わおん


 半田に告白して「気持ちは嬉しいが、お前のことをそういう対象として見たことがない。……すまない」なんてテンプレートにフラれた翌日。出勤したらその半田が犬になっていた。いや比喩ではなく。え、私をフッたらこんなことになっちゃうの? うそでしょ二度と恋なんてしない。黒い毛並みのわんわんにじゃれつかれながら愕然とする。
「へんな動物の暴走に巻き込まれたらしいですよ」
「あ、そうなの……」
 そんな私に、サギョウが笑いすぎの涙目で教えてくれた。「しかもぉ、なんか人間の記憶もないっぽくてぇ!」イヒヒーッと悪魔のように笑って、半田に届かない位置でジャーキーをヒラヒラさせて意地悪している。「ンギャアア!」あ、噛まれた。自業自得だ。
 悶絶するサギョウを写真に収めていれば「何を騒いどるんじゃ」と隊長が隣にきた。私の説明を理解するにつれ、その顔に呆れが深まる。
「んっとに、この町は……」
「でも被害を受けたのが民間人じゃなくてよかったですよね」
「それはそうなんじゃが」
 隊長がそう言ってやれやれと首を振ると、似合わない付け髭がぺろりと剥がれかけた。咄嗟に隊長の口元へ指先を添えて髭を抑える。少ししてからそっと離すと、髭はまた貼り付いた状態に戻った。
「な、なんじゃ?」
「いや、髭が」
「あ、なるほど……悪いな」
 どこか動揺した様子の隊長に一瞬首を傾げたが、すぐ距離の近さに気付いた。不躾だったかと謝罪を口にしようとした瞬間、突然体が後ろに引っ張られて傾く。たたらを踏んでよろけた私に手を伸ばす隊長――を、邪魔するように、黒い物体がサッと割り込んだ。
「ワン!」
「どうした半――」
「ワン!!」
「どうした?!」
 狼狽える隊長に、半田は耳を鋭く立たせ、グルグルと低く唸る。全身の毛が逆だっていて、ピンと張った尻尾が固く揺れていた。一触即発だ。さっきまで戯れていたはずのサギョウは、今や疲弊しきった顔で携帯をこちらに向けていた。撮ってんじゃねえなんとかしろ。
「いや、ほんと俺のこと噛む気じゃにゃーか、こいつ……!」
 なんとかしてくれと目で訴えられる。そんなこと言われても。私だって犬なんて飼ったことないのに。しかしそう戸惑っている合間に、半田がグッと頭部を下げ、飛びかかるような構えをとった。まずい。
「は、半田?」
 私はとりあえず、と半田の名を小声で呼んだ。三角の耳がぴくっと反応する。それから、さっきの「ワン!」よりずっと丸い鳴き声とともに、半田はくるりとこちらへ向き直り、私の手にすりすりと額辺りを寄せてきた。……もしや『撫で』を要求されている? よく分からないまま、なんとなく毛に指を埋めてそろそろ動かしてみると、尻尾がブンブンと大きく振られた。半田はもっともっとというように、頭だけでなく、胴体のほうも絡めるように私の足へと擦り付けてくる。先程まで隊長に向けていた警戒もどこへやら、すっかりご機嫌さんだ。
「ほーんと、半田のやつはお前さんのことが好きじゃなァ?」
「……いや」
「犬になっても悋気が健在――や、むしろ悪化しとるか」
 ニヤニヤと揶揄ってくる隊長に複雑な気持ちになった。私をフッた張本犬であるはずの半田は、再び犬歯を剥き出しに隊長を睨んでいるし。溜息を吐いて、そんな半田の頭を宥めるように撫でる。
 こうして周りに揶揄われるくらい、半田は分かりやすかった。誰かと話していると絶対邪魔してくるし、「だらしない寝癖だな!」とか「女のくせに手がガッサガサではないか!」とかなんとか、なにかと理由をつけて触れてくるし。そんなだから私も告白できたのだ。まあ、結果はあんな感じにフラれましたが。
 ……だけど。ふわふわの足元へと目線を落とす。キューンという甘えるような高い鳴き声と、私を見上げる蕩けた黄色。……元に戻ったらもう一度告白してみるか。いや、一度と言わず、このバカが気付くまで、何度だって。

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