流星に祈る


 すみませんという謝罪。それからら捨ておいて下さいという身を切るような懇願。私は繰り返されるそれらを無視して、ただ一心に足を動かした。
 以前街全体が貧弱になったことがある。そして今日、たまたま一緒に帰っていた私とロナルドさんを襲ったのは、あの吸血鬼と類似する能力使いの吸血鬼だった。ただし件の吸血鬼とは違い、攻撃できる対象は一人のみ。しかしその分、威力は桁違いだったらしい。私を庇い不気味な光線を一身に受けたロナルドさんは、文字通り無力化され、スライムのようにその場に頽れてしまった。
「おいて、おれ……だめです、このままじゃ……」
「黙っててください」
 携帯していた対吸血鬼スプレーを振り撒き、彼を引っ張ってなんとか吸血鬼から逃げ、そして今に至るというわけだ。
 すぐ耳の横からのささやかな音の震えは、しっかりと耳に届いていた。無視をやめ、ぴしゃりと跳ね除ける。
「でも――」
「話すと、私がきついので」
 あえて自分を盾にする。ロナルドさんはなにか言いたそうにしたが、反論を拒絶するように首に回る腕を殊更強く握れば、苦しげな吐息を最後に言葉をやませた。
 私の肩を支えになんとか歩くロナルドさんの体には、もはやほとんど力が入っていない。非力な私からすると、幾つも連なった土嚢を引き摺っているようにすら感じた。けれど、触れる箇所はあたたかいし、些か弱々しいが心音もしっかり伝わってくる。土嚢なんかではない。この人は、私の大事な人。そう思うと、この荷を下ろそうなんて、彼を置いていこうだなんて気持ちには、とてもならなかった。
 しかし愛で疲労を誤魔化すのも限度がある。少しでも疲れを逃がすため、大きく息を吸った。突き刺すような夜の空気が入り込んでくる。喉を通っていく真冬ほ冷気は、内側から全身を凍らせていくようだった。降り掛かる疲労の圧が増した気がする。
「……すこし――……ギルドに連絡させてください」
「……すみませ……」
 彼を支えての移動はもう無理だと判断し、足を止める。ぐったりと壁に背をつけ座りこんだ彼からの何度目かの謝罪に、私は携帯を操作しながらもう一度「やめてください」と答えた。
「けど、おれがこんなで……退治人なのに――」
「私を助けてくれたからじゃないですか。守ってくれてありがとうございます、ロナルドさん」
 彼が自分を責めようとしているのを察知し、言葉を被せる。くしゃりと乱れた前髪を軽く梳かして整えると、僅かに潤む瞳が覗いた。
「大丈夫です、連絡もしましたし、きっとすぐに救援が――」
「そんなものが来る前に、貴様らの血を吸い尽くしてやるわ!」
 背後からの声にハッと振り返る。私たちを追い詰めた元凶が、額に青筋を浮べて恐ろしい形相で道の先に立ち塞がっていた。
「まずは女、貴様からだ! よくもニンニクスプレーなんてかけてくれたな!」
「テメェ……!」
 ロナルドさんがギリ、と悔しげに歯軋りをする。しかしかと思えば、背の壁を頼りに、ゆっくりと立ち上がった。地面を擦るように足をじりじりと移動させ、私の前に立つと、吸血鬼に向かって歩き出す。なにを、と慌てて彼に手を伸ばしたが、「大丈夫です」と強い声で制される。
「命に代えても、俺が貴女を守ります」
 固い覚悟を宿した声音に息を呑む。そんなフラフラで、立つのもやっとなくせに。あんまりな言葉に、私は堪らなくなって赤いコートを掴んで引っ張り寄せた。逞しい身体は呆気なく傾き、抵抗もなく倒れ込んでくる。地面に尻餅をつきながら、彼の頭を胸元でぎゅっと抱き締めた。
「ッ……、……エッちょっアッえっあの――」
「だめ、かえないで」
 命になんてかえないで。自分が大変なときにまで、私を、誰かを守ろうとなんてしないでください。ふわふわした銀の髪の感触。鎖骨に感じる荒い呼吸。添えられた手の熱さ。密着したあらゆる場所から、彼はたしかにここに存在しているのだということを感じ、また泣きそうになる。
「いやです、ロナルドさん」
 自分のことをもっと大事にして。あなたの体は、こんなに生きんとしているのに。
 目の前の吸血鬼が苛立った様子で舌打ちをした。近付いてくる吸血鬼に、私はロナルドさんの頭を一層しっかり抱え込む。腕の中で、ロナルドさんがビクッと硬直したのを感じた。
「さっきからなにをゴチャゴブエーー?!」
「えっ?!」
 シャーン、という鈴のように軽やかな音色。そんな音とともに突如として飛来した、それはもうでっかい隕石は、今にも私たちに襲いかからんとしていた吸血鬼をピンポイントで押し潰した。混乱で静まり返った空間に、コツ、と靴音が鳴り響く。そちらを見れば、立っていたのは糸目で人の良さそうな、星の装飾を帽子につけた吸血鬼。
「あなたは……」
「私は吸血鬼きみがエッチなことを考えると流れ星を降らせるおじさん」
「吸、エッ……な、なに?!」
 一から十まで何を言っているか分からなかった。きみがエッチな……えっなに?! よく分からないが、新たな敵性吸血鬼だろうか。どうしましょうロナルドさん、と狼狽えながら胸元の彼を見遣る。彼はぶるぶると震えていた。項が、どうしてか真っ赤に――。
「若き青年よ。きみの思い、たしかに受け取りました。素晴らしい命の煌めきでしたね」
「ンガアアアアアア!!」
 弾かれたように飛び起きたロナルドさんは、変な吸血鬼のおじさんをワンパンで吹っ飛ばした。

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