二人涙で暮らしたい


「私の寿命ときみの寿命、足してはんぶんこにできたらよかったのにね」
 風が室内に入り込もうとする、ヒューッと高い音。牡丹のように大粒の雪が、しきりに窓を叩く音。音量を絞られたバラエティ番組の歓声。そして、それらの合間にスッと挟まれた小さな声。私はマグの持ち手に指先を触れた状態で思わず動きを止めてしまった。
 特別なことといえば、新横浜にしては珍しい豪雪だったこと。けれどそれ以外は、普段となんら変わらない、もう何十と共に明かしたはずの、そんな冬の夜だった。
 だから、卒然に耳朶を揺らした音が私へ与えた衝撃といったらない。だって私たちは、今のいままで、雪つよいね、やまないね。とか、朝積もってたら写真送りますね、とか――いつもよりほんの少し特別なだけの、それでも日常の延長戦な取り留めもない話をしていたはずだった。
 呆気にとられる私を余所に、ドラルクさんは何事もなかったかのようにホットミルクを口に運んだ。視線は窓の外に縫い付けられたままだ。横顔は静かに凪いでいて、私の聞き間違いだったのだろうかと思ってしまうくらい、平坦だった。ふと、持ち手にかかる自分の指先が細かく震えていることに気が付く。ああ、聞き間違い、な、わけなかった。私はたしかに、きいてしまった。
「ご、御真祖様なら――」
 できるんじゃ、とぎこちなく口角を上げ、わざとらしいくらい明るく言おうとした。が、コン、とマグが机に置かれ、肩を竦めて口を噤む。特段、大きな音というわけではなかった。しかしドラルクさんは、基本的に日常動作で音を立てない。安易な言動をとった自分を恥じて視線を落とす。長い沈黙を横たえた後、私は「ごめんなさい」となんとか絞り出した。
「いいよ」
 棘は感じない。軽やかだ。そのやさしさに甘えて顔を上げ、刹那、心臓が止まる。ドラルクさんは穏やかに微笑んでいた。
「いいんだよ」
 人間の寿命、およそ八十年。対して、吸血鬼の寿命とはいったいどれほどのものというのだろう。真祖である御祖父様が未だご健在なのを見るところ、もしや終わりなどないのかもしれない。考えて、気が遠くなる。足して割ったところで、私のたった八十年なんて、彼の膨大な年月に簡単に呑み込まれてしまう。もはやこの程度、あってもなくても変わらない。それなのに、それを私よりずっとよく分かっていて、そんなことを、そんな顔で言ってしまうんだ。この吸血鬼は。
 ぽちゃんという音は、やけに響いた。ココアに波紋ができ、溶け切らなかったマシュマロの残骸がマグの淵で揺れている。
「泣くことないだろう」
 ドラルクさんはやれやれと言わんばかりの苦笑を浮かべ、私の眦へ、手袋を外した指先をそっと伸ばす。涙の熱さと指の冷たさが入り交じる。その感覚に、自分でもよく分からないけれど、また涙が溢れていった。
 強風、豪雪、帯びる非日常に、這い寄る終わり。そして暖かな室内で、大荒れの海模様。それでも波の向こうのあなたは、きっとまだ穏やかなままなのだ。

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