんの中から一人を選んで恋愛するゲームです」と言葉を付け足した。
「……じゃあ俺でよくないか?」
「よくない。なに?」
 どうした? 頭おかしくなっちゃった? 自分のことをゲームのキャラ扱いしてほしいの? 頭おかしいのかな。私の困惑をよそに、轟くんはなぜかムッとしていた。その顔もやめろ。この短時間で轟くんに対してすごい色んな感情を抱かされている。この声帯に近い人のボイスやらで萌えれるのかな、私。無理な気がしてきた。
「葉隠とか芦戸とかは俺のことイケメンって言うぞ」
「そうだね、私もそう思うけど」
「なら尚更いいじゃねえか」
「よくないけど」
 マジでなに? なんか変な個性かかってるのかな。私には手に負えない、降参。ドン引きした気持ちで「じゃあ私部屋戻るね」と返事も待たずに踵を返す。が、すぐに腕を掴まれた。顔の半分を夕陽に照らされた轟くんは、相変わらず不機嫌そうに眉をひそめていた。
「俺は既にお前が好きなんだが」
「……、……は?」
 呆然とした声が零れる。「今更落とす必要もないぞ」なんて、そんな得意げに言われたって、そんなのメリットでもなんでもない。……別にデメリットだとも言わないけれど。ただヒロインの幼馴染で、今回のゲームの顔ともいえるあのキャラの攻略はもうやめとこうと思った。

 >>back
 >>HOME