友情、これにて御免


 ギルドの扉を押し開いた時に揺れたベルの音が、密かに想っている相手が叫んだ私の名前で掻き消される。赤い背中の彼――ロナルドはちょうど立ち上がったところらしく、尚更来店の音が聞こえなかったのだろう。同じテーブルについているサテツが私に気付いてはわ、と慌てるのに対し、ショットとドラルクはニヤついた顔で『静かに』というようなジェスチャーをした。周りのメンバーからも同じような含みある顔を向けられたので、私は挨拶しようと開いていた口をそっと噤む。
「だぁかぁらぁ! あいつとは別になんでもねえって!」
「ほんとか? 素直に吐いちまえよ」
「しっつけーな! そもそも全然タイプじゃねーっての!」
「お、おいロナルドもうそのへんで――」
「あんなやつ、マジで好きでもなんでもねえから!」
 ギルドが静まり返る。突然の冷え切った空気に狼狽えるロナルドに、ドラルクが真顔で「うーわ」と呟いた。
「これは乙ルドくん。骨は拾ってあげるね」
「ロナルド、うしろ……」
「は? うしろがなんだっぶェァあばばぶべべべ」
 サテツからの弱々しい指摘を受けて振り向いたロナルドは、やっと私に気が付き、怒りでなのかほんのり赤く上気していた顔を青くさせた。今の私はきっと能面のような顔をしているに違いない。そんなことを確信できるほど、自身の顔の筋肉が未だかつてないほど固まっているのを感じていた。私は一度目を瞑り、すうっと息を吸い込んで子鹿のようにガタガタみっともなく震えているロナルドを冷たく見据える。
「キショい」
「ピギャ」
「タイプじゃないってなに? ロナルドのタイプなんてミミズの交尾よりどうでもいいけどそうやって勝手に値踏みして評価するみたいなの、人として有り得ない、軽蔑する、ていうかした。失礼だとか思わないわけ? 不愉快すぎるんですけど。何様のつもり? ロナルド様(笑)? ほんと最低、信じられない。ショットよりデリカシーない」
「アバボバビエボボボボ」
「どれほどお高い理想があるのか知らないけどね、あんたみたいな童貞はどうせ恋人ができたら『好きになってくれた子がタイプ♡』とかふざけたこと抜かすようになるんだから。ていうか私だってあんたみたいなメンタル弱々脳筋愚鈍スネ毛男なんかぜんっぜんタイプじゃないし」
「ギュエピホア」
「お嬢さんもうその辺で。ロナルドくんもう死んじゃってるから。オーバーキルだから」
「ていうか俺よりデリカシーないでダメージ受けるってなんだよ」
「言い得て妙というか言葉のまんまね。自覚しろモップ頭」
 ドラルクがロナルドの頬をつんつん突つくも、やつはされるがままだ。普段なら秒で腹パンしそうなところなのに、全く反応を見せず立ち尽くしていた。過剰にショックを受けているその姿をいい気味だとすら思えず、鼻を鳴らした。踵を返して扉の取手を掴むと、マリアから声がかかる。
「どこ行くんだよ? 来たばっかじゃねえか」
「帰る、そのポンチのせいで気分悪い。――それから」
 一度言葉を区切って振り返って放心しているロナルドを睨めつけた。
「……私だってあんたのことなんて、好きでもなんでもないから」
 込み上げてきたものを堪えるのに意識をやり過ぎて、声が少し震えていたかもしれない。私は逃げるようにギルドを飛び出した。
 人混みを縫ってひたすら走り、ギルドから遠く離れた頃合で足取りを緩める。虚しい。あんなことを言われたという事実も、必要以上にひどい言葉をぶつけた自分も。なにもかもがいやで、もうひたすらに全てが虚しかった。告白する前にフラれたし自分で最後のひと押しをしてしまうなんて、愚かすぎる。ああもう、今すぐ地球が滅んじゃえばいいのに。ギラついているはずの街のネオンがボヤけて見える。もはや我慢する必要もないので、私は涙を垂れ流しながら足を動かした。残業終わりの数人にギョッとされようと気にならない。ガチ泣きしすぎて嗚咽まで溢れてくる。
「う……」
「おい!」
 聞き覚えのありすぎる声がして、止めかけていた足に力が入った。弾かれたように地面を蹴って走り出す。「待てって!」誰が待つか。ていうかなんで追って来てんだあのバカ。足にだけはロナルドにだって負けない自信があった。いやうそ、言い過ぎた、でも引き分けくらいには持ち込めるはず。え、じゃあこのまま家まで並走することになるの? 狭い路地裏を走りながら混乱していれば、背後で「クソッ」という悪態、続けて等間隔で壁を蹴る謎の音が聞こえて思わず速度を緩めてしまう。何事かと思った瞬間、目の前にロナルドが降ってきた。何を言ってるか分からねーと思うが、私にも分からない。
「は、え、え、なに……?!」
「だって止まんねーから、って……は、えっお前なんで泣いて……!」
 壁蹴りで宙から先回りするという、およそ人間離れした芸当をみせた彼は私の顔を見て狼狽えた。今後人生でかかわらないであろう通行人にギョッされるのは構わない。けれど彼にされるのはわけが違う。私は慌てて腕で頭を庇って泣き顔を隠した。
「きゅ、吸血鬼か? 襲われたのか? それとも誰かになにかされた?」
「違う、べつに、なんでもない」
「なんでもなくて泣くかよ。とりあえず念の為VRC行くか? 俺も付き添うし」
「だから吸血鬼じゃないって」
「じゃあどうしたんだよ」
「うるさいなぁ、ロナルドに関係ないでしょ」
 放っておいてと鼻を啜って袖口で目元を強く擦って涙を拭うが、すぐその腕をとられた。手首の血が止まりそうな力につい痛みで呻くと、力が弱まる。
「悪い。……でも関係ないわけないだろ」
「は、ただの同業者にもおやさしいね、ロナルド様は」
 茶化して言えば、息を呑んだ音がした。しばらくしてから、硬い声で「違う」と否定される。怒らせて有耶無耶にしようとしたのに彼は挑発に乗るつもりは一切ないようだ。いつもは短気なくせに、と舌を打ちたくなる。
「同業者だからじゃない」
「……言っておくけど、私、ロナルドのこと友達だなんて思ってないから」
「奇遇だな、俺もだよ」
 また自分で傷を抉ってしまった。この期に及んで、私は本当に馬鹿なやつだ。仕掛けたくせに彼の言葉で傷付いた自分を自嘲した笑みが零れる。友達とすら思われていなかったのか。ますます惨めだ。俯いていたせいで、重力にしたがって涙が地面へと落ちてしまう。また手を掴む力が強くなった。
「思ってない、つか、思えなくなった」
「あ、そ」
 蹴りで隙を作るか。でも脚を掴まれたら終わるな。そうだ、金的しよう。そうしたらこの馬鹿力も緩むし、さすがにすぐには追ってこれなくなるだろう。これ以上彼の言葉で傷付くのがいやで、私は目の前の男を行動不能にすることだけに頭を回した。
「お前とは友達じゃイヤだ」
「わかった、もういい、わかったから」
「分かってねえだろ」
「わかったってば」
「じゃあなにが分かったのか言ってみろよ」
「……他人がいいってことでしょ」
 よく聞いていなかったけど、要するにそういうことだろう。こんなこと自分の口から言いたくなかったのに。「なんも分かってねえじゃん」ロナルドは深い溜息を吐いた。私が好きだったことを知らないとはいえ、こんなひどいことを言わせたくせに、なにその態度。やっぱこいつ、さいていだ。
「好きだ」
 車の走行音や人々の喧騒が消え去る。一瞬にして周りに誰も――私の手を掴む存在以外、いなくなったようだった。思わず顔を上げれば、強張った表情のロナルドが私を見下ろしていた。
「好きだから、もう友達じゃ満足できねえって思うんだよ」
「……なにいってんの?」
 率直な感想を掠れ声でなんとか絞り出す。気でも狂ったんだろうか。お前こそVRCに行くべきだ。タイプじゃない、好きじゃないと言った口で、今度はなにを惚けたことを。正気とは思えない。もうやめてほしい。これ以上私を振り回すな。睨み付けると、ロナルドは途端にうっとたじろいだ。ほんの数秒前の堂々とした態度がうそみたいだ。
「あ、や、そりゃ、さっきあんなこと言っちまったけど、あれは……勢いっていうか照れ隠しっていうか、いやなんにせよ最低なこと言ったって分かってるんだけど――アッちが、ごめん悪い、俺謝ってなかった!」
「な、なにが」
「だからタイプじゃないとか、いやそれは全然本心ではねえんだけど、それでもお前の言う通り失礼なこと言った。傷付けた、悪い」
 ロナルドは「だから出てったんだろ」と眉を下げる。傷付いたって、まあ、それはそう。間違ってはない、けど、ちょっとなんか、若干ニュアンスが違う気がする。私は頷くに頷けなくて、ただただ彼を見上げた。
「あの、とにかくさ」
 通り過ぎていったテールランプの灯りがロナルドの赤い顔を照らした。ここまで言われたのにまだ信じられなくて、もうなにも聞きたくないと耳を塞ぎたくなる。しかしそれ以上に、抑えきれない期待で胸が騒いでいて、微動だにできない。
「俺の好きなタイプ……というか好きなのは、お前だから」
 瞬きの拍子に、目尻から残っていた涙が頬を伝っていった。少しだけ目線を逸らしたロナルドは、「別に俺のこと好きになってくれなくても、タイプ、というか好きだし」と、ボソボソ言い訳というか、拗ねたような言い分を呟く。ああ、さっき言ったの、根に持ってるんだ。『好きになってくれた子がタイプ』ってやつ。頭の変に落ち着いた部分が、そんなことを冷静に分析していた。
「……お前は本気なのかよ」
「え?」
「タイプじゃないとか友達じゃないとか……好きじゃない、とか」
 端正な眉が寄せられ、切なげに歪む。こんなに薄暗い視界なのに、青い瞳だけはいやに煌めいて見えた。
「ごめん」
 ロナルドの言葉を――十分前の自分の言葉を全部否定してしまうのは簡単だ。でもその前に、そんな不安を抱きながらも謝るためだけに追いかけてきてくれた彼に、私もきちんと向き合わなきゃいけない。
「ごめんって……エッまじで思って――」
「ひどいこと、私もたくさん言った。ごめん、思ってない、あんなの、全部違うから」
「え……ぁ、ち、ちがう……? つまり、それって、じゃあ……?」
 謝罪を聞いた瞬間は絶望したものだった顔が、続けられた言葉を咀嚼していくうちにじわじわと分かりやすい期待で染まってく。さっきの私もこんな顔をしてたのかなと思うと、どうにも恥ずかしく、けれど不思議とうれしいようなこそばゆい気持ちになった。幸福な気持ちのまま、少しだけ震える息を吐き出す。声、ちゃんと出るかな。心臓の大きな鼓動のせいで胸が苦しくて、体がひどくあつかった。
「わたしも、ロナルドのことが――」

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