おうちに帰ろう


 ドラルクさん。
 呼ばれた自身の名前は、トンネルの奥から呼ばれたみたいにぼやぼやと反響していた。振り返れば、暗い道の先に、私によく懐いている子が立っている。街頭の安っぽい灯りで頼りなく揺れる影は、まるで幽鬼のようだった。
「見てください、貰ったんです」
 足取り軽く寄ってきた彼女は、片手に持つ緑の風船を見せてにっこり笑った。
「……へえ、それは素敵なことだね。誰に貰ったんだい?」
「えっと――だれ、でしたっけ?」
 あれ、と瞳が僅かな意思をもってぼんやり惑う。
「でも、とにかくドラルクさんに伝えなきゃって」
「私に? そう」
 いい子、と彼女の頭を軽く撫でてから、後頭部に手を回して肩口へと引き寄せる。これまた厄介な化生に目をつけられたものだ。こんなのがほいほい普通にその辺を歩いてるって。一回町単位でお祓いしたほうがいいんじゃないか? 
 いやはや、にしても。抵抗も反応もなく、意思のない人形のように固まっている小さな頭を見下ろし、自然と眉間に皺が寄る。ヒトの獲物を横取りとは、随分豪胆なことだ。面白くない。ああ、全くもって面白くないなァ。
 ひと睨みして、風もないのにフラフラ揺蕩う風船を爪弾く。ぱちん。それは簡単に弾け、残骸も残さずに霞と消えた。
「……ドラルクさん?」
 顎に手を添えて顔を上げさせると、無機質だった硝子玉が瞬き、たちまち色鮮やかな感情を宿した。先程とは全然違う、抑揚ある呼びかけに口元が緩む。
「おはよ、浮気者め」
「え?!」
 なに、なんの話?! 押し殺せなかった恨み言は、存外に拗ねたような響きをしていた。はておかしいな、揶揄うつもりだったんだが。誤魔化すために、慌てふためく彼女の手を掠めとる。
「ほら、帰るよ」
 深き夜の住民に魅入られてしまった幼気な昼の住民。陽向の子よ、責任もって送り届けてあげようじゃないか。他でもない、この私が。

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