うなじフェチ


 髪を切った。それはもうばっさりと。肩甲骨を覆うくらいの長さが今や首元全開である。ちょうど冬がにじり寄ってきた季節というのに、私は今年一さっぱりした髪型になっていた。しょうがない、だって鬱陶しかっただもん。久しぶりのショートは新鮮で、鏡に映った自分は普段より少し大人っぽいような気がして、私は寒さなんてどうでもよくなるほど気に入った。頭も軽いしドライヤーだって五分かからないで終わりそう。
 なんて上機嫌でいられたのも、唖然としたドラルクさんの顔を見るまでだった。
「……あの、ドラルクさん?」
 美容院帰り、いつものように事務所へ遊びに来た私を見留めた彼は、目を見開いて「いらっしゃい」と出迎えた姿のまま凍りついた。しばらくそんな状態だったので業を煮やして名前を呼べば、ハッとして「あ、すまない」とぎこちなく微笑んでみせる。
「どうしたんだい、その――髪型」
「気分転換です、重かったし」
「これから寒くなる時期に……」
「いいじゃないですか、真冬はどうせマフラー巻くんですから。……変でしょうか?」
「まさか! よく似合ってるよ」
 そう言う割りにドラルクさんの顔は晴れない。というかどん曇りだ。眉間に鎮座する濃い皺はどうやら無意識らしい。
 ドラルクさんは相変わらずな険しい顔のまま、小声で唸りながら思案するように天井へと視線を添わせる。私といえばそんな彼についていけず事務所の玄関口で立ち尽くしていた。当惑を込めて見つめても気付いてもらえず、ひっそりとため息を吐いた。今日の彼はどうも変だ。いつもならすぐ奥でお茶を用意してくれるのに。それにこんなに視線が合わないなんておかしい。
「うん」
 なにかを決意したようなつぶやきとともに、やっとドラルクさんが視線をこちらへと投げた。視線は私の後ろ辺りを捉えていて、まだ目は合わない。しかしさっきから置いてけぼりで一抹の寂しさを覚えつつあったので、彼の意識がこちらに向いたことに一先ずホッとする。
「きみ、今日はもう帰りなさい」
「……えっ」
 安堵は一瞬で絶望に塗り潰された。ショックを受ける私に気付かず、ドラルクさんは「送るから」と言うが早いが、奥へと引っ込む。そして片腕に赤いものを持ってすぐに戻って来た。あっという間に私の首に真紅のマフラーが巻かれる。ぐるぐる巻きにされた私を見て、「よし」とやっとドラルクさんの眉間の皺が解れた。よしじゃないが。一歩も動いていないのにすでに暑い。肌触りの良いマフラーを少し下げ、首元を緩めた。
「あ、こら、だめだよ外しちゃ」
「いやなんですかこれ」
「近頃の夜半は冷え込むからね。女の子が体を冷やしちゃいけないだろう。貸してあげるよ」
「さすがにまだ平気ですけど」
「まあまあ。遠慮せずに」
「してない……」
 心底結構だったのでむっつりと睨みつける。態度の悪い私に、ドラルクさんは不思議そうにしていた。
「なにか怒ってる?」
「なにかって……」
 放置された挙句、来たばかりなのに理由も告げず帰れとだけ言われ、季節外れの格好を強いられる。そして恐らく、髪型も似合ってないと思っているような反応をされる。散々な仕打ちの連続に、私は若干不機嫌になっていた。当然というか、これが普通の反応だと思う。それなのに私の方がおかしいみたいな態度をされ、なんだか拍子抜けというか、白けた気持ちになった。
「……もういいです、一人で帰ります」
「え? いや――」
「それから、髪が伸びるまで会いには来ませんのでどうぞご安心を。お目汚し大変失礼いたしました。それからマフラーも大丈夫です。どちらもお気持ちだけ受け取っておきます」
 無愛想に言葉だけをつらつらと並べ、マフラーを外そうと首に手にかけた。が、すぐにその動きを制限される。紫色の手が私の手首を掴んでいた。
「ど、どうして怒ってるの?」
「……怒ってないです」
「いや怒ってる人の返事〜……!……ごめん、私がきみを悲しませたんだね」
 もう一度ごめんね、と謝られてキュッと口内を噛む。そうやって改めて謝られると、別にほんとはそんなに悲しくなくても、実はとても悲しかったような気持ちになるのはどうしてなんだろう。つい俯けば優しく頭を撫でられた。
「歩きながら教えてくれるかい?」
「一人で帰ります!!」
「エッ?! いま仲直りの感じだったのに?!」
 それをあんたがぶち壊したんじゃ! この期に及んでまだ帰れと言ってくる男の手を振り払って威嚇する。私が猫なら全身の毛が逆立っているだろう。
「ドンタッチミー!」
「おあ、プ、プリーズビィクール! カームダウン!」
「ナッシングドゥーインッ」
 お断りだと吠える。拙い英語に発音を合わせられてるのもまた腹が立った。片手の拘束は未だについたままなので、死なない程度に振りほどこうと強めに身動ぎをしてみる。すると手の力が強まり、指先から勝手にサラサラしだしたので仕方なく抵抗をやめた。いくら喧嘩中だからといって、死なせるのはさすがにしのびなさすぎる。文字通り身を粉にした控えめな脅迫に苛立ちが募った。
「放してくださいよ!」
「いや、それは、……ほらまあ落ち着いて、ね。いい子だから聞き分けて――」
「はーっ! 子ども扱い! むり、いやもうほんとに無理です、今日は一人で帰――」
「そんなうなじの子を一人で帰せるか!」
「えっうなじ?」
「…………ア゙ッ」
 間を置いてからあがった濁った叫びが砂山に吸い込まれていく。じりじりと後退していくマントを逃がすかと掴んだ。最底辺だった気持ちが一気に上がっている。自身の眦が機嫌よく垂れているのが鏡を見なくとも分かった。
「なんですか今の。ねえ、今なんて言いました?」
「うああああやめ、やめろ! 違う、今のは違うんだぁあぁ……!」
「うなじ? うなじを見てたんですか?」
 しゃがみこんで話しかけると砂がうごうごと蠢いた。なんとなくマフラー越しにうなじを触る。切ったばかりの毛先が手の甲をくすぐった。うなじを見ていたから目が合わなかったのか。ふぅん。そう。ニヤついていれば、のろのろと再生した指先が髪を摘み上げ、するりと滑った。
「……似合ってるよ。嘘なんかつくものか」
「え?」
「髪型のことだ。似合わないわけがないだろう。とてもかわいいよ、本当さ」
「あ、ありがとうございます?」
 座った体勢で復活したドラルクさんは立てた膝にそれぞれ腕を気だるげに置き、投げやりなため息を吐いた。あまり見ない粗暴な態度に目を見張る。
「吸血鬼だよ、私は。分かってる?」
「それはもう重々承知しておりますが……」
「してないね。してたらそんな格好しないでしょ」
「そんな……」
「首……うなじ全開のさぁ。……いや、似合ってるよ。ほんとだから」
 じっとりと念を押されて伝わってますとコクコク頷く。「かわいいからね」とさらに続けられてさすがに恥ずかしくなった。「そういえば!」照れ隠しに、裏返った早口で紡ぐ。
「ドラルクさんはうなじが綺麗な女の子が好きなんですよね」
「ンギェアアなぜ知ってる! なぜ知ってる!!」
「ロナルドさんから聞きました」
「あの無神経クソゴリ人間!」
「私のうなじがそんなによかったんですか?」
「ンバボバボバババ」
 ドラルクさんは血色の良い顔でんきゃーっと叫んで辺りに粉塵を散らばらせた。大袈裟な反応はつまり図星だからなのか。……別に、普通のうなじなんだけどな。余りの反応に、気に入ってもらえた嬉しさよりも気にかかることがでてきてしまい私は困惑半分で眉を顰めた。
「まさかドラルクさんってショートの人みんなにそんなこと思いながら生活してるんですか?」
「誰が万年発情期じゃ! きみだから公衆の面前に晒したくないんだが?!」
「うわっ」
「引くな!」
 ちがう、引いてない。全然そんなことはない。シンプルに照れからの呻きなんだが、ドラルクさんは怒りで冷静になれてないのか、私の様子には気付いていなかった。よかったと胸を撫で下ろす。
「……でも、あの、吸血鬼だって千差万別でしょう。みんながみんなうなじに興奮するわけじゃないと思いますけど」
「いーやするね。例えばショットさんは処理し忘れたムダ毛が性癖だとは言うけど、だからといって巨乳に興奮しないとは限らないだろう。っていうか絶対するでしょ、彼なんか」
「えっショットさんってムダ毛が好きだったんだ……」
 たまに会う程度の目元を黒くした退治人さんを思い浮かべた。なんだか知ってはならないことを知ってしまった気が……勝手に描いていたクールな印象がガラガラと崩れていく。微妙な顔をする私に「彼性癖オープンだから大丈夫」と肩を竦めた。あっまあそれなら……いや、気休めにもならない。そもそも知りたくなかった。かっこいいイメージのままでいたかったのに。
「だから分かったらもう自宅以外で首をださないこと」
「わー、急に束縛激男……」
「悪い?」
 恥ずかしさから咄嗟に茶化した私を、ドラルクさんは顎を突き出して鼻の上からじろりと見遣る。とうとう赤い頬の誤魔化しようがなくなり、私は魚のように口をぱくぱくさせてしまった。
「ひ、開き直ってる!」
「開き直りもするだろう、こんな醜態……」
 ドラルクさんはぞんざいに鼻を鳴らしながら立ち上がると、軽く襟元を正してから私に手を差し伸べた。そこはかとなく悔しい気持ちで白い手袋の上に手を乗せる。もう全身が暑かったけれど、繋がる手をぎゅっと握り締める。いいでしょう、今日のところは大人しく送られてあげますよ。恋人の可愛い独占欲に免じて、しばらくは多少暑くて動きづらくとも、首元が詰まった服を着てあげるのも吝かじゃない。でもとりあえずこの手は家に着いても絶対離してやらないんだから。空いた手で首元をちょいちょいと直される。しっかり巻き直すと、彼は満足そうに口元を吊り上げた。
「じゃ、ゆっくり行こうか?」
「はい!」
 送り狼させてやろうと目論まれているとは知らず、ドラルクさんは機嫌が直ってよかったとでも言いたそうにホッとした顔をしていた。




「……あれ、結局なんで帰らされるんですか? 事務所内なら他の吸血鬼に会うこともないですよね?」
「いつロナルド君が帰ってくるかも分からんだろう。依頼の吸血鬼が来るやもしれんし」

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