大丈夫


「梅雨ちゃん梅雨ちゃん、消しゴム忘れちゃった」
「あら、それなら私のをあげるわ」
「二個持ってたっけ?」
「持ってないわ。でも……」
 梅雨ちゃんは自身の消しゴムをカバーから押し出し、新品同然の真白い体を晒したそれを、なんの躊躇いもなく割ってしまった。「はい」彼女はにこりと笑って、ちょっと大きい方をまだ驚いている私に渡す。
「返さなくていいわ」
「えっくれるの」
 なにからなにまで、そんなのさすがに申し訳ない。だったら、と梅雨ちゃんの机に残った小さな消しゴムを指差した。
「そっちでいい、というかそっちがいいです」
「気を遣わないで、私はこれで大丈夫だから」
 そう言って、彼女は歪な形の消しゴムを私の手にそっと握らせた。

「梅雨ちゃん梅雨ちゃん、雨ヤバいね」
「そうね、風もすごく強いわ」
「……雷降るかな」
 共用ロビーのソファに二人並んで座り外を眺める。ついさっき、台風なんちゃら号が接近しているから今日は外出禁止だと相澤先生から告げられた。横殴りの激しい雨のせいで、まだお昼だというのに世界は暗くて色がない。なんだか静かにしなきゃという気持ちになる。みんなそうなのか、あまり会話のないロビーは珍しく静かだった。
 私の情けない声に、梅雨ちゃんは少し目を瞬かせる。それから唇に人差し指を当ていつものポーズをしながら「そうね」と呟いた。
「ひどい天気だから、もしかすると降るかもしれないわ」
「そっか……」
「でも雷なら上鳴ちゃんが避雷針になってくれるから」
「ツユチャン?!」
 突然の飛び火に通りがかった上鳴くんがウェイ?! と反応した。
「さすがにガチ雷はまだキツいて」
「いや、試しにちょっと外出てきたら?」
「出ねーよワンチャン死ぬわ」
「ズマをチャージしてこいよ(笑)」
「しねーよふざけんな!」
「おーい、上鳴がプルスウルトラするってよー!」
「やめろ大声出すな!」
「コラ君たち! 外に出てはいけないと先程先生から指示されたばかりだろう!」
「え、でもプルスウルトラだよ?」
「うん、プルスウルトラなのに……?」
「プルス……ウルトラ……!」
「俺のためにも揺らがないで委員長!!」
 いつの間にか人が増えている。急に世界が明るくなり、暖かくなったような気がした。賑やかな喧騒を背中に、梅雨ちゃんは「ほら」とにっこり笑う。
「だから大丈夫よ、怖くないわ」
「……ほんと?」
「ええ、私が……みんながいるもの」
 私の手をひんやりする両手で包みながら、梅雨ちゃんはみんなの方を振り返る。ちょうど百ちゃんが怒りながら登場したところだった。

「梅雨ちゃん」
 ほんとうなら、今は『フロッピー』と呼ばなきゃいけない。でも、私は梅雨ちゃんと呼びたかった。
 名前を呼ばれた梅雨ちゃんは、瓦礫の上に豊かな黒髪を流し、体の至る所から血を滴らせ、力無い目で私を見上げた。ボロボロのグローブに包まれた彼女の手を優しく握り締める。
「今度は私が助ける番だね」
 いつかの、“いつもの”彼女をなぞって笑顔を浮かべる。掠れた声が「だめ」と紡いだのが聴こえたが、私は手を離して立ち上がった。
「大丈夫」
 雷も敵も怪我も死も、なにも怖くない。大事な友達を助けられないことのほうがずっと怖いと分かったから。

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