好奇が手繰るは見えぬ縁


 夏の魔物に呑み込まれた私は生還した時には邪眼の持ち主になっていた。オータム社ではよくあることなのでちょっと属性が増えたくらいは気にならない。やや鬱陶しい能力ではあったが。事務作業中、なんとなくその話を振ってみると、同期のサンズは「はあ」とつまらなさそうに相槌を打った。仕事中ですよと文句を言いながらも手を止めて雑談の姿勢をとってくれるところに、素直じゃない彼女からの愛を感じる。
「どうせ屁より役に立たない能力なんでしょうね」
「赤い糸が見える」
「ままままままあ? サンズちゃんの運命なんてブラックホール発生よりも先に決まってますが? しかし友人のあなたには特別に見させてやらないこともないですよというわけでほら! 新横浜に繋がる赤い糸が?!」
「ない。サンズの小指からぜってー離れるもんかと固結びされた赤い糸なら見える」
「このポンコツがァ!」
 ひどい言い草にムッとして窓の外を指差す。指差した先では夏の迷惑な風物詩が木にへばりついてミンミン鳴き喚いていた。
「あそこの蝉、糸張ってる。見てな、今に交尾しだすから」
「自信満々に言うことじゃねーんですよ!」
 サンズの叫びを見計らったみたいなタイミングでどこからともなく飛んできた蝉が木に吸い寄せられていく。あっという間に合体した。「んああああああ蝉にすら負ける運命!」サンズは白目を剥いて発狂すると、ぐるんと目玉を動かし(怖い)、山姥のような形相で血涙を滲ませる。そんなに悔しがらないでも……。サンズは止める間もなく窓から飛び出していった。業務中だぞオイ。
「冷やかして萎えさせたらァ! お前らの生命の連鎖を今ここで完全に断ち切ってやる!」
「フクマ先輩にまた再教育されても知らないからね」
「その時は今度こそ返り討ちにしてやります! こいつらは前哨戦じゃあ!」
「うーん、なんて哀れな生き物……」
 もうこの先の展開見えたよ私。そう呆れて視線を逸らした先で、ゆらりと奇妙な存在感を放つ赤い糸を見つけてぎょっとする。大抵の糸はピアノ線より細く、しかし不思議な光を放って煌めいている。なのに今目の前にある糸は、タコ糸ほどの太さで、なぜか赤黒く不気味にテラついていた。うっわなにあれグロ。引きつつも、怖いもの見たさで糸の先を辿る。妙なところで好奇心だすから夏の魔物に呑まれたというのに、私はとんと反省していなかった。
 ぐねぐねエグい動きをしながら波を作る紐は、フクマ先輩をぐるりと取り囲んでいた。ああ、我らがフクマさん……このクソ暑いのにクールビズのクの字もないかっちり黒スーツのフクマさん……そりゃ糸もああなるわ。妙な納得をしつつ、いつの間にか現れていた彼の姿に心中で同期へ合掌をする。ついでにこのおぞましい紐のお相手さんにも。
 にこにこ虚空を見つめていた先輩が、急になにかを探すように頭を動かし、やがて漂う紐を二本の指で摘んだ。咄嗟に悲鳴をあげかける。私だって見えるだけで触れないのに。ていうか見えるんかい。この能力もしかしてそんな珍しくもない?
 触れるのを躊躇うほどグロい紐をなんのてらいもなく掴んだフクマさんは、じいっと見つめたあと数度手首を返して手に巻くと、そのまま紐をグッと引っ張った。同時に私の左手がなにかに吊られたようにくんと動く。
「おや」
「…………は?」
 勝手に上がった腕の先を見る。さっきまでなにもなかったはずの左手の小指には、あのドス黒い紐がぐるぐると何重にもして巻かれていた。たゆんでいた長い紐が、引っ張られたことによりピンと張り詰めている。
「……え、先輩見えてるんですか?」
「いいえ」
 ぜってーうそじゃん。にこっと効果音がつきそうなほどのいい笑顔に素朴な恐怖を覚えた。紐を握る指先がすりすりと撫でるように動いている。猫を撫でてる時並みの機嫌の良さがまた恐ろしい。
「あの、見えてるなら、というか触れるならそのバトルアックスで断ち切ってくれませんか」
「サンズくんはまた仕事を放り出して、仕方ないですね」
 え、無視? 窓に乗り上げたフクマさんの背中が外へ消え、サンズの甲高い悲鳴が木霊する中、私は途方に暮れて左手を見遣る。私にしか見えないその赤は、気の所為で済ますには色んな意味で重過ぎた。

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