ホットミルクと宇宙
瓶口から飛び出していく白いリボンは、小鍋の底に触れた途端、たゆんと波打ち海となった。このまま温めようと思ったが、ふと思い立ち、元旦用にと取り寄せていた、中途半端に余っているきな粉と黒蜜の残りを全部溶かしてみる。白がかなり濃いめの桑色へと変わった。これじゃ甘そう、と牛乳を足す。結果的に、一人分、それに寝る前に飲むにしてはやや多めの量となってしまった。若干後悔しながらIHを起動させる。
一息ついて窓を見遣った。宇宙空間において星など石ころと変わらず、広がっているのは深い至極ばかり。しかしこれはこれで美しい。だってまるで――。
ハッと振り返る。この船の長、高杉総督が、出入口で気だるげに凭れていた。まったく気が付かなかった。慌てて頭を下げる。いったい|何時《いつ》からいたのだろう。変な鼻歌を歌っているところも聴かれていやしないだろうか。息を止めて靴の先を見つめていると、視界に切り揃えられた足の爪が音もなく入り込んできた。
「これは」
「は、ホットミルクでございます」
鼓膜を揺らしたのはたった三音であったが、その声にはいつもより覇気がない気がした。 夜だからだろうか。分からない、けれど。
「……総督もお飲みになりますか」
少なくとも、私は夜だったからだ。
だから、口が滑ってしまった。だって普段であれば、こんなことは絶対に言わない。総督が立ち去るのを、畏まってただ待つだけ。名前も覚えられていないであろう下っ端の、深夜の気の迷いだった。
「いや」
端的な拒否にやっぱりなと思う。聞いておいてなんだが予想していた返事だったし、これといった落胆はない。むしろ安堵さえ感じた。
「一口でいい」
「え」
許可もないのに、思わず顔を上げてしまった。紫帯びた至極の髪がさらりと流れ、どこか虚ろな片目が私を捉える。総督は、ぽかんと間抜け面を晒す私から視線を外し、ふつふつと煮だっていた鍋をひと混ぜしてしてから下ろし、用意していたマグカップに注いだ。黒蜜きな粉ホットミルクがちゃちなマグの限界までなみなみ満ちる。少しの振動で零れてしまいそうなそれを、総督はなんの躊躇いも見せずにひょいと持ち上げ、口元へと運んだ。目を軽く伏せ、縁に付けられた唇が少し窄められる。これだけたっぷり入っていれば、傾ける必要もなかった。
「……甘ェ」
「も、申し訳ありません!」
顔を顰める総督に再び頭を下げたが、くしゃりと髪をかき混ぜるようにひと撫でされる。
「邪魔したな――よく休めよ、」
去り際に投げられたのは、私の名前。遠ざかる蝶が舞う背中を見送りながら、唖然と呆ける。総督に労いのお言葉を下賜され、畏れ多くも名前を呼んでいただいた――ばかりか、私は今、頭を撫でられた? 総督の手ずから? なんていうことだ。有り得ないことの連続すぎて、およそ現実とは信じ難い。だが窓に映る、少しだけ乱れた頭が、夢ではなかったのだと教えてくれる。しかしそれでも、やっぱりまだ信じられない心地だった。
のろのろと蛇口を捻った。空になった小鍋に冷水が貯まっていく。……ギャレーに立つ総督、不似合いだったな。やっと冷静になった頭が考えたのは、そんな不敬なことだった。一旦水を止め、そうっと湯気が揺らぐマグへ――総督が口付けたところとは、当然反対の位置へ、口を寄せる。味蕾に触れた瞬間、顔を歪めてしまう。たしかにこれは、想像していたよりずっとずっと甘ったるかった。
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