銀煙管脂下がり


 事務所に遊びに行ったら、机の上に煙草の箱がぽつんと置いてあった。手持ち無沙汰に中身を見る。入っていたのは六本だけ。
「ああ、ロナルド君のだよ。もう吸わないから捨てるらしいけど」
 吸ってたことすら知らなかったので、へえ、と生返事する。なんか意外、イメージなかった。
「……ね、ドラルクさんもちょっと吸ってみてくれません?」
「えー……臭いつくからヤダ……」
 何の気なしの軽い気持ちで頼んでみたが、返ってきた面倒くさそうな声音におや、と思う。だってもし吸ったことなかったら、『面白そうだし』と二つ返事でノッてきそうなのに。そうではないということは、もしや経験済みなのだろうか。
「こんなの最後に吸ったのいつだっけな……ていうかあの頃は煙管だったし」
 ドラルクさんはしげしげと独りごち、パッケージをちょんと人差し指でつついた。煙管! てことはやっぱり吸えるらしい。俄然見たくなってきた。言葉を選びながら口を開く。
「……煙草吸う仕草って、色っぽくて素敵だと思うんですよねえ。あのなんか、超畏怖を感じるっていうか?」
「……」
「煙草を挟む指とか、薄く開いた口とか、あとは、えーっと……伏せた目とか? とにかくドラルクさん、きっとそういうの全部似合うんだろうなあ」
「もう一押し」
「……ドラルクさんのオトナな畏怖さでドキドキさせてほしいなあ!」
「ッシャやったろーじゃないの任せなさいよ」
 もう不安だ。嬉々として百円ライターと灰皿をいそいそ用意しだした恋人に、早くも後悔の念を抱いた。
 ドラルクさんは煙草を一本、つまんで取り出した。フィルター近くを指で挟んだ手で口元を覆って咥えると、ライターの火を近付ける。あ、こういうの私がやった方がよかったのかな。なんて思いながら眺めていれば、静かに空気を吸い込む音の後、煙草の先にチリと赤が灯った。焦げた匂いが流れてきて、鼻腔をくすぐる。|燻《くゆ》った白い線が、真っ直ぐに天へと伸び――激しく噎せ返ったドラルクさんが死んだことで、歪な波線となった。煙草を持った手首だけが砂山から突き出ている。グロい。リセットされたはずなのにまだ胸に違和感があるのか、蘇った彼は咳払いをしながら、やや涙目で私を睨んだ。
「吸えるわけないだろう。見くびれ私だぞ」
「ですよね」
 ガラガラへろへろの声に、知ってたと一つ頷く。しかしなにが癪に触ったのか、ドラルクさんの眉がぴくんと跳ねた。
「自分で言うのはいいけど他人に言われると腹立つ」
「ワガママ〜これは二百歳児」
「やかましいわ」
 ドラルクさんは険しい顔で私の茶々をピシャリと切り捨て、再び煙草を唇で挟む。もうコツを掴んだ――というか思い出したのか、今度は噎せることなく、胸がゆっくり膨らんだ。煙を含んで結んだ口のまま、彼はじっと私を見る。
「煙は吸ったら吐くんですよ」
 久しぶりすぎて分からないのかな? と思って親切心で教えてあげるが、ドラルクさんの眉間にグッと皺が寄る。窄められた口からフーッと自然な流れで煙が吐き出された。目の前が真っ白になり、今度は私が噎せる。目に染みたしがっつり吸い込んでしまった。ドラルクさんが「分からいでか」と忌々しそうにボヤく声がする。涙で滲んだ視界の中、彼が煙草を強く灰皿に押し付けて火を消しているのが、朧げに見えた。
「おや」
 紫煙が晴れ、私の顔からモヤが完全に取り払われる。鼓膜を揺らした音は、ついさっきの不機嫌なものとは打って変わって、愉快げなものになっていた。
「知ってたの」
 マセてるねえ。
 煙が晴れた先にあった私の、おそらく真っ赤な顔を見て、ドラルクさんはカラカラ笑った。

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