隠し味は


「夕食なんですか?」
「ボワッッギャフドゥエ」
 突然聞こえてきた声に女子力皆無な叫びをあげる。振り返ると、亜空間から上半身をだしたフクマさんが「ビーフストロガノフですか」なんて平然と鍋を覗いていた。よくそんなすぐ分かるなと感心する。作ってる本人もビーフシチューとビーフストロガノフって味大して変わんないよねって考えてたとこだったのに。
「もうお帰りですか?」
「帰宅にはまだもう少しかかります」
「そうですか。あ、そうだ!」
 思い立った私は、小皿に少しだけ汁をよそう。亜空間から微笑むフクマさんに差し出した。驚きはしたけどちょうどいいタイミングだ。
「せっかくだから味見してくださいよ」
「いえ、勤務中なので」
「勤務中に夕飯確認しにきておいてそれは今更すぎませんか?」
 いいからいいからと小皿を彼の口元までずいっと近付けた。普段はこんなことしないけど、今は強引にいくが吉。さあご感想を。そしてできればアドバイスを。なにかが足りない気がしていたのだ。食は生活に必要不可欠な重要要素なので。それを存分に満たすためなら多少大胆にもなる。
 フクマさんは顔の前の小皿をじっと見つめて黙り込み、微動だにしない。私も絶対に味見してほしいという強い気持ちがあったので暫く硬直状態が続いていたが、不意に彼が瞬きを一切してないことに気付いてしまってゾッとした。今どんな気持ちでビーフストロガノフ眺めてるのだろう。視線だけで蒸発してもおかしくはないほどのガン見だった。ビーフストロガノフくんが可哀想になってくる。ていうかフクマさん全然息してない気がするんだけど大丈夫かな。まさか意識だけ会社に戻してたりしますか? じゃあ目の前にいるのは器だけ?
 あんまり動かないのでだんだん怖くなってきて、つい小皿を引きかける。けれどそれと同時に彼がやっと動いた。皿の縁に口をつけたので、慌てて飲みやすいようにそうっと皿を傾ける。
「ど、どうですか? というか大丈夫ですか?」
「大丈夫、美味しいですよ」
 そうにっこりされ、なんとも言えず口をもごもごさせる。味じゃなくてあなたが大丈夫か聞いたんですけど……。まあいっか。大丈夫なんだろう、戻ってきたみたいだし。それに美味しいらしいし。
「帰るのが楽しみです。ではまた後で」
「はーい、お気を付けて」
 亜空間に消えていく彼を横目に私も同じ小皿で味見をし直し、あれ、と首を傾げる。さっきまでたしかになにか足りないとモヤモヤしていたはずなのに、改めてこうして食べてみればちゃんと美味しくて不思議だった。フクマさんがなにかしたのかな。人間の目では視認できないほど高速で味付けし直したとか? もしくはなんかそういう波動的なものを放ったとか。オイシクナァレ砲。彼なら撃てそうだなと思いながら、湯立つ鍋をかき混ぜた。

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