毒蜘蛛


※Yおじが微妙にゲスっぽい。
モブ女とキス未満みたいな匂わせ行為をします。


「いつになったら私の気持ちを信じてくれるんですか」
 私は彼が――ユザワさんが。街ではY談おじさんとかふざけた呼称をされる男が。夜に似つかわしくない、黄金の髪を持つ、この吸血鬼のことが。本名も教えてくれない薄情な彼が好きだ。切欠はもうはるか遠く。忘れたとは言わないけれど、朧げだ。けれどこの気持ちに嘘はないことだけは確かだった。
 だから私は、好意を自覚してから、ずっと自分の想いを彼に包み隠さず、正直に、そして丁寧に伝えてきた。しかしどれ程言葉を尽くしても、乾いた笑顔を盾に虚しくすり抜けていく。そんな日々に辛抱ならなくなり、私は今日、とうとうこんなことを口にしてしまった。自分で尋ねた癖になんと返されるかが分からず、恐ろしくなって、胸元で冷えた手を握りしめる。身を強ばらせる私に対し、ユザワさんは「おや」と呑気に目をまあるくさせた。
「きみ、気付いてたのかい。私が本気にしてないって」
「――……あ、当たり前でしょう」
「そうなんだ」
 あまりの返事に一瞬言葉を忘れた。鈍器で頭を殴れらたような衝撃で、目の前がクラクラしてくる。
 好きですと言えば、彼は何時だってそうなんだ、ありがとうと謳う。しかしその後に見せる、名画のように美しい完璧な微笑みは、『私からは何も返さないけどね』という柔らかい、そしてあからさまな拒絶だった。ここ一年、そんなふうに一貫してブレることなく『私はあなたに興味はありません』という態度を取っておいて、なにを今更白々しいことを。私がその笑みで心を抉られていたことだって、分かっていたくせに。なにがそうなんだ、だ。悔しさから、先程敢えて惚けたであろう彼を睨みつける。「こわいこわい」ユザワさんは、態とらしく肩を竦めて、からからと笑った。笑うだけで、結局明確な返事は貰えない。またしても煙に巻かれ、疲れた溜息が口から吐きだされる。こんなに分かりやすく弄ばれて、でもまだ嫌いになれないのだから、本当、惚れた方が負けとはよく言ったものだと思う。
 ◆
 打てど響かぬ空虚な毎日。それでも、いつかは分かり合えるんじゃないかと――報われる日が来るんじゃないかと、漠然と信じていた。だからひたむきに、彼だけを見て生きてきた。
 好きです、あなたが好きなんです。
 こんな言葉を、もう何十回告げたことだろう。けれど今――暗い路地裏の奥で、爛々光る赤い目でしっかりと私を一瞥してから、やがて見せつけるように目の前の見知らぬ女性の顔を引き寄せた彼に、やっと理解した。この先あと何百、何千回想いを伝えようと、彼が私を受け入れることはきっとないのだ、と。多分、地面に列なす蟻の一匹。彼にとって私は、きっとそんな取るに足らない存在だった。
 もう無理だ。耐えられない。これ以上、この人を好きでいることは、私には無理だった。涙が溢れる前に彼に背を向ける。最後まで、馬鹿で惨めな女ではいたくなかったから。……なんて、もう今更か。自嘲と嗚咽が口から零れ落ちた。
 さようなら、愛しい人。彼の歪さを、そして受けた傷を、私は決して忘れないだろう。けれどこの期に及んで、好きになるんじゃなかった、という後悔は少しもなくて。そんな自分がほとほと情けなくて、ギリギリを彷徨っていた涙腺が決壊した。

 ◆

 目の前の人間から顔を離し、道の先――遠ざかっていく小さな背中を見つめる。ああ、泣いていたな、最後。暗いからこそ、街のネオンを映した水面鏡は、鮮明に見えていた。とても美しかったのに、宝石を造り上げる前に踵を返してしまったのだから、まったくつれない子だ。しかし気付かれていないと思っているかわいらしさに免じて、今日のところは許してあげよう。
「ね、ちゃんと口にして?」
「ん? ああ、……いや、今日はもうやめておこうか」
 甘えた声で媚びてくる女に応えかけ、ちょっと考えてやめる。どうして、と不満げにいつ作ったか分からない名前を呼ばれたが、困り顔で頭を撫でると、女はすぐに機嫌を直した。
「いつでも呼んでね」
「助かるよ」
 タクシーに乗り込む女へ笑いかける。ああ、助かるとも。若い女は頭の作りが単純で、都合がいい。

 あの子は愛を綿飴みたいなものだと思っている。甘くてフワフワで、舌に乗せた先からじゅんわりと溶けて消え、もっともっと口に運びたくなる、そんな可愛らしいものだと。だから汚してやりたくなった。子どもが汗ばむ手で握り締めた五百円玉で手に入れた綿飴を、地面へ叩き落とし、泥をつけてやりたかった。そんな楽しいものではない。私の愛は、そんな綺麗なものではない。それを分かってもらうためにも。
 私と同じ方向を向きたいのなら、もっと壊れてもらわなくては困るのだ。私はお天道様の下を悠々歩けるような、あたたかくて綺麗な存在にはなれない。一度ついた泥はもうどうにもならない。まあ最も、泥だなんだと散々な表現をしているが、自分の在り方を恥じたことはない。そしてこれからもないだろうと断言できる。私はこの先、誰かのために生き様を変えたりはしない。私はなにも変わらないし、なにかを手放したりはしない。
 だから、“きみ”がはやく堕ちておいで。そうしたら、私も同じだけ、いやそれ以上に愛してあげよう。それこそ、きみがいやというほどに私で満たしてあげよう。ああ、人の身も愛もなにもかもを捨て、さっさと砕けて壊れてしまわないものかな。怖がることは何もない。私が丁寧に作り直してあげるから。一度壊れたことも忘れるくらいの幸せを、たっぷり施してあげるから。
 無意味と分かりつつ、可愛いあの子が去っていった方を見つめる。広がるのは重たい暗闇だけで、もはや吸血鬼の目をもってしても見えなかった。

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