添い寝


「そんなぬいぐるみのなにがいいのかね?」
 さっぱり分からんとはっきり言われ、目を瞬かせる。もったいぶった口調も紳士面もさっぱり取り払われた、不躾ともいえる態度をこうして向けられたのは初めてだった。対ロナルドさんだとよく見かけるので、ギャップに驚くとかはもう今更ないんだけれど。
 なにがいいのか、という彼の問いを反芻して自身の手元のぬいぐるみを見る。私が両手に抱えているのは小ぶりな白菜くらいの大きさをした、ドラルクさんを可愛くデフォルメ化したぬいぐるみだ。オータム社のプレゼント企画の試作品として、ドラルクさんから直接貰ったものだった。
「え、小さくてかわいい……」
「私も小さくなれるが?! ホイッ! ほら可愛い!」
「うわぐろい」
 違うんですよね。単に大きさの問題というだけじゃなくて。赤子の頭蓋のような物体に手足と顔面が生えていてもそれは全然可愛いとはいえないんですよ。それはもう『無理』なんですよね、シンプルに。冷静に懇々とそう告げると、グロい物体がサラリと崩れた。小さな砂山が、文句を言いながらするする動き、成人男性の形へと変わっていく。前から思っていたんだけど、変身時の質量保存の法則ってどうなってるんだろう。
「いいよ、じゃあ仮にそれが小さくて可愛いとして。でもそんなぬいぐるみにはなんもできんだろう」
「なんもって。ぬいぐるみになにを期待するっていうんですか。大体、ぬいぐるみなんてそこにいるだけで可愛いからいいんです」
 ねー、と流れでドラルクさんぬいぐるみに話しかける。「ほら、返事もしない」それみたことかと鼻を鳴らされたが、返事なんてされたら逆に困るので別にいい。
「私に出来てそいつに出来ないことなんてごまんとあるんだぞ」
「ええ……でもぬいぐるみは砂にならないですよ」
「そもそも生きてないんだから当然だろう」
「うーん、この」
 この男、ここに来て第一前提を否定してきた。矛盾しまくりだ。なにをそんなに張り合っているんだか。忌々しそうに、穴を開ける勢いで指をぐりぐりしてくるドラルクさんの手をそっと除け、ぬいぐるみを守るように抱え直す。なにも出来なくてなにが悪いのだ。こんなにフワフワで可愛いんだから、もうそれだけで正義だ。そう頬擦りすると何が気に入らなかったのか、ドラルクさんの顔が険しくなった。
「可愛いしか脳が、いや脳すらない、なにもできやしないぬいぐるみごときが……」
「敵視しすぎでしょう……あっでもそうだ、この子は一緒に寝てくれますよ」
「一緒に寝てくれますよ?!?!!!」
 そう。最近の夜のお供だ。ぬいぐるみだと普段の彼とは出来ないことが出来る。ドラルクさんとは基本的に生活リズムも違うので一緒に寝るなんてできないし。
「えっ寝てる? 寝てるの? こ、こんな……こんな綿の塊なんぞと?!」
「綿の塊だからこそです」
 そも、本砂と添い寝なんて土台無理な話だ。恥ずかしいもの。あと寝相の悪さで殺してしまったら人としての罪悪感と恋人としての乙女心でぐちゃまぜになって死ぬ、私が。
 ドラルクさんが勢いよく立ち上がった。私の腕からぬいぐるみを抜き取ったかと思えば、ぽーんと部屋の隅へ放り投げてしまう。それはもう綺麗なフォームだった。壁に叩き付けられたぬいぐるみがぽふんと虚しく跳ね返り、うつ伏せで床に転がる。「なにするんですか」同情しか誘わないその様に憤って、ぬいぐるみを回収しようと私も立ち上がった。しかし一歩踏み出すより先に腕を掴まれ、ソファの後ろへとグイグイ連れて行かれる。
「ど、ドラルクさん?」
 返事はない。彼は私の呼び掛けを無視して棺桶の蓋を開け、スリッパをぺいとその辺に脱ぎ捨てた。そしてどっかりと棺桶の中に座ると、その体勢から私の腕を強く引く。されるがままにドラルクさんの上へと倒れ込みながら、そんなことしたら砂になるんじゃ、と咄嗟に思う。しかし案外しっかり受け止めてもらえて驚いた。「これくらいじゃ死なないよ」意外だというのを隠し切れなかった私に、彼は不機嫌そうに告げてくる。
「だから、分かっただろう」
「はい?」
「私にだって添い寝くらいできる」
 顔をぐっと上げさせられ、コツンと額が合わせられた。影ができているせいで、距離が近過ぎるせいで。少し見づらいけれど、でも、ドラルクさんの顔が赤いような――。
「はい、てわけでね。今日はもう寝ちゃおうね」
「えっいや、ちょ、うわ!」
 さっと顔を離したドラルクさんは、素早く手を後頭部と腰に回して私をがっしり抱き込んだ。鎖骨あたりに私の頭を抑えた状態で体を倒したので、私も強制的に彼を下敷きに寝転ぶ姿勢になる。彼が備え付きのボタンを押すと、重そうな蓋が勝手に浮いて閉まった。さすがに全身を乗せるわけにもいかないので、蓋が閉まりきる前に急いで体勢を変えようと身動ぎした。が、棺桶が狭いせいで大した移動もできないまま、あっという間にやたらムーディな照明に包まれてしまった。
「プラネタリウム観る? アロマもあるけど」
「……どっちも結構です」
 変に動いたせいで足や体の感覚が逆にしっかり伝わってくる体勢になってしまった。薄い体躯だけど、体格や肉の付き方が女の私とは明らかに違っているのが分かる。全身に伝播する仄かな体温や、背中に回されたしなやかな手の感覚は、たしかに、どれもやわこい綿では到底味わえないものだ。視界が薄暗いせいで過敏になってしまった神経が、寝るときには明らかに不要な感覚を教えてくる。
「暑くない? 冷房つける?」
 真上から聞こえる私を気遣う声に、要らないと首を振りながらこっそり歯軋りする。あなたに添い寝ができても私にはできないんですってば。ちゃんと言ったでしょ、綿だからできたって。こんなに心臓が煩くて、いったいどうやって寝ろっていうんだ。
 少しの沈黙が流れたが、その間も心臓はずっとばくばくとがなり立てていて。やがて含み笑いが聞こえてきたので、ちくしょうバレたと恥ずかしさで泣きたくなった。
「子守唄でもうたおうか?」
  こんな暗くたって、彼にはきっと私の顔が赤いのが見えてるんだろう。悔しくて、せめてもの抵抗にクラバットに顔を埋める。
 やっぱり添い寝するならぬいぐるみのほうが断然いい。寝かせるつもりのないご機嫌な読経を聞きながら、強くそう思った。

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