約束
「十年後もお互いフリーだったら結婚しちゃおうよ」
「おー」
間髪入れず、そしてあっさり返ってきた緩い声に驚いて顔を上げる。ロナルドの視線は手元の週刊雑誌に落とされていた。かなり緊張したのに。脱力感と期待の狭間で揺れながら、じっと彼を見つめる。
「やべぇ、今週アツすぎる……」
それが漫画の感想ということは明白だ。ねえ、もっとないの。私いま、結構すごいこと言った、つもりだったんだけど。前の席を勝手に借りて横向きに座り、漫画を読んでニヤつくロナルドは、私が見つめていることも、私がどんな顔をしているかなんてことにも当然気付かない。まったく興味がない、というか今の話を聞いていたのかすら怪しかった。落胆や失望がお腹の辺りからせり上がってくる。喚き散らしたくなるような凶暴な衝動を歯を食い縛って耐え、再び俯いて目元に力をいれる。泣いたら冗談めかした意味がない。さすがにここまで相手にされないとは思ってなかったけど。こんなにも自分が彼にとって取るに足らない存在だったとは想定外だった。知らず知らずのうちに、私は随分思い上がっていたらしい。
まっさらな進路希望調査表の一番上、第一希望の欄に押し当てられていたシャーペンの先が折れ、短い芯が静かに転がる。私はそれ以上何も言わず、黙って『就職』と文字を書き連ねた。
ああ、やだな、未来のことなんて考えたくない。考えなければよかった。
◆
「――そこで俺が華麗に登場して見事吸血鬼を撃退したってわけだ!」
「わぁ、そうなんだ〜さすがロナルド様〜すごぉい、焼肉奢って〜」
「いやなんでだよ」
「他人の金で食う肉は格別だから」
「祝いに来たんだろうが」
そうなんだけど、それはそれだ。ロナ戦一巻発行祝いの品はちゃんと渡したし。そもそもロナルドは私よりずっと稼いでるんだし。以前来た時より物が増えた事務所を見回して感心する。一人前の退治人事務所という感じだ。彼以外の退治人事務所なんて行ったことないけど。しかしハイレグくそ鈍感ポンチだぼ男がよくここまで出世したものだ。
「でもま、気分もいいし奢ってやるよ。このロナルド様が!」
ロナルドは言葉の通り機嫌良さげに赤い帽子を手に取った。ジャラジャラとした十字架の装飾は退治人らしいといえばらしいが、見ようによってはまあダサい。などと思いつつ、今は煽てといてやるかとパンと顔の前で手を合わせる。会計終わったら言ってやろう。
「きゃ〜かっこい〜センスある〜」
「棒読みやめろ、さっきから。ていうか変なんだよ、喋り方が」
ロナルドはゾワゾワする、と顔を歪めて自身の二の腕を抱き締める。渾身の裏声を前に失礼なやつめ。そんなんだから恋人ができたことないんだ。肉のため、じゃなくて私はやさしいのでそんな真実を口にはせず、「合コンさしすせそだよ」とだけ教えてあげた。
「合コンさしすせそ?」
「さすが〜しらなかった〜すごーいセンスある〜そうなんだ〜」
「なんだそれ……なんでそんなの知ってんだよ」
「最近よく行くから」
「……は?」
ロナルドが被ろうとした中途半端な体勢のまま固まる。外出時は絶対に外さない、すっかりトレードマークのそれは、頭に被さることなく未だ大きな手に掴まれたままだった。いつまで経っても乗せられる様子がないので首を傾げる。
「今日は被って行かないの?」
「は? え? 何言ってんのお前?」
「は? なにが」
「合コンってなに?」
「えっ……えっと、あのね、合コンは合同コンパと言って、所謂男女の出会いの場なんだけど……」
「意味くらい知ってるわ!」
目を吊り上げて怒鳴られ、ほっと息をついた。そうだよね、さすがに……。安心していればロナルドは手にしたばかりの帽子を机に戻した。おいついに置きやがったコイツ。
「なにしてんの?」
「いやお前がなにしてんの? なんでお前がそんなのに行ってるわけ?」
「だから出会いを求めてだよ」
「はあ? 必要ないだろ」
心底意味不明だという顔を向けられ頬が引き攣る。なに、お前には無駄だとでも言いたいわけ? もしそうならまじで腹立つなコイツ。今すぐ抓り倒してやりたい気持ちをなんとか抑える。私は大人なので。こんな感性が小三からずっと成長してないようなガキと違って分別ある成人女性なので。冷静さを取り戻そうと息を吐き、ロナルドを見上げる。彼は不機嫌そうに眉根を寄せ、下唇を突き出していた。おうなんだその顔は皮膚の薄いとこ抓り倒すぞ。
「だってお前が言ったんじゃんか」
「なにが」
胡乱に睨めつけると、ロナルドはぐ、と黙り込む。なんなんだほんとに。それよりお腹空いた、早くお店に行きたい。この近辺で一番高い焼肉屋はどこかな。カメ谷ならいいとこ知ってそう。あいつと、ついでに半田も誘おうかな。二人で行ったなんてバレたら揶揄われそうだし。そうスマホをいじっていると、手首を掴まれて引かれた。
「やめて痛い。ほんとなに?」
「十年後ケッ結婚しようって、お前が言ったんだろ」
「……は?」
なにそれ。たしかに言った、言ったよ。でもロナルド全然聞いてませんみたいな感じだったじゃん。いや、ていうか私『フリーだったら』って言ったんですけど。結婚しようまでは言ってないし。なに改変してんの?
「俺、ちゃんと『おお』って言った」
と、頭の中だけはしっかり回っていた。けれど、怒ったような顔をしているくせに、瞳だけは不安を顕著にして揺らがせているロナルドのせいで、なにひとつとして言葉にすることはできなかった。握られた場所があついのにその温度が心地良い気がして、勝手なロナルドにも単純な自分にも腹が立ってくる。無性に振り解きたいような気持ちに駆られた。もし振り解けたとしても、きっと再び掴まれてしまうだろうということまで想定がつくのがなんとも言えずむしゃくしゃする。悔しい、なんなんだこの男は。
「俺はずっと、そのつもりだったんだけど」
手首を握る指先が僅かに震えた。今更不安になるくらいなら、あの時もっとちゃんと返事しろ、ばか。
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